仲間探し♪

皆さんこんにちは(●´∀`)ノ

あきひこです。

久しぶりにスーツを着ております。

今週から、いよいよ大浦家の仲間探しをはじめました♪

大浦家は今までにない、全く新しい形の住まいなので、

始めはとっても不安な気持ちでしたが、

案内に行った先々で、

『おもしろい!』

『こういうのを待ってた!』

など、

やはり、高齢者を取り巻く環境に詳しい人には

すぐに大浦家の良さや特異性を理解していただけたようで、

とてもいい反応ばかり。

ちょっと安心しました。

この調子でどんどん大浦家をPRして、

一日でも早く仲間を見つけたいと思います!

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はじまり。

あなたにできること、

あるいはできると夢見ていることがあれば、

今すぐ始めなさい。

向こう見ずは天才であり、

力であり、

魔法です。

                        ― ゲーテ ―

成功する秘訣を教えてほしい、

どうすれば夢を実現することができますかと

よく人から尋ねられる。

自分でやってみることだと私は答えている。

                     ― ウォルト・ディズニー ―

「はじまり」

右手に異様な感覚を覚え、ふと目を覚ます。

眠たい目で右手を見ると、黒い影が私の右手をつかみ、食べている。

びっくりして飛び上がり、よく見ると、

えみこさんだった。

えみこさんが入れ歯の入っていない口に、私の右手をつっこみ、食べている・・・? %e7%94%b0%e4%b8%ad%e3%81%95%e3%82%93

これが、私が介護の仕事をはじめて、一番最初の印象に残っていること。

私は施設の空き部屋に4年ほど住み、入居者の方々と生活を共にしました。、

これは、住み始めてまもなくのことでした。

えみこさんは、私の斜め向かいの部屋で、事あるごとに私の部屋へ遊びに来てくれました。

いりきさんとは、一緒にたばこを吸ったり、よく並んで立ちションしました。

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とみこさんとは朝晩の日課のお祈りを一緒にしたり、とみこさんのベットで一緒に昼寝をしました。

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たけおさんには、俳句を教えてもらいました。

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すえむねさんとは、市民センターのカラオケ教室に行ったり、家庭菜園を。

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つやこさんとは、よく歌を歌いました。

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その他にもあれやこれや。

恥ずかしい話ですが、ヘルパーの資格を取る時に教わった、傾聴や、怒ってはいけないなど、

まったく実践していませんでした。

自分のおじいちゃん、おばあちゃんと同じように接していました。

一緒に笑って、

一緒に泣いて、

ケンカもよくしました。

サービス業である、介護職としては、失格だと思います。

でも、

人間同士としての信頼関係、絆は、この時が一番強かったのではないかと思います。

先にあげた方々は、みなさん亡くなられ、私は可能な限り遺品を頂き、今でも持っています。

私は、いつも遺品を見る度に思います。

もっと喜ばせられなかったのか?

もっと笑わせられなかったのか?

それから私の最優先事項は、『笑顔』になりました。

数年経ち、私は管理者に。

利用者の方が喜ぶと思うこと、笑ってもらえると思うことは何でもしました。

時には半ケツを見せて笑いを取ることもしました。

思いつき、喜んでもらえると確信したことは、上司とケンカして押し通してでも実行しました。

年月が経ち、会社が大きくなるにつれ、他の事業所に比べ、

段違いに私の勤める事業所がレクレーションの数や内容が濃い為、

「やりすぎだ!他事業所に合わせるように!」と上司に言われ、注意を受けることが多くなりました。

当然、私は言うことを聞きませんでした。

が、しばらくすると新規事業所設立もあり、管理職へ。

さらにその後、営業職へ。

現場からどんどん遠ざかります。

私は、空いた時間を見つけては利用者に会いに行き、ひとつふたつ笑いを取り、また業務へ。

利用者の方に会いに行く度、

「あんたもうもどらんの?」

「あんたがおる時はたのしかったけど」と言われ、

胸が締め付けられる思いでした。

また、

「私はしてもらうばっかりで、自分では何もできん、役に立たんけ、もういつ死んでもいいんよ。」

という言葉も。

私から見たら、まだまだ出来る事がたくさんあると感じることがほとんどだったので、

この言葉を聞く度に、自分が現場に関われないことに、

「このままでいいのか」という、もどかしさに悩みました。

そんな時、決定的な出来事が。

ある利用者の方が亡くなられました。

私はそれを聞かされた時、自分自身に愕然としました。

なぜなら、全く悲しいという感情を感じなかったからです。

その方とは、ほとんど関わったことがなく、どんな人なのかも知らなかったので、

無理もないことかもしれませんが、

現場にいなかったら、人の死を悲しむこともできない。

その方との思い出を語ることもできない。

これを機に、独立を考えるように。

私が思い描いたのは、入居者の方々と生活を共にしていたあの時のことでした。

また、介護保険の制約に阻まれて、実施できないこともいくつかあったので、

介護保険利用も可能で、かつ自由に活動できる形を模索。

こうしてできたのが、大浦家です。

私の夢。

それは、認知症の方や介護の必要な方が、制限を受けることなく自由に生活できる町。

年を取って不自由になっても、役に立たない人なんていない。

私にこの夢を持たせてくれたのは、彼らなのだから。

彼らが持たせてくれたその夢の実現に向けて、

最初の一歩。

はじまり、はじまり。