大浦家・上津役家日記~R1.6月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。
ギリギリになりましたが、今月も何とか完成しました♪
今月も宜しくお願い致します!

「 会いたい 」

タケさんには、自らの人生の中で もう一度会いたいと願っている方がいて、
その方に合う為にどうしてももう一度生まれ故郷に戻りたいのだそうです。
彼がもう一度会いたいと願っている相手。
それは、『河童』です。 何を馬鹿な事をと思われるかもしれませんが、
本人は大真面目。
念の為言っておくと、認知症の症状などで言っている訳でもありません。
タケさんに詳しく話しを聞くと、
タケさんが青年の頃、 地元の山中の川べりで河童と遭遇し仲良くなったそうです。
それから数回河童と遊び、 時には河童の家に招待された事も あるとの事。
タケさんはその時の様子を本当に 体験した事の様に事細かに、
そして楽しそうに話します。
その当時も周囲の友人などにその事を話したそうですが、
誰も信じてくれず、 変に思われるので話すのを止めた そうです。
そのうち、河童に会いに行く事もなくなり、それっきりだそう。
当時から数十年が経ち、 改めて自分が体験した事が世迷言ではなく、
出会った相手が本当に 河童だったという事を確かめたい。
そう強く思う様になって来たそうです。
私も話を聞いていて、 その時の状況や場所、風景の説明も詳細で、
嘘や思い込みにしては細かいので、
正直、本当の事なのでは ないかと思っています。
私とタケさんが話している傍で、
きっと今まで飽きる程聞かされて 来たのでしょう。
また始まった。という顔で 奥様のヒロさんが呆れ顔をしています。
興味のある方は是非、 タケさんに話を聞きに来て下さい。
『もう一度だけ会いたい。』 そんな相手、皆さんにはいますか?

「 働くとは何ぞや 」

高齢者に関わる仕事をしていると、仕事をする。働く。とは、
一体どういう事なんだろう。
そんな事をよく考えさせられます。
私達は、それぞれを取り巻く環境や自分自身の想い等、
様々な理由を持って働いています。
自分の夢や目標を実現する為、 家族を養う為、必要に迫られて、 などなど。
出来る事なら働かずに悠々自適に 好きな事をして、遊んで暮らしたい。
そう思っている人も多いのではないでしょうか。
しかし、高齢者の方々と過ごしていると、
働くという事の別の側面を目にする事がしばしばあります。
例えば、
介護の現場では利用者の 生活意欲や活動意欲などを維持・ 増進する為に、
ケア計画に 「生活の中で役割を持つ」 という目標設定を目にする事がよくあります。
なぜこのような目標設定をするのか というと、
周囲の働きかけによってそういう 方向へ促して行かないと、
認知症の方は、
何をどうやって 行ってよいのかわからなかったり、
身体が不自由な方は、
自分は身体が不自由だから何も出来ないと思い込んでいたり、
不自由な身体を情けなく思い、 動く事への意欲を失っていたりします。
それをそのままにしておくと、 認知症が進行して対応が大変に なったり、
動かない事で身体の衰えが急速に進んだりして、
状態がどんどん悪い方へ向かう事が多いからです。
役割を持つとは、特別何か決まった事でなくてもかまいません。
重要なのは、誰かに必要とされ、 自分の力が役に立つ機会を作り、
自分は人の役に立つ力があるんだと実感出来るようにして行く事だと 思います。 実際の具体例としては、
大浦家家族のマルコさんが わかりやすいかもしれません。
元々ご家族と生活していた際は、 いつも部屋に籠って横になり、
外に出るのはデイサービスの時だけ。
認知症と難聴によりコミュニケーションをとるのは難しく、
気に入らない事があるとかなり暴力的になる事もあったようです。
また、物盗られ妄想という症状もあり、介護される事への拒否、
特にお風呂に入る事の拒否がかなり強くみられ、
長期間にわたりお風呂に入れていなかった時もありました。
デイサービスには通っていましたが、認知症の症状が激しく、
意思の疎通が難しい事から、
周囲の介護者も マルコさんをどの様に扱っていいのか分からず、
特に働きかけなどは 出来なかったようです。
しかし、大浦家に来て、小さな所からお手伝いを始め、
今では掃除や 調理の手伝い等も喜んで引き受けてくれ、
時には自ら 「何か手伝う事ないかね?」と、 申し出てくれます。
お風呂も拒否が無くなり、 外出を嫌がる事も無くなりました。
何より、入居前に比べて段違いに コミュニケーションが取れる様になりました。
このように、 「役割を持つ」または、
「誰かの役に立つ」 という環境が高齢者に与える影響は計り知れません。
そして、これが働くという事と どう関係してくるのかというと、
「働く」という事もまた役割であり、 誰かに必要とされ、
誰かの役に立つという側面を持っているのです。
不思議な事に、若い頃にお仕事をしていた方は、
お手伝いを沢山する様になればなるほど、
「昔はバリバリ働いていた。」 「昔は○○の仕事をしていた。」 など、
昔働いていた時の仕事の話をよく話すようになると感じます。
また、人間は誰かに必要とされないと、
前向きには生きていけないように出来ているとも感じます。
先日、TVを見ていると、 日本理科学工業という会社の物語を紹介していました。 この会社は『日本でいちばん大切にしたい会社』として大賞を受賞した会社で、
従業員は健常者よりも 知的障害者が多く、 かつ会社として成功している。
そんな世界でも稀な会社なのだそう。
この話の中で私の心にひっかかったのは、
仕事を手にした障害者の方達が何があっても仕事を手放そうとしなかったり、
高熱で体調が悪くても会社に出て来るといった、
障害者の方達の、仕事や働く事に対して、
私達健常者とは全く違う意識を持っていると感じさせるエピソードでした。
障害者の方達もまた、働くという事に対して、自分が必要とされている、
誰かの役に立っていると捉え、 喜びとしているようでした。
高齢者の方々も同じ様に、 歳を取り、子供も自立して自分の手を離れ、
今度は自分の身体が弱り、人の手を煩わせてしまう。
自分は煩わせるばかりで何の役にも立たない。
それならば何もせず、 じっとしていた方がいい・・・。
きっと高齢になると、 そんな風に思うのではないでしょうか。
だからこそ、必要とされ、
誰かの役に立って働く事の喜びや影響が大きいのかもしれません。
働こうと思えば働ける身体を持っている私達には、
見えずらく 感じにくい働くという事の本質を、
障害者の方達や高齢者の方達は敏感に感じ取っているのかもしれません。
先日、上津役家でこんなやりとりがあったそう。
ヒロさん
「なんかねぇ。最近、皆のお茶碗 洗ったらそれで終わりってなんか寂しい。」
サワさん
「ほんとねぇ。昔はもっと働いて お金もらいよったのにねぇ。」
ヒロさん
「ホントよー。今のこれじゃあ お金にもならんし、
雇ってもらえんね。なんかほんと寂しいね。」
スタッフ
「ここのお兄ちゃんがこの先お店をするって考えてるみたいやけ 大丈夫よ!
やけんそれまで二人 とも元気にしとかな!」
ふたり
「そんな馬鹿な事あるねー(笑)  こんなよぼよぼにお金くれる とかねー(笑)」
スタッフ
「本当よ!畑の野菜を漬物にしたり、煮物作ったりして売るってよ!」
ふたり
「それなら出来そうやね(笑)」
私やスタッフは大浦家や上津役家の 家族に必要とされています。
少なからず役に立っています。
「今日は疲れたなぁ」 なんて思う事もありますが、
実はそれすらもとても幸せな事なの かもしれません。
それならば、 皆が元気な内に少しでも早く 計画を実現し、
この幸せのお返しを しなくてはなりませんね。
最後に、 TVのお話しの中で お寺の住職さんが、
障害者の方を 雇う事を迷っていた日本理科学工業 の社長さんへ
説いた言葉をご紹介。
『人間の究極の幸せとは、 以下の4つです。
人に愛されること。
人に褒められること。
人の役に立つこと。
そして、 人から必要とされること。
障害者の方達が施設で保護されるのではなく、
企業で働きたいと願うのは、
社会で必要とされて 本当の幸せを求める人間の証なのです。』

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