大浦家・上津役家日記~R1.12月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ  
あきひこです。
新年明けましておめでとうございます。
昨年中はこの大浦家・上津役家日記をお読み頂き、
ありがとうございました!
本年も頑張って書いて参りますので、
引き続き読んで頂ければ嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。

実は今回の大浦家・上津役家日記12月号は、
年明け前に投稿する予定のものでした(^▽^;)
が、諸事情ありまして間に合わずこんな時間に・・・
という事で、内容が12月投稿予定の内容になっておりますが、
そこはそのつもりで読んで頂ければと思います。
では、図らずも新年一発目となってしまいました
大浦家・上津役家日記12月号!
どうぞ~♪

「 認知症の長所 」  

入居当初は帰宅願望があり、よく上津役家を抜け出していたアリさん。
今ではすっかり上津役家での生活にも慣れ、
生活リズムや食生活が安定したのもあってか、
通っているデイサービスの方も1人で生活していた時よりも
状態が良くなっていると、嬉しいお言葉を頂ける様になりました。
そんなアリさんですが、帰宅願望以外にも認知症がある為、
夜間などによく上津役家と自分が暮らしていた家がわからなくなったり、
今の自分の現状をまだよく理解出来ていなかった事もあり、
同じ相部屋で寝ているカメさんやイワさんと揉めることが良くありました。
夜間、カメさんやイワさんがトイレに行き、部屋に戻ってくると、
『誰だ!? なんで他人の家に断りも無く入ってくるんか!』 と怒鳴り、
その度に揉めて、スタッフが何とか双方をなだめる。
そんな事がよくありました。
その為、カメさんとイワさんはアリさんと関わるのを敬遠するようになりました。
色んな人と共同生活しているので、合わない人がいて当然です。
しかも、当シェアハウスには軽度から重度、
そしてそれぞれ違った症状の認知症の方々が居ますので、
尚更かもしれません。
それを無理に仲良くさせようとする必要は無いと思います。
大切なのはそれぞれの違いを知ってもらい、
自分や相手のストレスにならない様にシェアハウスでの
落ち着いた生活を創って 行く事です。
その過程の中で、たまに喧嘩をする事があってもいいと思っています。
血の繋がった家族でも喧嘩する事はあるのですから。
物事には良い面と悪い面が必ずあります。
それは、『記憶』についても同じ事がいえます。
例えば、トラウマ。
過去の嫌な記憶が残っている事で、
それ以前には出来ていた事が出来なくなったり、嫌になったり。
もしかしたら、この嫌な記憶さえ 残っていなければ、
このような事は起こらないのかもしれません。
先日、カメさんが玄関前の庭木の剪定をしていた時の事。
アリさんは、カメさんが剪定をしているのを見てスタッフに声を掛けます。
『あの爺さんは何しよん?』
「庭木の剪定をしてくれよるんよ。
気になるならアリさんも教えて もらってやってみたら?」
『そうか。』
そう言うと、何の躊躇もなく玄関先へ出て行き、カメさんに声を掛けます。
『それは何か切り方があるんですか?』
突然、敬遠していたアリさんに声を掛けられたカメさんは、
びっくりしてあっけにとられて いました。
それでも、これまでの事など何もなかったように声を掛け、
質問してくるアリさんを邪険にする事は出来ず、
「う、うん。  ここをこうやってな・・・」
と、応えてあげます。
しばらくして様子を見に行くと、
剪定ばさみを持ったアリさんが、
『大将!こんな感じでいいですか?』
そして、カメさんが、
「そうそう、んじゃ次ここ!」 と、
師匠と弟子の様な何とも微笑ましい光景が広がっていました。
その後、ふたりはしばらく楽しそうに剪定を続けたのでした。
この時、私はアリさんに、認知症の無い私達には到底難しい、
認知症特有の長所を見せられたような気がしました。
そして同時に、少しの嫌な記憶に 囚われる事で、
相手の良い部分を知る機会や自分の事を知ってもらう機会、
楽しく過ごす機会を失っている事。
そしてそれに囚われない事で広がる周囲の人との人間関係。
そんな人としての理想の姿を教えられたような気がします。
『 肯定的な人は、 最低の短所をして、 最高の長所とする。 』
ヘレン・ケラーの言葉です。
認知症は病気であり、
長所や短所に置き換えるのは間違っているのかもしれませんが、
それでも認知症になってしまったと悲しんでばかりいても、
辛いばかりで何も変わりません。
現在の状態・症状を受け入れて、肯定的な視点に立って考えてみる。
そしたら、現在の状態にあった楽しい生活を送ってもらえる関わり方が
見えてくるのかもしれません。
当社の様なシェアハウスが実現出来ているのも、
この認知症の長所があるからなのかもしれませんね。

「 逆さの鱗 」

この大浦家・上津役家日記を 毎月読んで頂いている方は、
お気付きかもしれませんが、私は小さい頃からよく屁理屈だと言われます。
そして自分で言うのもなんですが、比較的気が長い方で、
ほとんど怒る事はありません。
そんな私でも、昔から仕事中の同僚や上司、
他施設の方との交流時や公的な研修会などでの
介護職の何気ない発言や行動に対して、
怒る事はないのですが、イライラの感情を抱く事がよく ありました。
でも、自分がどの言動の何に対して そういった感情を抱いているのか、
よく分かりませんでした。
しかし最近、私が何に対してイライラしていたのか。
それがようやくわかりました。
きっかけはうちのスタッフの、これまた何気ない言葉でした。
それは、
『リビングに温度湿度計がほしい。』
というもの。
特におかしな事を言っているわけではないのに、
この時点で私の内心ではイライラが沸き起こっていました。
私は、
「何のためにですか?」 と、
返します。
すると、こう返ってきました。
『普通、介護施設にはあるで しょう。』
この瞬間に、私は自分の逆さの鱗がどこにあるのか自覚しました。
それは、世間では普通じゃない
『介護業界の普通』
そして、介護職の
『高齢者は守ってあげる対象』
という驕り。
この時の場合で言うと、高齢者は弱く守ってあげないといけないから、
自分達が過ごしやすい室温・湿度に管理してあげなければいけない。
介護業界ではどこも当たり前にしている事だからやった方が良い。
という、このふたつの思いから、自然と出て来た言葉なのです。
私の気持ちとしては、
『高齢者を弱者と決め付け、勝手に守ってやる対象に しないでほしい。
自分で判断し、行動する力がまだまだ沢山あるのだから。
そして、介護業界で当たり前 として行っている事が、
本当に介護者として正しい事なのか?
そして世間一般でも当たり前な事なのか自分の頭で考えて欲しい。』
という事です。
介護職の目的は利用者の『自立支援』であるはずです。
出来ない部分を手伝いつつ、自分で出来る部分を増やす、
もしくは維持出来るように支援していく。
それなのに、何でもかんでももっともらしい理由をつけて
支援する側が管理する事が本当に正しいのでしょうか?
管理してしまう事で本人が自分で行う機会や感じる機会、
判断する機会を介護者が奪ってしまってはいないでしょうか?
施設が年中快適に保たれる事で、考えたり感じたりする能力や、
季節の変化に対しての抵抗力が低下しているとは考えられないでしょうか?
人は十人十色。
支援する人も受ける人も様々。
正解は関わる人の数だけあるのかもしれません。
だからこそ、重要な役割を担う介護職には当たり前とか、
普通とか、そう教えられたからとかではなく、自らの頭で考えて、
本当にその利用者の方の支援の形として正しいと思った支援の方法で、
仕事をして欲しいと願っています。
以上、屁理屈で怒らない私にも逆鱗があったという、お話しでした。
今年ももうあとわずか。
今年はシェアハウスの家族も増え、本当に色々な事があった、
本当に充実した一年でした。
来年は大浦家、上津役家ともに 一泊旅行もあります。
さらに、各シェアハウスでは来年行う新しいチャレンジについても検討しています。
屁理屈な私とスタッフですが、(※スタッフは屁理屈ではありません。)
今年も最後まで、そして来年も、入居者の方々と一緒に、
全力で楽しんで生活していける様に頑張って参りますので、
今後共、皆様のご支援とご協力の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様、くれぐれもお身体にはご自愛頂き、良い年末をお過ごしください。
そしてまた、正月や正月明けに お元気なお顔を見て、
ご挨拶させて頂くのを、楽しみにしております。

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