大浦家・上津役家日記~R3.4月号~

 皆さんこんにちは(●´∀`)ノ あきひこです。
 今月も先月に引き続き、
 今月も大浦家・上津役家日記特別編をお送り致します。

「 閉鎖的に開放する 」

 今回は、大浦家の仕組みについてお話しします。
 またまた少し長くなりますが、
 あしからず。
 皆さんは、『閉鎖的』という言葉にどんなイメージを持っていますか?
 例えば、
 「大浦家は閉鎖的なシェアハウスらしいよ。」と、
 誰かが大浦家の噂話をしているのを聞いたら、
 大浦家に対してどんなイメージを持つでしょうか?
 おそらく、悪いイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。
 『閉鎖的』を辞書で調べてみると、
 ―自分自身、または仲間内の殻に閉じこもって
 外部のものを受け入れようとしないさま。
 とあり、確かに意味も何となく悪い感じがします。
 でも私は、『閉鎖的』って実は、
 良い事なんじゃないかって思っています。
 私の理解力不足かもしれませんが、私の感覚としては、
 「仲良し・強い絆・信頼=閉鎖的」
 なのです。
 仲良し二人組の間には、
 なかなか三人目が入り込む隙はありません。
 強い絆で結ばれた家族に他人が入っても、
 同じ強さの絆を築くのは困難です。
 絶対的に信頼している取引先を変える事はないでしょう。
 長い時間を共にし、
 様々な経験を共有して築いてきた人間関係は、
 自然と閉鎖的になるのではないか。
 そう思うので、どうしても悪いことだとは思えないのです。
 ただ、一般的に閉鎖的だと良くないと言っている意味もよくわかります。
 最近、介護施設や障害者施設の虐待のニュースをよく見かけます。
 閉鎖的な空間だと、
 そういった事が行われていても隠ぺいされ、周りが気付きにくく、
 本人も外部へ助けを求め難い。
 だからこそ、そういった事の無い様に開放的にして、
 常に外部から見守れる状態をつくることが、
 正しいサービスを行う上でも、
 利用者の安心を確保する上でも好ましい。
 そういうことだと認識しています。
 私が大浦家を創る際、
 一番にはじめに想い描いたのは、
 『家族のように生活する場』
 そして、
 『利用者家族も安心できる場所』
 です。
 なので、先に話したような良い面での閉鎖性を築きつつ、
 家族が普段の利用者の様子を
 しっかり把握する事の出来る開放性を実現できたらと考えました。
 「閉鎖的に開放する。」
 矛盾してますが、感覚として、
 それをテーマに仕組みを考えました。
 そしてそのための仕組みの一つが、大浦家・上津役家の報告方法です。
 大浦家と上津役家はシェアハウス
 なので、介護施設の様な日々の記録などはつける義務はありません。
 ただ、そのかわりに、
 一日の終わりにご家族に下記の様な報告のメールをしています。
 (報告メール例)
 こんばんは、大浦家の砂川です。
 今日はお手伝い、体操、お出掛け、などをして過ごしております。
 (※以下添付写真)
❘報告メール終了。

 こんな感じ。
 この様に写真を添付して報告する事で、
 今日は何をして過ごしたかだけでなく、
 その時の様子なども一目瞭然でわかる様にしています。
 また、こちら側としても、簡単な文章と写真の添付だけなので、
 ひとり1分もかからず報告出来、
 作業に時間を取られる事もありません。
 大浦家・上津役家のご家族は、
 この様な報告メールが毎日送られてくるので、
 今日何をしたか、楽しく過ごしているか、異変がないかなど、
 しっかりと把握できます。
 施設から大浦家に入居された方のご家族などには特に評判が良く、
 安心して任せて頂けていると感じます。
 また、気になる点や要望、連絡事項もメールで伝える事が出来るので、
 大浦家に対して変な遠慮をする事がなく、気軽にやりとりをして頂いてます。
 いかがでしょうか?
 個人的には、介護施設の様な介護記録をつけるよりも
 断然いいと思っています。
 介護記録は何時にトイレに行ったとか、何時にリハビリをしたとか、
 文字で内容は把握はできますが、その時の様子まではわかりません。
 また、笑顔でレクレーションに参加と書いていたとしても、
 心から楽しんでいる笑顔なのか、愛想笑いなのか。
 そこまではわかりません。
 文字で長々と書くよりも、その時の写真が一枚あるだけで、
 なにも書かなくてもご家族はわかります。
 なので、大浦家・上津役家の入居者のご家族は、
 誰よりも本人が毎日どう過ごしているか知っています。
 先日、こんなことがありました。
 ある入居者の方から、今まで週3回通っていたデイサービスを
 辞めたいとの申し出があり、
 ご家族と本人でよく話し合った結果、デイを辞める事になりました。
 デイを辞めるにあたり、介護サービスが変更となる為、
 担当のケアマネージャーやデイの方、福祉用具の方など関係者が集まり、
 会議をする事になりました。
 会議の後、ご家族はなにやら
 ケアマネージャーやデイの方にご立腹の様子。
 話を聞くと、ケアマネジャーに、
 「デイを辞めたら外部との関わりが無くなるので、閉鎖的になり、
 シェアハウス内部で何をしているかわからないので危ない。」と、
 いうような事を言われたそうです。
 普通は外部の方にそう言われると不安になりますが、
 ケアマネジャーやデイの方以上に
 本人のシェアハウスでの生活の様子を知っているご家族は、
 全く不安になる事はなく、
 逆に弊社に対してそんな疑念を持つケアマネジャーに
 怒りを覚えたという話でした。
 報告以外にも閉鎖的なマイナス要素を無くす仕組みがあります。
 ①外部サービスの利用・サービス業者の自由選択。
 ②何かあったとしても隠ぺいする必要のない契約内容。 
 ①は、シェアハウスなので当然と言えば当然ですが、
 シェアハウス入居中に介護サービスの利用をする場合、
 例えば、通常の介護施設などの場合、
 その施設を運営している会社の介護サービスしか
 利用できなかったりしますが、
 大浦家は自分の好きなサービス・業者を自由に選択できます。
 これは、もし弊社に対して不安や
 疑念があった場合に利用して頂く事で、
 信頼できる第三者から弊社を見てもらう方法として、
 有効だと思っています。
 ②は、弊社は必要最小限の責任しか負わないという事。
 シェアハウスは共同生活しているアパートの様なものであり、
 基本的に自由。
 不自由な部分のお手伝いや外出活動を積極的に行ってはいますが、
 これはあくまで弊社の入居者に楽しく、
 元気に過ごしてほしいという考えに基づいた善意の扶助で行っています。
 なので、毎回必ずお手伝いをする事を保証しているものではありません。
 必ず必要な事で、しっかりとした
 サービスを受ける事が望ましい部分については、
 自社、もしくは外部の介護サービス事業者と契約して頂く様、
 入居前にしっかりと説明しています。
 また、こちらが本人に危害を加えたなどの明らかな場合を除き、
 事故や怪我等に対する責任は負わない事をはっきり書面で説明した上で、
 ご契約頂いております。
 こうする事で、弊社は隠ぺいする理由それ自体を極力無くしています。
 責任を負わないと言うと、不安に思うかもしれませんが、
 そもそも、誰もが望む安心・安全を確保した上で楽しく、
 穏やかに過ごせる場所というのは、目指すべき所ではあるものの、
 現実問題として大きな壁があります。
 例えば、楽しくしようと思えば、何かしら活動をする必要があります。
 しかし、動くという事は同時に事故のリスクが増える事を意味します。
 逆に事故のリスク減らし、安心・安全を突き詰めると、
 ベッドに横になったまま動かないのが一番安全という事になります。
 たくさんある高齢者施設のサービスの違いは、ある意味、
 この二つをどのような割合で重要視し、
 バランスを取っているかの違いと言えると思います。
 弊社は、リスクがあったとしても、
 残りの人生を出来る限り本人の好きな様に、
 人生を楽しむ事に比重を置いています。
 だからリスクを恐れず積極的に活動していきますし、   
 そのリスクに対してご理解・ご納得頂いた方のみしか、
 入居して頂く事はできません。
 (※誤解の無いように補足説明させて頂きます。
 責任を負う必要がないからと言って無責任に対応する
 という事ではありません。
 弊社のスタッフは基本的に介護施設未経験者の採用はほどんど無く、
 元々私の知っている信頼できる介護経験者や、施設経験者を採用しています。
 皆、責任は負わずとも皆責任感を持って仕事をしていますし、
 今までの経験で培った知識や経験をもって対応をしています。
 つまり、活動する上において、
 事故のリスクもしっかり考えた上で、
 リスクが最小限になるような対応をし、活動しているという事です。
 ただそれでも、極力自由に過ごして頂ける様にしている為、
 どうしても防げない事故も起りえます。)
 細かい事を言うとまだまだ説明し足りないのですが、
 ざっくり説明するとこんな感じの仕組みになっております。 

「 お天道様 」

 日本には八百万といわれるほど、沢山の神様がいます。
 海外の多神教と違うのは、その存在が目に見えない事。
 名前も姿形もない神様が沢山いるという事でしょうか。
 たとえば、
 「コメの一粒にも神が宿る」
 なんて言葉もありますが、その神様の名前も姿も知りませんよね。
 思うに、昔の人々はこのように沢山神様が居て、
 常に自分の行いを見られていると思う事によって、
 自らの行いを律し、清く正しく生きようとしたのかなぁ。
 なんて思います。
 その代表格が「お天道様」
 私は信仰心などはなく無宗教ですが、
 日本人の特性なんでしょうか?
 お天道様はいつも見ていてくれるから、頑張っている人、
 正しく生きている人はいつかきっと報われる。
 だから人が見ていなくても、悪い事はしちゃいけない。
 そんな意識が小さな頃からあったように思います。
 今も無くはないのですが、
 私も36歳(掲載当時)とおっさんになり、色々な現実を知り、
 少し考え方が変わってきました。
 お天道様は私の行いを見ている。
 私が頑張っている時も、そうでない時も。
 ただ、私が正しい行いをしていたとしても、
 お天道様が手を差し伸べてくれるなんて事は無く、
 良い事も悪い事も、ただただ暖かく見守るだけ。それが現実。
 でも、ひとつ言える事がある。
 お天道様は手を貸してくれる事は無いが、
 人は手を貸してくれるという事。
 清く正しく生き、頑張っている人には、
 お天道様が手を差し伸べるまでもなく、
 周囲の人々が手を差し伸べてくれる。
 そう、今は考えています。
 自分が清く正しく生きているとは思ってはいませんが、
 少しでも、そうあろうと思います。

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