認知症の方の手紙

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ

あきひこです。

最近、急に暖かくなってきて一気に春の陽気。

寒さに弱い私は今年も何とか冬を越せたと大喜びしております。

さて、ここ数日パソコンの中のデータを整理していたら、

私が大浦家を始める以前に書いた文章を発見しました。

読んでみたら、良いのか悪いのか言っている事が今と全然変わってませんでした(;^ω^)

ただ、この大浦家日記で書いてきたものよりも、

より細かく、丁寧に書いていて、とても分かりやすい文章でした。

せっかくなので、皆さんにも読んで頂けたらと思い、

大浦家日記にアップしようと思います。

少し長いですが、認知症の方の手紙の紹介などもありますので、

最後まで読ん頂けたらきっと何か感じて頂けると思います。

では、どうぞ。

 

「 手紙 ~親愛なる子どもたちへ~ 」

 

年老いた私がある日

今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても

靴ひもを結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時

同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずにうなずいていて欲しい

あなたにせがまれてくり返し読んだ絵本のあたたかな結末は

いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ

消え去ってゆくように見える

私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

あなたを追い回し何度も着替えさせたり

色々な理由をつけていやがるあなたと

お風呂に入った懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ

旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら

あなたがか弱い足で立ち上がろうと

私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり

自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで

それだけで私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた

多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って

笑顔で答えたい

私の子どもたちへ

愛する子どもたちへ

(作者不詳)

 

「 おかしくない 」

 

病気や障害には、

見た目からわかるものと、

見た目からはわからないものがあります。

見た目からわからないものの場合、

周囲の人にその病気や障害について、

知ってもらい、理解を求めていく事が大切になってきます。

例えば、私が病気や事故で片腕を失くしてしまった場合、

周囲の人は、私を見ただけで状況を理解します。

だから誰も、私に両手を使わないと行う事が難しい作業を頼むことはしないでしょう。

一方、私が病気や事故で聴力を失くしてしまった場合、

周囲の人は、私を見ただけでは、

私が聴力に障害があることを理解できないので、みんな話しかけてきます。

その為、私は、周囲の人に耳が聞こえない事を伝え、

理解してもらう事で初めて、

周囲の人は、私と接する際に言葉以外の方法をとるようになります。

このように見た目からはわからない病気や障害の場合、

周囲の人の「理解」が、とても重要になります。

認知症は、後者ですが、

この「理解」が、とても難しい。

なぜなら、認知症と一括りに言っても、人によって様々な症状があり、

対応の仕方もそれぞれ違います。

また、記憶障害や見当識障害など、

人が生活していく上でとても大切な脳の障害であるという事が、

認知症という病気を理解するのを難しくしています。

そして、身近で介護を行う人は、

「理解」するだけでなく、

理解した事を「実践」する力も必要になってきます。

この「実践」がさらに難しい。

長年介護をしている介護職員でも、

この「実践」が出来ている人はあまりいないのではないかと思います。

「実践」が難しいのは、

介護を行う人に「記憶力」と「感情」があるからです。

認知症になると、

もの忘れという記憶障害がおこることは、認知症にかかわる人であれば、

ほとんどの人が「理解」しています。

しかし、5分おきにトイレに行きたいと繰り返し訴える。

ご飯を食べたのに、食べてないと訴える。

自宅にいるのに、家に帰ると訴える。

このような事があると、

認知症という病気がそうさせていると理解していても、

つい、

「さっきトイレいきましたよ」

「さっきご飯食べましたよ」

「ここが家ですよ」

などと答えてしまいます。

これは、私達にはさっきそれをしたという「記憶」があるので、

何度も言われると、わかっていても、つい、

イライラの「感情」が芽生えてしまうのです。

「実践」とは、

この自分に湧いてくる感情をコントロールし、

認知症という病気がさせている事に振り回されずに対応出来る。という事です。

これができて初めて、

本人にとって落ち着く環境であったり、

きちんとした人間関係ができてくるのではないかと思います。

その他の症状も同じで、

周囲から見て、なぜその様な行動をするのか?という症状であっても、

本人にはきちんとした理由があったりします。

記憶障害や見当識障害が邪魔をして、

わかりずらくしているだけで、

考え方や感情の動きは私達と何も変わりません。

ですから、

その理由を見つけることが出来たら、案外その行動が理解できます。

自宅にいるのに、家に帰る。がいい例で、

多くの場合、今住んでいる自宅に関する記憶を障害され、

本人の中では自分が生まれ育った家の記憶しか残っていない為、

そのような言動が出てきている様に感じます。

自分の記憶している自宅に帰ろうとするのは当然なので理解できますよね。

私が言いたいのは、

認知症になったら頭がおかしくなって、意味不明な行動をしてしまう。

なにもわからなくなってしまう。

というイメージは間違いだという事です。

何もおかしくありません。

おかしいと思うのは、

その理由を私達が認識できていないからであって、

それを見えずらくしているのが、認知症という病気だという事です。

最後に、認知症の方が書いた詩をご紹介します。

 

「 目を開けて、もっと私を見て 」

 

何が見えるの

看護婦さん

あなたには何が見えるの

あなたが私を見る時

こう思っているのでしょう

気むずかしいおばあさん

利口じゃないし

日常生活もおぼつかなく目をうつろにさまよわせて

食べ物をぽろぽろこぼし返事もしない

あなたが大声で

「お願いだからやってみて」と言っても

あなたのしていることに気づかないようで

いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる

おもしろいのかおもしろくないのか

あなたの言いなりになっている

長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり

これがあなたが考えていること

あなたが見ていることではありませんか

でも目を開けてごらんなさい

看護婦さんあなたは私を見てはいないのですよ

私が誰なのか教えてあげましょう

ここにじっと座っているこの私が

あなたの命ずるままに起き上がるこの私が

あなたの意志で食べているこの私が

誰なのか

私は十歳の子供でした。

父がいて、母がいて兄弟、姉妹がいて、

皆お互いに愛し合っていました。

十六歳の少女は足に羽根をつけてもうすぐ恋人に会えることを夢見ていました。

二十歳でもう花嫁。

私の心は踊っていました。

守ると約束した誓いを胸にきざんで二十五歳で私は子供を産みました。

その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの。

三十歳、子供はみるみる大きくなる

永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて。

四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった。

でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました。

五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。

私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです。

暗い日々が訪れました。

夫が死んだのです。

先のことを考え不安で震えました。

息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから

それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました。

今私はおばあさんになりました。

自然の女神は残酷です。

老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。

体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ

かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ。

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて

何度も何度も

私の使い古しの心をふくらます。

私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す。

そして人生をもう一度愛して生き直す年月はあまりに短すぎ、

あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの。

そして何物も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。

だから目を開けてよ、

看護婦さん目を開けて見てください。

気むずかしいおばあさんではなくて、

「私」をもっとよく見て!

 

パット・ムーア著

「変装私は三年間老人だった」より。

 

この詩は、イギリス・ヨークシャーのアシュルディー病院の老人病棟で、

一人の老婦人が亡くなり、

彼女の持ち物を調べていた看護師さんが見つけたものです。

彼女は、重い認知症でした。

皆さんはこの詩を読んで、

この認知症の老婦人が頭のおかしい人だと思いますか?

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