あき思考~ふと思い、ふと考える~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ

あきひこです。

今回は、

あき思考~ふと思い、ふと考える~

という事で、

今後、大きな事からくだらない事まで、

あきひこが何気なく思った事、感じた事、考えた事などを、

このタイトルで投稿していきたいと思います。

おそらく、くだらない事や、細かい事、

愚痴、屁理屈をまとまらない文章で書きとめる。

そんな内容の投稿ばかりだと思います。

ただ何となく文章でその時に思った事を、

日記の様に残しておいたら、

後々読んだ時におもしろいかなと思っただけなので、

このタイトルの時は読まずにスルーして下さいね(;^ω^)

では、初のあき思考。

(※初回から、長いです。)

 

「ネットでの質問投稿とその回答を見て思う」

インターネットで何か調べものをしている時。

介護職のコミュニティサイトの質問と回答にふと目が留まる。

 

●質問者

デイサービスに努めています。まだ日が浅く、勉強中です。

少し前に利用されている方から誕生日会を行うのをやめてほしいと言われました。

理由はその方が幼い頃にはみんな1月1日に年を取るという風習だったため

生まれた日に祝うという風習がないということ、そして気恥ずかしいということ、

それから余計年を取った感じになってしまうということでした。

勝手に誕生日はめでたいことと思っていたので驚いたのですが、

他にも数名同じような方がいらっしゃいました。

みなさんも経験されたことがありますか?

そういった苦情?を言われた場合、どうされましたか?

 

この質問を読んで、

そうそう、介護の仕事を始めると自分の知らなかった事や

思ってもみなかった事にたくさん出会えるんだよなぁ~。

なんて、懐かしい気持ちになりました。

続いて様々な介護職からの回答。

 

●回答者A

本人が嫌だと言うなら、その方はやらなくていいだけの話です。

誕生会は本人尊重でいいですよ。

●回答者B

苦あり楽ありの人生体験者に、本人の意思に反する押しつけがましい行為はしない

という包容力も施設には必要なのかもしれません。

●回答者C

嫌がる事を何故やろうとする?

やらない事で本人に不利益が生じるなら兎も角、何の実害も無い。

勝手に誕生日はめでたい事と思っていたのであって、

こちらの価値観を押し付けるのは良くない。

 

この回答を読んで、皆さんはどう思われるでしょうか。

おそらく特に違和感なく、その通りだと思ったのではないでしょうか。

ひねくれ者のあきひこは違いました。

私はこの回答を読んだ瞬間にイラっとしてしまいました。

原因は、

Aの「本人尊重」

Bの「本人の意思に反する押しつけがましい行為はしない」

Cの「価値観を押し付けるのは良くない」

要はみんな個人を尊重し、価値観を押し付けるなと言っています。

だれもが認める、反論の余地のない正しい回答です。

私は、長年介護の仕事をしていますが、

介護の仕事を始めて少し経った頃から、

今までずっと介護業界への気色悪さを感じています。

私が気色悪いのは、

「みんな同じ視点の正しい事しか言わない」

からです。

例えば別の視点の回答として、

 

回答者D

誕生日会を行うのをやめてほしいと言う声があるという事は、

あなたの会社では現状、誕生日会を行う事が通常の業務に含まれるという事だと思います。

そこで、こう考えてみてはどうでしょう?

あなたは「誕生日会」と言う、イベントの企画・営業の仕事をしていると。

あなたには、そのイベントの良さをお客様にプレゼンしたり、

そのイベントをより良いものに改善する為の企画を考えたりする事で、

参加者を一人でも多く獲得する使命があります。

何も言わずに参加してくれるお客様はそうそういません。

こんな楽しいイベントがあったのかという、

お客様の新たな価値観を創出するために、

積極的にプレゼンして参加者を増やしますよね?

苦情を言われても改善し、そのお客様がリピーターになるように働きかけますよね?

人に新たな価値観を持ってもらう事は容易ではないでしょうが、

成功しても、失敗しても一生懸命にやったあなたには、

何かしら得るものがあると思います。

お仕事頑張ってください。

 

と、こんな違う視点の反対意見の回答があるのが正常だと思うのです。

そして、この気色悪さに加えて、私をイラっとさせてしまうのは、

「みんな同じ視点の正しい事を言うだけ

という事。

少なくても私が関わってきた介護職のほとんどは、

口では正しい事を言うのに、行動が伴わない、

言っている事と反対の事をしている人ばかりで、

私は介護職の正論に早い時期から嫌気が差すようになりました。

それが、この回答者達の言葉にもにじみ出ています。

Aの場合。

誕生会本人尊重でいいですよ。

誕生日会はの「は」。

この「は」は選択の「は」です。

誕生日会いいけど、○○ダメ。みたいな。

Bの場合。

包容力も施設には必要なのかもしれません。

施設にはその包容力がないと言っているのと同じです。

そしてBはその包容力の無さを受け入れてしまっているように読み取れます。

Cの場合。

やらない事で本人に不利益が生じるなら兎も角、何の実害も無い。

これは暗に本人に不利益・実害があると介護者側が判断したら尊重しないとも読み取れます。

勘ぐりすぎでしょうか?

でもこういった無意識な所に本音が出る事もあります。

偉そうに言わせてもらえば、

この回答者達は、誰もが思う安易な正論を盾に、

ある程度の所で、利用者の方の事を考える事を止めてしまっていると思います。

私は、ケースによっては本人を尊重しないという、

一貫性の無さにイラっと来るわけではありません。

介護の性質上、本人を尊重出来ない事もあります。

例えば、入浴拒否があり何か月もお風呂に入らない場合など。

高齢者の感染症のリスクを考えて、

家族に同意を得た上で半ば強引に入れている所もあります。

結局、本人尊重などと良い事を言った所で、

最終的には尊重するかしないかを判断しているのは、

家族や介護者などの周囲の人なのです。

これって本当の意味で本人を尊重していると言えるのでしょうか?

尊重しているふりして、実は自分達の勝手な価値観を押し付けているだけにしか見えません。

だからこそ私は、「介護は自分勝手なもの」だと自覚し、

その上で、本人を置き去りにした自分勝手になっていないか。

常に自問自答しながら行う事がせめてもの介護者の努めだと思っています。

正論で思考停止して無自覚に耳障りの良い事ばかり言うだけの介護者は大嫌いです。

無自覚・無意識だからタチが悪い。(; ・`д・´)

 

ふぅ。

・・・すみません。

ちょっと興奮してヒートアップしてしまいました。

仕切りなおして・・・。

人は一人では生きていけない生き物です。

色んな考えやルール、習慣や風習、社会環境の中で、

それぞれの趣味嗜好のある人々と関わりながら、様々な体験や刺激や影響を受け、

自分なりの考えや価値観を形成していく。

言い換えると、人付き合いは価値観のぶつけ合い。

お互いの価値観をぶつけ合いながら影響を与え合って、

自分が幸せになる為の価値観を作り上げていく。

そんなもんなんじゃないかと私は思っています。

 

私はよく、

「なぜ独立してシェアハウスをしようと思ったんですか?」

と聞かれますが。

「介護保険制度の制約を受けずに自分のやりたいことをやる為です。」

と答えます。

私は自分勝手だと自覚した上で、

自分勝手にやる事でじじばばが喜んでくれると

自分勝手に思い込んでいます。

そして、大浦家の家族にめちゃくちゃ自分の価値観をぶつけます。

時にはケンカもします。

ただし、ぶつけた上でどうするかの判断は本人に委ねます。

私の場合、認知症の方と接する事が多く、何をやりたいか聞いても、

どこに行きたいか聞いても、はっきりしない方ばかりなので、

自分が連れて行きたい所に勝手に連れて行きます。

(※なんかこうやって改めて文章に書くとすごい自分勝手な奴だなあきひこ・・・(;´Д`))

少し長くなりすぎたので、

そろそろまとめます。

私がこの質問者の方に知って欲しいのは、

物事を楽しく行う事が出来るかどうかは、誰と・どんな風にやるかで変わるという事。

例えば、嫌いな人・好きな人とそれぞれ全く同じ事をしたとします。

どうでしょう?好きな人とは楽しめるけど、嫌いな人とは楽しめないんじゃないでしょうか?

楽しいものであれば、人の価値観は変えられる。

それを経験として知って欲しいと思いました。

最後に。

私のこの質問者への回答。

回答者あきひこ

誕生日会って楽しいものなんだと価値観を塗り替えるくらいの誕生日会をやってみて下さい。

高齢者は日々色々な事を諦めています。

身体が不自由であれば尚更です。

そのため日々の生活の中で楽しみがない方も多いと思います。

本人の「嫌」をそのまま受け入れれば何も変わりませんが、

もし、誕生日を「喜び・楽しみ」に変える事が出来たなら、

少なくても一年に一回はその方の「喜び・楽しみ」を増やす事ができます。

諦め、楽しみが少なくなっていく高齢者の方々にとって、

その一回はとても大切な一回になるのではないかと思います。

受け入れる事は誰にでもできますが、その「喜び」の為にチャレンジできるのは、

今、どうしたらいいか迷っているあなたしかいません。

高齢者の方の「嫌」の価値観を変える事は簡単ではないでしょう。

その方はどんな方か?何が好きか?趣味は?好物は?

それらを知るために日々、積極的に向き合い、

コミュニケーションをとらなければなりません。

その上であなたがこういう形であれば喜んで参加してもらえるだろうと思う、

誕生日会をやってみて下さい。

あなたがそのチャレンジに成功したなら、

介護職としてのこの上ない喜びと大きな自信を得る事が出来ると思います。

もし失敗したとしても、落ち込む事はありません。

なぜならあなたは既に大事なものを獲得しているからです。

それは、

それまでのあなたの努力によって築く事が出来ているであろう、

その方との絆や信頼関係です。

きっと、その方との関係はチャレンジ以前のものとは全く変わっているはずです。

あなたがその方を想い、

その方の喜び・楽しみの機会を一回でも作りたいと願い、

全力で頑張ったのであれば、

結果はどうであれその時点で、

あなたは真に介護職としての仕事をやり遂げた事になるのではないかと私は思います。

お仕事頑張ってください。

大浦家日記~3月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ

あきひこです。

急に暖かくなり、街へ出るとちらほら桜が咲き始めましたね♪

桜以外にも、色とりどりの花が咲き、街が色づいていくこの時期は、

なんだか街も人も全てがワクワクに満ちていて、輝いて見えます。

大浦家にも新たな家族が増え、新しい色が加わりました。

それでは今月も、宜しくお願いしまーす♪

 

「 九女 」

2月25日。

大浦家に九女となる、ユキさんがやってきました。

ユキさんは、アルツハイマー型の認知症はありますが、

身体は元気。

本人は覚えていないと思いますが、

実はユキさんの事は、以前から知っていました。

なぜなら、大浦家設立前に勤めていた有料老人ホームの入居者だったからです。

私はその時期営業職をしており、現場でユキさんに関わる事は、

ほとんどありませんでしたが、

とても大人しく、品のある方だなという印象でした。

それともう一つ。

大人しく、穏やかなユキさんですが、

実は、施設入居前は病院で咽頭がん治療に係る放射線治療を受けていて、

首回りや口の中、身体の中が放射線治療の影響で焼けただれ、

ただ水を飲む事さえ地獄の様な痛みや苦しみが伴う。

そんな痛みや苦しみを乗り越え今の元気な状態を勝ち取った、

とても強い方だという事。

入居時もまだ首回りは火傷の跡が目立つほどでしたが、

痛みや苦痛を訴える事もなく、いつも穏やかな笑顔を絶やしませんでした。

私が施設を退職する際、

入居者の方やそのご家族には挨拶をせず退職したので、

そのままお別れとなりました。

(※介護業界では、入居者の引き抜きなどを警戒し、

退職時に挨拶をする事が出来ない所もあります。

私の場合、独立するので余計できませんでした。)

そして今年の1月。

大浦家に電話がかかってきました。

『こんにちは。○○ですが。』

「ん?」

私は誰だかわからず困惑。

『ユキの娘の○○です。』

「あっ!!」

聞けば、現在の施設の対応に不安を感じており、

本人の認知症の進行状態や、

日常的に身体を動かせない事による身体機能の低下などを心配され、

元気なうちに別の施設を探そうと思い、

ネットで探している時に大浦家のホームページを見つけ、

私を発見したとの事でした。

その後、大浦家を見学、体験入居を経て、大浦家の家族になりました。

まだ入居したてでみんなに遠慮しているのか、

自発的な行動や言動はみられませんが、

これからどのようにユキさんが変化していくのか。

とても楽しみです。

 

「 誰の心にも 」

マコさんはポーカーフェイス。

入居したころから、写真を撮る時に、

「はい、笑ってー」と言っても、

『どう笑っていいのかわからない。』と言い、ゆがみ笑い。

今ではいくらか表情が出てきたものの、

それでも喜怒哀楽をあまり表に出すことはありません。

いつも穏やかで、怒ったり、お手伝いを嫌がる事もほとんどありません。

マコさんは大浦家に来る前、

自宅で転倒し骨折、やっと退院したかと思ったら、また転倒。

また入院という生活を繰り返していたそうです。

その為、ここ2年くらいは正月も病院で過していたとの事で、

今年は久々に大浦家で普通の正月を過ごす事が出来たと、喜んでいました。

ある日、

私がマコさんと、日課の立ち上がり訓練&足踏み訓練をしていた時。

立ち上がり訓練を終え、次の足踏み訓練の前に、車いすに座って小休止。

その日は少し足の上りが悪いのに気が付いた私が、

「大丈夫?今日は調子悪い?」

と、何気なく声を掛けたら、

うつむき、元気なく、ぼそぼそっと

何かを言います。

「え?」

と聞き返します。

『私はこれ以上良くならんのやか。』

そう言ったと同時に、

マコさんの両目には涙が溢れ、

泣き出してしまいました。

突然の、しかもマコさんの涙という、

思ってもない出来事に、

私は、びっくりして言葉がでませんでした。

「なんかあったん?」

そう聞くと、

『この前、先生にもっともっと頑張らんとダメって言われた。』

「そっかー。それで元気なかったんやね。」

私はマコさんを励まします。

先生は普段マコさんがどれだけリハビリを頑張っているか知らないから、

運動を促そうと思ってそう言っただけである事。

大浦家に来た当初から比べると格段に動きが良くなっている事。

入居当時、マコさんは車いすでした。

手すりや人につかまれば少し歩けましたが、

気を抜くとすぐに膝がガクッと折れ、へたり込んでしまうため、

常に車いすに座っていました。

調子が良い時でさえ、リビングからトイレまでの片道の距離を歩くのがやっとでした。

それが今や、大浦家の家の中では車いすに乗る事は無くなりました。

膝折れする事はほどんど無くなり、

片手で何かにつかまれば、

立ったまま掃除機をかける事も出来る様になりました。

私は当時を思い出せる様に話し、

マコさんは、

『そうやったね。 そうやったね。』

と、聞いています。

「・・だけん、今でも十分よくなってきよるんやけん心配ないよ!

今から暖かくなって、動きやすくなるし、今年はもっと動けるようになるよ!」

『うん!そうやね!頑張る!』

そう言って、笑顔を見せてくれたのでした。

普段、何もないような顔をしていていても、

マコさんの心には思ったように動けない辛さや、

周りの手を借りないといけないという申し訳なさなど、

色々な感情が少しづつ溜まっていたのかもしれません。

辛い気持ち、悲しい気持ちは、誰の心にもあります。

それは、不自由の無い私にだって、

これを読んでいるあなたにだって、

誰にだってあるものです。

誰もが歳を取り、不自由になるにつれ、

その気持ちは少しづつ大きくなるのかもしれません。

それでも絶望せず、その気持ちと折り合いをつけ、

前向きに生きていかなければなりません。

彼・彼女が辛い時、

絶望せずにいられるのはきっと、

「あなた」

そばにいてその気持ちに気付き、

和らげ、軽くし、また前向きにしてくれる、

「あなた」

知人、友人、親戚、家族である、

「あなた」

が居てくれるからなのです。

ありがとう♪

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ

あきひこです。

7年前の昨日、東日本大震災がありました。

まず、被災し亡くなられた方に哀悼の意を表します。

そして亡くなられた方のご家族、そして住み慣れた地で暮らせなくなった方。

7年経った今もなお、大変な思いをしながら生活されている事を考えると、

今の私がどれだけ恵まれているのか、ニュースを見る度に思い知らされ、

今を大事に生きる事の大切さを考えさせられます。

一日、一分、一秒でも早い復興を心より、願っております。

 

今日は、大浦家を開設して二度目の私の誕生日でした!

祝うのは好きですが、祝われるのが苦手な私は、

いつも何も言わずスルーしようとするのですが、

優しい大浦家の家族とスタッフは、誕生日会を開いてくれました。

そして、今までで一番大量のプレゼントを頂きました♪

(※写真がもらったプレゼント)

大浦家家族からは服をもらいました♪

また、私が毎日の様に紅茶花伝を飲んでいるのを見て、

各スタッフが紅茶花伝をプレゼントしてくれました♪

高校時代から紅茶花伝ばかり飲んでいるので、

私にとっては命の水。

実はこれが一番嬉しいかも(;^ω^)

(※身体に悪いというツッコミは受け付けません。

今の所、健康診断では異常なしなのでご安心を。)

今年もみんな元気で迎えられた事を本当に嬉しく思います。

そして、私なんぞの誕生日をこんなに楽しく祝ってくれるみんなと過ごせることが、

本当に幸せです。

ほんとうに大浦家を始めて良かった♪

みんな!ありがとう!!

 

閉鎖的に開放する

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ

あきひこです。

先日に引き続き、今月2回目のHP版大浦家日記オリジナル投稿です。

今回は、大浦家の仕組みについてお話しします。

またまた少し長くなりますが、あしからず。

皆さんは、『閉鎖的』という言葉にどんなイメージを持っていますか?

例えば、「大浦家は閉鎖的なシェアハウスらしいよ。」と、

誰かが大浦家の噂話をしているのを聞いたら、

大浦家に対してどんなイメージを持つでしょうか?

おそらく、悪いイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。

『閉鎖的』を辞書で調べてみると、

―自分自身、または仲間内の殻に閉じこもって外部のものを受け入れようとしないさま。

とあり、確かに意味も何となく悪い感じがします。

でも私は、『閉鎖的』って実は、良い事なんじゃないかって思っています。

私の理解力不足かもしれませんが、私の感覚としては、

「 仲良し・強い絆・信頼 = 閉鎖的 」

なのです。

仲良し二人組の間には、なかなか三人目が入り込む隙はありません。

強い絆で結ばれた家族に他人が入っても、同じ強さの絆を築くのは困難。

絶対的に信頼している取引先を変える事はない。

長い時間を共にし、様々な経験を共有して築いてきた人間関係は、

自然と閉鎖的になるのではないか。

そう感じるので、どうしても悪く思えません。

ただ、一般的に閉鎖的だと良くないと言っている意味もよくわかります。

最近、介護施設や障害者施設の虐待のニュースをよく見かけます。

閉鎖的な空間だと、そういった事が行われていても隠ぺいされ、周りが気付きにくく、

本人も外部へ助けを求め難い。

だからこそ、そういった事の無い様に開放的にして、

常に外部から見守れる状態をつくることが、

正しいサービスを行う上でも、利用者の安心を確保する上でも好ましい。

私が大浦家を創る際一番に思い描いたのは、

『家族のように生活する場』

そして、

『利用者家族も安心できる場所』

です。

なので、先に話したような良い面での閉鎖性を築きつつ、

家族が普段の利用者の様子をしっかり把握する事の出来る開放性を実現できたらと考えました。

「閉鎖的に開放する。」矛盾してますが、

感覚として、それをテーマに仕組みを考えました。

そしてそのための仕組みの一つが、大浦家の報告方法です。

大浦家はシェアハウスなので、介護施設の様な日々の記録などはつけません。

そのかわり、一日の終わりにご家族に下記のような報告のメールをしています。

~~~~~~~~~~~~~(報告メール例)~~~~~~~~~~~~~

こんばんは(^-^)

大浦家の砂川です。

今日はお手伝い、体操、お出掛け、訪問診療の診察などをして過ごしております。

訪問診療は特に問題なく、定期のお薬が処方されております。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こんな感じ。

この様に写真を添付して報告する事で、

今日は何をして過ごしたかだけでなく、

その時の様子なども一目瞭然でわかります。

また、こちらも簡単な文章と写真の添付だけなので、

ひとり1分もかからず報告出来、作業に時間を取られる事はありません。

大浦家のご家族はこの報告メールが毎日送られてくるので、

今日何をしたか、楽しく過ごしているか、異変がないかなど、

しっかりと把握できるので、施設から大浦家に入居された方のご家族などには特に評判が良く、

安心して任せて頂けていると感じます。

また、気になる点や要望、連絡事項も大浦家へメールで伝える事が出来るので、

大浦家に対して変な遠慮をする事がなく、気軽にやりとりをして頂いてます。

いかがでしょうか?

個人的には、介護施設のような介護記録をつけるよりも断然いいと思っています。

介護記録は何時にトイレに行ったとか、何時にリハビリをしたとか、

文字で把握はできますが、その時の様子まではわかりません。

また、笑顔でレクレーションに参加と書いていても、

心から楽しんでいる笑顔なのか、愛想笑いなのか。

そこまではわかりません。

文字で長々と書くよりも、その時の写真が一枚あるだけで、

なにも書かなくてもご家族はわかります。

なので、大浦家の入居者のご家族は誰よりも本人がどう過ごしているか知っています。

先日、こんなことがありました。

ある入居者の方から、今まで週3回通っていたデイサービスを辞めたいとの申し出があり、

ご家族と本人でよく話し合った結果、デイを辞める事になりました。

デイを辞めるにあたり、介護サービスが変更となる為、

担当のケアマネージャーやデイの方、福祉用具の方など関係者が集まり、

会議をする事になりました。

会議の後、ご家族はなにやらケアマネージャーやデイの方にご立腹の様子。

話を聞くと、ケアマネジャーに、

「デイを辞めたら外部との関わりが無くなるので、

閉鎖的になり、大浦家内部で何をしているかわからないので危ない。」

と、言うような事を言われたそうです。

普通は外部の方にそう言われると不安になりますが、

ケアマネジャーやデイの方以上に本人の大浦家での生活の様子を知っているご家族は、

全く不安になる事はなく、逆に大浦家に対してそんな疑念を持つケアマネジャーに怒りを覚えたという話でした。

(※ケアマネジャーとデイサービスが同じ会社という事もあり、

素直に聞き入れられなかった部分もあるかもしれません。)

報告以外にも閉鎖的なマイナス要素を無くす仕組みがあります。

①外部サービスの利用・サービス業者の自由選択、

②何かあったとしても隠ぺいする必要のない形があります。

①は、シェアハウスなので当然と言えば当然ですが、もし介護サービスの利用などをする場合、

介護施設などの場合、その施設を運営している会社の介護サービスしか利用できなかったりしますが、

大浦家は自分の好きなサービス・業者を自由に選択できます。

これは、もし大浦家に対して不安や疑念があった場合に利用して頂く事で、

信頼できる第三者から大浦家を見てもらう方法として、有効だと思っています。

②は、必要最小限の責任しか負わないという事。

大浦家は共同生活しているアパートの様なものであり、基本的に自由。

不自由な部分のお手伝いや外出活動を積極的に行っていますが、

これはあくまで大浦家の入居者に楽しく、元気に過ごしてほしいという善意の扶助で行っています。

なので、毎回必ずお手伝いをする事を保証しているものではありません。

必ず必要な事で、しっかりとしたサービスを受けたい場合は、

外部の介護サービスを契約して頂く様、入居前にしっかりと説明しています。

また、こちらが本人に危害を加えたなどの明らかな場合を除き、

事故や怪我等に対する責任は負わないとはっきり書面で説明しています。

こうする事で、大浦家は隠ぺいする理由それ自体を極力無くしています。

責任を負わないと言うと、不安に思うかもしれませんが、

そもそも、誰もが望む安心・安全を確保した上で楽しく、穏やかに過ごせる場所というのは、

目指すべき所ではあるものの、現実問題として大きな壁があります。

例えば、楽しくしようと思えば、何かしら活動をする必要があります。

しかし、動くという事は同時に事故のリスクが増える事を意味します。

逆に事故のリスク減らし、安心・安全を突き詰めると、

動かないのが一番安全なのです。

各施設のサービスの違いは、

ある意味、この二つをどのような割合で重要視し、

バランスを取っているかの違いと言えます。

大浦家は、リスクがあったとしても、残りの人生を出来る限り本人の好きなように、

人生を楽しむ事に比重を置いています。

だからリスクを恐れず積極的に活動していきますし、

そのリスクに対してご理解・ご納得頂いた方のみしか、大浦家には入居はできません。

(※誤解の無いように一応説明しておきます。

責任を負う必要がないからと言って無責任に対応するという事ではありません。

大浦家のスタッフは基本的に新規採用ではなく、

元々私の知っている信頼できる介護経験者や、施設経験者を採用しています。

皆、責任は負わずとも皆責任感をもって仕事をしていますし、

今までの経験で培った知識や経験をもって対応をしています。

つまり、活動する上においても、事故のリスクもしっかり考えた上で、

リスクが最小限になるような対応をし、活動しているという事です。)

ざっくりですが、説明するとこんな感じの仕組みになっております。

細かい事を言うとまだまだ説明し足りないのですが、

ざっくりでこんなに長くなってしまったので、

今回はこれくらいにしておきたいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました(*´▽`*)

認知症の方の手紙

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ

あきひこです。

最近、急に暖かくなってきて一気に春の陽気。

寒さに弱い私は今年も何とか冬を越せたと大喜びしております。

さて、ここ数日パソコンの中のデータを整理していたら、

私が大浦家を始める以前に書いた文章を発見しました。

読んでみたら、良いのか悪いのか言っている事が今と全然変わってませんでした(;^ω^)

ただ、この大浦家日記で書いてきたものよりも、

より細かく、丁寧に書いていて、とても分かりやすい文章でした。

せっかくなので、皆さんにも読んで頂けたらと思い、

大浦家日記にアップしようと思います。

少し長いですが、認知症の方の手紙の紹介などもありますので、

最後まで読ん頂けたらきっと何か感じて頂けると思います。

では、どうぞ。

 

「 手紙 ~親愛なる子どもたちへ~ 」

 

年老いた私がある日

今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても

靴ひもを結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時

同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずにうなずいていて欲しい

あなたにせがまれてくり返し読んだ絵本のあたたかな結末は

いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ

消え去ってゆくように見える

私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

あなたを追い回し何度も着替えさせたり

色々な理由をつけていやがるあなたと

お風呂に入った懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ

旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら

あなたがか弱い足で立ち上がろうと

私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり

自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで

それだけで私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた

多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って

笑顔で答えたい

私の子どもたちへ

愛する子どもたちへ

(作者不詳)

 

「 おかしくない 」

 

病気や障害には、

見た目からわかるものと、

見た目からはわからないものがあります。

見た目からわからないものの場合、

周囲の人にその病気や障害について、

知ってもらい、理解を求めていく事が大切になってきます。

例えば、私が病気や事故で片腕を失くしてしまった場合、

周囲の人は、私を見ただけで状況を理解します。

だから誰も、私に両手を使わないと行う事が難しい作業を頼むことはしないでしょう。

一方、私が病気や事故で聴力を失くしてしまった場合、

周囲の人は、私を見ただけでは、

私が聴力に障害があることを理解できないので、みんな話しかけてきます。

その為、私は、周囲の人に耳が聞こえない事を伝え、

理解してもらう事で初めて、

周囲の人は、私と接する際に言葉以外の方法をとるようになります。

このように見た目からはわからない病気や障害の場合、

周囲の人の「理解」が、とても重要になります。

認知症は、後者ですが、

この「理解」が、とても難しい。

なぜなら、認知症と一括りに言っても、人によって様々な症状があり、

対応の仕方もそれぞれ違います。

また、記憶障害や見当識障害など、

人が生活していく上でとても大切な脳の障害であるという事が、

認知症という病気を理解するのを難しくしています。

そして、身近で介護を行う人は、

「理解」するだけでなく、

理解した事を「実践」する力も必要になってきます。

この「実践」がさらに難しい。

長年介護をしている介護職員でも、

この「実践」が出来ている人はあまりいないのではないかと思います。

「実践」が難しいのは、

介護を行う人に「記憶力」と「感情」があるからです。

認知症になると、

もの忘れという記憶障害がおこることは、認知症にかかわる人であれば、

ほとんどの人が「理解」しています。

しかし、5分おきにトイレに行きたいと繰り返し訴える。

ご飯を食べたのに、食べてないと訴える。

自宅にいるのに、家に帰ると訴える。

このような事があると、

認知症という病気がそうさせていると理解していても、

つい、

「さっきトイレいきましたよ」

「さっきご飯食べましたよ」

「ここが家ですよ」

などと答えてしまいます。

これは、私達にはさっきそれをしたという「記憶」があるので、

何度も言われると、わかっていても、つい、

イライラの「感情」が芽生えてしまうのです。

「実践」とは、

この自分に湧いてくる感情をコントロールし、

認知症という病気がさせている事に振り回されずに対応出来る。という事です。

これができて初めて、

本人にとって落ち着く環境であったり、

きちんとした人間関係ができてくるのではないかと思います。

その他の症状も同じで、

周囲から見て、なぜその様な行動をするのか?という症状であっても、

本人にはきちんとした理由があったりします。

記憶障害や見当識障害が邪魔をして、

わかりずらくしているだけで、

考え方や感情の動きは私達と何も変わりません。

ですから、

その理由を見つけることが出来たら、案外その行動が理解できます。

自宅にいるのに、家に帰る。がいい例で、

多くの場合、今住んでいる自宅に関する記憶を障害され、

本人の中では自分が生まれ育った家の記憶しか残っていない為、

そのような言動が出てきている様に感じます。

自分の記憶している自宅に帰ろうとするのは当然なので理解できますよね。

私が言いたいのは、

認知症になったら頭がおかしくなって、意味不明な行動をしてしまう。

なにもわからなくなってしまう。

というイメージは間違いだという事です。

何もおかしくありません。

おかしいと思うのは、

その理由を私達が認識できていないからであって、

それを見えずらくしているのが、認知症という病気だという事です。

最後に、認知症の方が書いた詩をご紹介します。

 

「 目を開けて、もっと私を見て 」

 

何が見えるの

看護婦さん

あなたには何が見えるの

あなたが私を見る時

こう思っているのでしょう

気むずかしいおばあさん

利口じゃないし

日常生活もおぼつかなく目をうつろにさまよわせて

食べ物をぽろぽろこぼし返事もしない

あなたが大声で

「お願いだからやってみて」と言っても

あなたのしていることに気づかないようで

いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる

おもしろいのかおもしろくないのか

あなたの言いなりになっている

長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり

これがあなたが考えていること

あなたが見ていることではありませんか

でも目を開けてごらんなさい

看護婦さんあなたは私を見てはいないのですよ

私が誰なのか教えてあげましょう

ここにじっと座っているこの私が

あなたの命ずるままに起き上がるこの私が

あなたの意志で食べているこの私が

誰なのか

私は十歳の子供でした。

父がいて、母がいて兄弟、姉妹がいて、

皆お互いに愛し合っていました。

十六歳の少女は足に羽根をつけてもうすぐ恋人に会えることを夢見ていました。

二十歳でもう花嫁。

私の心は踊っていました。

守ると約束した誓いを胸にきざんで二十五歳で私は子供を産みました。

その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの。

三十歳、子供はみるみる大きくなる

永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて。

四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった。

でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました。

五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。

私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです。

暗い日々が訪れました。

夫が死んだのです。

先のことを考え不安で震えました。

息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから

それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました。

今私はおばあさんになりました。

自然の女神は残酷です。

老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。

体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ

かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ。

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて

何度も何度も

私の使い古しの心をふくらます。

私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す。

そして人生をもう一度愛して生き直す年月はあまりに短すぎ、

あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの。

そして何物も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。

だから目を開けてよ、

看護婦さん目を開けて見てください。

気むずかしいおばあさんではなくて、

「私」をもっとよく見て!

 

パット・ムーア著

「変装私は三年間老人だった」より。

 

この詩は、イギリス・ヨークシャーのアシュルディー病院の老人病棟で、

一人の老婦人が亡くなり、

彼女の持ち物を調べていた看護師さんが見つけたものです。

彼女は、重い認知症でした。

皆さんはこの詩を読んで、

この認知症の老婦人が頭のおかしい人だと思いますか?