高齢者の余生は「たい」と「ない」でできている

本人:

「このままの生活をつづけたい。」

(でも、人の手を借りないと行動できない。)

「今まで自分でしてきた事を出来る限り自分でやりたい。」

(でも、不自由な所があるから人の手を借りないといけない。)

「あまり他人の世話になりたくない。」

「ひとに迷惑をかけたくない。」

(でも、世話にならないと生活できない。)

「自分の事で子供に負担をかけたくない。」

(でも、今の自分には何もできない。)

 

子供:

「自分の家で最後まで過ごさせてあげたい。」

(でも、危ないのでそうもできない。)

「出来るなら自分が面倒見たい。」

(でも、自分の仕事や家族があるのでできない。)

「やりたいことをやらせてあげたい。」

(でも、その時間や余裕、選択できるサービスがない。)

「楽しい余生を送らせてあげたい。」

「せめて、楽しんで生活できる施設を探してあげたい。」

(でも、施設形態が多種多様でよくわからない。)

(でも、じっくり探す時間が無い。)

(でも、経済的に余裕が無いので施設を選ぶ余地がない。)

 

 

「したい」のに、「できない」という高齢者とその家族の現状。

そして、お互いの気持ちが一致しているのに、

遠慮や諦め、安全への願い、経済事情、家庭環境、

そしてなにより選択できるサービスの無さが原因で、

お互いが満足できない選択をせざるを得ない。

そして、本人は生きる活力が無くなっていき、

日に日に弱っていく。

家族はそれを見てこの選択が正しかったのかと罪悪感を抱く。

最近、体験や見学などで施設を探しているご家族や、

高齢者の方とよくお話しさせて頂いて、改めて感じる。

『・・・なんか嫌だ!』

今まで頑張ってきて、最後が諦めることばかり。

自分だったら死ぬ時に、

『いい人生だった。』

と思いたい。

だから、たまにはインスタント食品も食べたいし、

お酒も飲みたい。コケてもいいから外出したい。

出来る事は出来る限りし続けたい。

それで多少早死にしても、

ただ毎日何もせずに長生きするよりいい。

きっと、同じ思いの人はたくさんいるはず。

施設は年々増える一方なのに何年たってもそれができる施設が見当たらない。

『なんでやねんっ!』

起業なんてする性分じゃない私が、

もう自分でやるしかないと思ったこの怒りにも似たモヤモヤ。

改めて自分の思う理想の形を創るために、全力を尽くそうと思う今日この頃。

ごめんなさい。

ご家族や本人の話しを聞いてたら、

どうにもやるせなくて書かずにはいられませんでした。

高齢者の余生は「たい」と「ない」でできている」への1件のフィードバック

  1. 「このままの生活をつづけたい。」
    (でも、人の手を借りないと行動できない。)

    「こんな生活をつづけたくない。」
    (人の手を借りて出来ることは自分でしたい。)

    「今まで自分でしてきた事を出来る限り自分でやりたい。」
    (でも、不自由な所があるから人の手を借りないといけない。)

    「今まで自分で出来ていたことがができない。」
    (不自由な所があるから出来るよう人の手を借りたい。)

    「あまり他人の世話になりたくない。」
    「ひとに迷惑をかけたくない。」
    (でも、世話にならないと生活できない。)

    「支援してくれる人と関わりたい。」
    「ひとと助け合い、支え合いたい。」
    (私だって‼あの人の世話をしたい。)

    「自分の事で子供に負担をかけたくない。」
    (でも、今の自分には何もできない。)

    「自分の子供はいつまでも心配。ちょくちょく会いたい。」
    (あの子の好物を作ってあげたい。)

    てな具合に、「たい」を「ない」に「ない」を「たい」に変えることが私たち介護職の第一歩ですね!!

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