大浦家・上津役家日記~R2.7月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。 
最近はいつも遅れ気味で申し訳ありません。
今月は少し脱線して、
うちの家族の話は全くありません(; ・`д・´)
普通の読み物としてお読み頂ければ幸いです。
では、どうぞ!

「 おそれ 」

コロナ禍による自粛や働き方の変化。
最近よく耳にする新しい生活様式。
やり慣れて来た仕事の進め方が変わって思う様にいかない、
思った時に行きたい所に行けない。
今迄当たり前に出来ていた事が出来ない。
皆さんは今年に入ってからのこの急激な変化に適応出来ているでしょうか?
最近、また落ち着いたかに見えたコロナが猛威を振るい始めました。
早く元の状態に戻ってくれないと
耐えられないという様なストレスを抱えてはいないでしょうか?
私達がこんな窮屈な思いを強いられているのも、
全ては恐ろしいコロナから逃れる為。

ここで皆さんに質問です。
  
人はなぜ恐れや不安を抱くのでしょうか?

そして、恐れや不安はどこから来るのでしょうか?

私が思うに、人が恐れや不安を抱くのは、
「わからない」から。

どこからくるのかは、わからない事で必要以上に広がる
「想像力」から。

ではないかと思います。
コロナとはどんな病気なのか?
どうやって感染し、どんな症状が出て、どうすれば治るのか?
どんな場合が重症化し、命に係わるリスクはどれくらいなのか?
それがはっきりわからないから、
色々と最悪の事態を想像してしまう。
もしかしたら私達は必要以上に自らを窮屈にしているのかもしれません。
例えば、
同じ感染症のインフルエンザは、
どのような病気なのかある程度わかっており、ワクチンも治療薬もあります。
だから、私達は自分達の生活様式を変えない程度の必要な予防をした上で、
恐れる事なく経済活動や余暇活動を送っています。
ですが、実際には2018年、2019年と
インフルエンザで亡くなった人は、
インフルエンザから肺炎を併発したり、
持病が悪化して亡くなった人を除いても、3000人以上もいます。
(インフルエンザが原因の関連死を含めると1万人にも上ります。)
治療法が確立していてもこれだけの犠牲が出るのです。
インフルエンザはそれほど恐ろしい病気なのです。
私は、コロナを恐れすぎだと言いたいわけではありません。
私が言いたいのは、
「わからない」という事と、
「わかっている」という事が及ぼす、
人への影響力の強さと、
急な環境変化が与えるストレスの大きさです。
同じ様にコロナ以前より、
この様な急な環境変化や恐れと闘い、
新しい生活様式を獲得する事を余儀なくされている人達がいます。
病気に罹った人、
事故にあった人、
親になった人、
親を亡くした人など、様々な方々がいます。
そして、私達の身近な存在、
高齢者の人達もまた同じ。
身体が弱ったり、持病が悪化して思う様に身体が動かなくなり、
今迄と同じ様に外出したり、旅行に行ったり、
気軽に外出したりという生活ができない。
認知症を罹い、色々な事がわからない、わからなくなっていく。
住み慣れた自宅での生活を続ける事が困難になり、
自分の想いに反して施設への入居を余儀なくされる。
人は基本的に変化を嫌います。
そしてそれは、歳をとるほど強くなっていくように思います。
そう考えると高齢者の方々の苦悩や葛藤、ストレスは計り知れません。
おそらく現在私達がコロナ禍で受けている
ストレスの比ではないでしょう。
それでも彼らはそれに負けず、
今を一生懸命に生きています。
恐れや不安に負けず、乗り越えていける人を、他人は勇敢と言います。
私達の身近には、そんな様々な困難を乗り越えて来た
勇敢な先人が沢山います。
彼らより若く、身体も元気な私達がコロナ禍のストレスくらいで
負けるわけにはいきません。
彼らを見習い、彼らに学び、恐れに打ち勝ち、
乗り越えていきましょう。
私達には勇敢な先人の血が流れているのですから。 

「 愛 」

以前書いた事がありますが、
私は新しい入居者の方を迎える時に、
病院や前施設、ご家族からの事前情報は参考程度に留め、
信じ込まない様に意識しています。
それは、もしかしたら本人にやらせていないから出来ないだけで、
本当はそれを行う能力が残っている可能性があるからです。
だから、何事も実際に自分で試し、
自分で確認した事だけを信じるようにしています。
実際にそれを意識するようになってから、
皆が出来ないと思っていた事を、
やらせてみたら出来たという事が何度もありました。
もっとわかりやすい例を挙げると、
自分が良く忘れ物をしてしまう人間だと気付けば、
忘れない様に対策をして、忘れ物を防ぐ事が出来ます。
この様に、
表面的に知っているつもりでいると失敗してしまったり、
本質を理解する事で、自分の行動を変えられる事があります。
私が最近耳にして、
これが本質ではないかと妙に納得をしたものについて、
少し書きたいと思います。

皆さんは、「差別」とは何だと思いますか?

辞書を引くと、
『区別し、差をつけること』という様な事が書いてあります。
よく聞くものでは、男女差別、人種差別、障害者差別。
あと、昔は部落差別というのもありました。
様々な差別があり、
差別により人が命を落とす事も、めずらしくありません。

皆さんは、差別は根絶するべき悪いものだと思いますか?
また、差別をこの世から無くす事が出来ると思いますか?

もうひとつ。

皆さんは、「愛」とは何だと思いますか?

辞書を引くと、
『かわいがり、いつくしむ心』という様な事が書いてあります。
よく言われる言葉に、『恋は下心、愛は真心』というのもありますね。

皆さんは、愛は尊く、大切なものだと思いますか?
また、愛をこの世から無くす事が出来ると思いますか?

皆さん。
ここまでの質問に回答出来ましたでしょうか?

では、私が耳にした言葉を皆さんにも。
  
『愛とは何か?・・・・愛とは、差別である。』
  
・・・・どうでしょうか?

私はこの言葉を聞いた時、衝撃を受けました。
「差別」に対して悪いイメージを持ち、
「愛」に対しては全く逆の、良いイメージを持っていたからです。
世間では、「差別」を無くすために声を上げデモ行進を行います。
そしてそれと同時に、「愛」を持つ事を訴え、愛は世界を救うと思っています。
つまり、差別を無くし平和を実現する為には、差別が必要だと言う、
矛盾する事を言っていたのです。
もちろんこれは、この言葉が正しければの話しですが・・・。
ただ、私のいたらない頭では、
どんなに考えても納得できる反論が思いつきません。
恋愛、親子愛、友愛、動物愛、自然愛。
どれをとっても「愛」は何かを特別にし、
特別なものが現れた瞬間に、
特別とそれ以外で「差別」が生まれてしまう。
「愛」が差別でないとしたら、
それは、
『全てに対して平等な無償の愛』
ですが、感情を持つ人間がこの愛を持つのは無理ではないかと思います。
もし、これらが間違いなのであれば、是非、私を捕まえて教えて下さい。
ただ、私はこの言葉を悪く捉えているわけではありません。
「愛は差別」
確かに。
私は知らない他人よりも、知人や家族を優先するし、
他の高齢者よりも、うちのシェアハウスの家族(入居者)を優先し、
誰よりも喜ばせたいと思います。
大切なのは、差別とは何かを知り、
自分が差別している事を認識し、
その差別が誰かを幸せにするものなのか、
傷つけるものなのかを考えた上で、
自らの行動を選択していく事なのではないかと思います。
世の中には、完全な善悪など、
はっきりと白黒つけられるものはあまり無く、
誰かの幸せが誰かの不幸になる事も少なくありません。
人生は楽しい事ばかりではありません。
もしかしたら、辛い事の方が多いのかもしれません。
それでも、全ての人が差別とは何かを知り、
その上でそれぞれが周囲の人達が幸せになる差別を選び取り、
それを行動に移して行けば、人を不幸にする差別が減り、
愛という名の差別が世界に溢れ、
よりよい世の中になるのではないでしょうか。 

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