大浦家・上津役家日記~R1.9月号~

「 あっという間 」 

シェアハウス上津役家が開設して、なんだかんだでもう1年になります。
去年の10月、大浦家で当社初の温泉旅行の最中にオープンし、
まだ一部改修中にもかかわらず、沢山の方に見学に来て頂き、
予想以上に早く満床になりました。
始めはとてつもなく広く感じた上津役家も、今では手狭に感じる程です。
とてもめまぐるしく、そしてあっという間の怒涛の1年間でしたが、
その分充実した1年でもありました。
それもこれも皆様のご厚誼のおかげでございます。
いつもありがとうございます。
皆様の支えと信頼があるからこそ、
当社がやりたい事をやらせて頂けるという事、
そして私達にとっては あっという間の1年間であっても、
入居者の方々にとっては、
大切な大切な1年間である事を忘れずにまた1年、
1日1日を大切に 積み重ねて行きたいと思います。

「 写真 」

以前も少し書いた事がありますが、
当社シェアハウスの特徴のひとつに、写真があります。
通常、介護施設などでは日常的に利用者の方の写真を撮る事はあまり無く、
催事やレクレーションなどの際に撮り、
撮影した写真は施設に面会などに訪れた時に
見る事ができるという形が多いように思います。
一方、当社は大浦家・上津役家合わせると、
毎日500枚前後もの写真を撮ります。
撮るのは、外出やレクレーションはもちろん、
何気ない日常のお手伝いの風景なども撮影しています。
撮影した写真は、ご家族へ今日1日どのように過ごしたかをお知らせする
報告メールに添付され、毎日送っています。
その他には、この大浦家・上津役家日記への掲載に使用しています。
当社がこの様に写真を撮るのにはいくつか理由があります。
1つ目は、
ご家族の安心と情報共有の為です。
施設であれば現在の状態を知るには、電話で問い合わせするか、
面会に行って自分の目で確認するしかありません。
しかし、ご家族によっては現在の状態が気になっていても、
お仕事などが忙しく中々面会に来れない方もいます。
そんな、どの様な方でも安心して見守り、支えて頂けるように、
さらに報告に写真を付ける事で、目で見て様子を確認出来る様にする事で、
より安心して頂けると考えております。
そして、これを毎日続けることで、自然と当社とご家族との、
ご本人の状態把握に差が出なくなります。
2つ目は、
状態比較の為です。
毎日、入居者の方々と接していると、
気付かないくらい徐々に機能が低下していて、実は以前出来ていて、
現在出来なくなっている事に気付きずらい事があります。
そんな時にも写真は役に立ちます。
普段の生活の状態の写真を毎日撮りためているので、
数ヶ月前、数年前はどうだったか、この作業や動きは出来ていたか?
そういった事も目で見て確認出来ます。
書類などの記録で状態の管理をする場合、
書き手によって出来る出来ないの判断が違ったり、
記録の表現の仕方によっては分かりずらかったりする為、
写真で判断出来る方が良い部分もあると思っています。
3つ目は、
1つ目と似ていますが、想い出の共有です。
介護などの人の生活を支える仕事は、長期に渡り利用者の方と接する為、
介護スタッフと利用者との間には自然と信頼関係も生まれ、
ふたりの思い出なども出来ます。
普通ならそれはふたりだけのもので終わり、ご家族が知る事はありません。
それは、現場の介護スタッフには自分と利用者の間で起きたそれらの事を、
ご家族にお知らせする機会自体があまりない事が、
大きな原因のひとつとして 考えられますが、
伝える機会がないのが当たり前の為か、
介護スタッフ自体にそれを伝えようとする考えがないように思います。
実際に、当社スタッフも写真を撮るという意識を持つのに
しばらく時間がかかりました。
自分達が利用者の方々と育んだ時間を、自分達のものだけにしない。
誰よりも大切に想い、私達に託してくれたご家族にも共有し、安心して頂く。
介護の『介』は仲介の『介』。
家族と本人の間をとりもつのも私達の仕事のひとつだと思います。
これらの理由から、当社は毎日沢山の写真を撮っています。
ご家族への報告メールや大浦家・上津役家日記にも載せきれなかった
良い写真も沢山ありますので、
いつかお披露目する機会を作りたいと思っています。

「 意味 」

『たとえ明日、 世界が滅亡しようとも、 今日私はリンゴの木を植える。』
マルティンルター

皆さんに質問。
やっても意味が無いと思われる事は しなくてもいいと思いますか?
冒頭のルターの名言を例にあげると、
あなたは明日、世界が滅亡すると 知っていても、今日リンゴの木を 植えますか?
もっとわかりやすく言い換えると、
あなたは明日、世界が滅亡すると 知っていても、今日仕事(学校)に行きますか?
答えは行く、行かないのどちらかに分かれ、そしてその理由は様々。
正解なんてありません。
そんな無意味な事せずに、残り少ない大切な時間をもっと他の大事な事に使う。
というのも正解。
ジタバタしてもしょうがないから普段通りに過ごす。というのも正解でしょう。
認知症介護をしていると、これと同じような問いにぶつかります。
それは、
『認知症の方に何かをしてあげる意味はあるのか?』 という問いです。
今や認知症は誰もが知る病気です。
そして認知症が忘れる病気だという事も、みなさん周知の事と思います。
そんな、何かをしてあげても数分後には忘れてしまう認知症の方に、
何かをしてあげる意味はあるのか?
一生懸命身の回りの世話をしても、楽しめる場所に連れて行っても、
個人差はありますが、数時間後には忘れてしまいます。
やってもやらなくてもその方の記憶には何も残らない・・・。
それどころか、普段身の回りの世話をしている私の事も
誰だか分からなくなったり、
私よりもたまに会いに来た他の人の事の方が良く覚えていたりと、
こちらの想いが報われず、悲しい思いをする事もあります。
介護職にこの問いをぶつけると、
さすがに表立って無意味と答える人はいないと思いますが、
実際の本心としてはそう思ってい る人も少なくありません。
認知症の方には必要最低限の事をして、
それ以外の時間はその他の利用者や重要な仕事に時間を使った方が良い。
そういった考え方も正解なのかも しれません。
私個人の意見としては、以前HP版大浦家日記にも書いた事がありますが、
記憶に残らなくても感情に残ると考えているので、無意味だとは 思っていません。
ただ、それも私自身の感覚であって、
皆さんを納得させる事が出来るだけの医学的・科学的な根拠が
あるわけでもありません。
もしかしたら私が、私自身の行動を正当化する為に、
それらしい理由付けをしているだけかもしれません。
改めてこの問いに対して考えて、最もシンプルな自分自身の答えに 至りました。
それは、
『やりたいから、やる。』 です。
意味があろうがなかろうが私に とっては関係ありません。
自分がやりたいと思うからただやっているだけなのです。
認知症の方の為でも、家族の為でもありません。
自分の為にやっているのです。
よって、私の場合はこうです。
『たとえ私以外の全ての人が
認知症患者に何かをしても無意味だと言おうとも、
今日私は彼らを笑わせる。』
スナガワー

カッコイイ感じにまとめましたが、要はただの自己中って事ですね。