大浦家・上津役家日記~R3.8月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
お待たせいたしました。
今月もどうぞよろしくお願い致します。

「 いつを生きるのか 」

新型コロナウイルスの感染数が各地で増えてきているようです。
ネットを見ると、コロナウイルスに関する情報は多種多様で、
ワクチンひとつとっても推進派、慎重派、反対派と専門家の中でも意見は様々。
専門家でも考えがバラバラなものを、
素人の私達が何が正しいのかわかるわけもなく、
この多すぎる情報の中で、一体どれが本当に信頼できる情報なのか、
見つける事さえ難しい状況だと感じます。
コロナ禍になり、高齢者を取り巻く環境も一変しました。
亡くなった際に陽性判定が出ると最後に顔を見て見送る事も出来ず、
次に会うのは遺骨となってから。
高齢者施設や病院では、一部リモート対応をしている所はあるものの、基本的には面会謝絶。
久々に会った時には、コロナに感染したわけではないのに、
変わり果てた姿になっていて悲しくなったという話を、よく聞きます。
ワクチン接種が進み、感染者の重症化を防ぎ、
集団免疫を獲得できたらきっと元の生活に戻れる。
そう信じてもう少しの間、会うのは辛抱しよう。
そう考えている方も多いのではないでしょうか。
もちろん私も、一日も早くその日がやってくる事を心から願っています。
ただ、ひとつ思う事があります。
以前にも書いた事があるかもしれませんが、
私は大浦家・上津役家の家族のみんなの喜び・楽しみになると思った事は、
可能な限り最短、最速で実行してきました。
それは、家族の皆が今日元気でも、
明日元気である保証はどこにもないと思っているからです。
昔、やってあげたいと思った事を先延ばしにしている間に、
身体の状態が悪くなってしまったり、
亡くなってしまい、
なぜすぐにやらなかったのかと、強烈に後悔した経験があるからです。
だから、この、「もう少しの間の辛抱」を、
するべきなのか悩んでしまいます。
例えば、
コロナの感染拡大に伴い、
今年のお盆は帰省しなかったという方が沢山いると思います。
仮に、
最近ではお盆と正月くらいしか顔を合わせる事が無くなってしまった
故郷の両親や祖父母が、
来年にはいなくなってしまうとわかっていたとしたら、
それでも帰省を延期するべきなのでしょうか?
亡くなってしまったら2度と顔を見る事も、話す事もできません。
これは、決して大げさな話ではなく、
私自身の感覚としては、
実際に起こりえる現実的な問題です。
なぜなら、ここ数年日本では、
毎年130万人程の方が亡くなられており、その7割以上を占めるのが、
75歳以上の高齢者です。
単純計算でもざっと90万人の高齢者の方々が
毎年亡くなっている計算になります。
わかりやすく言うと、
毎年北九州市の全人口と同じ位、
高齢者の方が亡くなっているという事です。
例えコロナ禍じゃなくても、
来年自分の大切な家族が元気でいる保証なんて、どこにもないのです。
先に書いた通り、
私自身もそういう経験を沢山してきました。
今どんなに元気でも、1年後には亡くなってしまう。
設立して5年しかたっていない大浦家だけで考えても、
サエさん、マサさんがそうでした。
亡くなる1年前には、
まさか2人がいなくなってしまうなんて、想像もしていませんでした。
今現在、先が長くないだろうと担当医に言われている方もいます。
スタッフは身体機能が落ちない様に、
体操や身体を動かすレクレーション、
近所の散歩などをするようにしてくれていますが、
それでも全体的に大浦家・上津役家家族の身体機能が
今まで以上に早く落ちてきているのを感じる度に、怖くなります。
コロナ禍だからと辛抱し続けて本当にいいのか・・・。
もちろん外出以外の施設内で出来る事も沢山ありますが、
それにも限界があります。
そして何より私は、
残りどれくらい一緒に過ごせるかわからない
大浦家・上津役家家族の皆に、
一回でも多く喜びや楽しさを感じてもらいたい。
笑顔になって欲しい。
諦めていた事を実現してあげたい。
だから、そう感じてもらえると思った事は、全てやりたいのです。
散々迷った末に、
弊社では、最初の緊急事態宣言が出た当初、
ご家族の方々に極力最小限にして下さいとお願いして以降、
当人にとっては楽しみのひとつであろう、ご家族との面会を制限するのは止めました。
面会以外にも、病院受診以外でのご家族との外出なども、
感染予防対策をした上で、以前と変わらずにして頂いております。
今後も制限する気はありませんし、それ以外の事も検討しています。
恐らく、この弊社の対応については賛否両論あるでしょう。
日々コロナと戦っている医療従事者の方や、同業の方などからは、
高齢者の命を危険にさらしている。
命を軽視していると、特に厳しいお叱りを受けるかもしれません。
もし、弊社でコロナ感染者が出たら、
ほら見た事かと皆に責められるかもしれません。
わかっています。
わかっているからこそ、ずっと悩み続けてきたのです。
でも私は思うのです。
非難や批判、目に見えない病気を恐れて不確実な未来に賭けるよりも、
出来る限りの対策をした上で、
今、こうして目の前で笑顔を見せて確実に生きている大切な皆と一緒に、
『 今を全力で生きたい。 』と。

大浦家・上津役家日記~R3.7月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今月の大浦家・上津役家日記も過去のブログから、
評判の良かったものを紙面で読んで頂いている方へ読んで頂こうと、
少し加筆修正を加えたものになっております。
ブログで一度読んで頂いた方も、改めて読んでみると、
また違った発見があるかもしれませんので、
お読み頂けると幸いです。

「 クイズです! 」

 あなたは介護職員です。
 あなたの勤める介護施設入居しているあきひこさん。
 あきひこさんはアルツハイマー型の認知症で帰宅願望が強く、
 目を離すとすぐに外に出ようとします。
 普段は気さくで温厚な性格ですが、
 機嫌が悪い時は、すぐにカッとなり怒鳴ります。
 そのあきひこさんがある日、
 あなたの事を見て駆け寄ってきて、
 あなたに向かって次の様に訴えてきました。 
  この時、あなたならまず始めに何と声を掛けるでしょうか?
  
 次の中から選んでください。
  
 ①今日はもう遅いから、明日にしたらどうですか?
  
 ②もうすぐご家族が迎えに来るので、もう少し待ちましょう。
  
 ③ご飯を用意してますので、食べて行って下さい。
  
 ④そうですか。気を付けて帰って下さいね。
  
 さぁ、あなたなら①~④の内、どの声掛けをするでしょうか?
  
 回答を選び、
 なぜその声掛けをするのか、
 その理由まで考え付きましたら、次の章へお進み下さい。 

「 正解 」

 皆さんは、先程のクイズの解答に
 何番を選んだでしょうか?
  
 ①今日はもう遅いから、明日にしたらどうですか?
  
 ②もうすぐご家族が迎えに来るので、もう少し待ちましょう。
  
 ③ご飯を用意してますので、食べて言って下さい。
  
 ④そうですか。気を付けて帰って下さいね。
  
 実はこれ、
 どれを選んでも正解です。
 「なんじゃそりゃ!」
 と、思われるかもしれませんが、
 相手は人間。
 間違いなんてありません。
 どれを選んでもうまくいくかもしれないし、
 うまくいかないかもしれません。 
 ただし、私の中ではより良い正解があります。
 それは、④です。
 より良いとは、
 あきひこさんの帰宅願望を治める為に、
 一番うまくいく可能性が高い正解という事です。
 ④を選んだ方は認知症介護に
 向いているかもしれません。
 では、なぜ④なのか。
 それを理解して頂く為に、
 今から皆さんを少しだけ、
 認知症の方の世界へご案内したいと思います。
 では、今から私の言う事を想像してみて下さい。
  
 ・・・想像してください。
  
 あなたは、ふと気が付くと見た事もない場所に居ます。
 あなたの周りには知らない人が
 沢山います。
  
 「ここはどこなんだろう?」 

 「どういう経緯でここに居るんだっけ?」

 「うーん。思い出せない。」

 「よくわからないが、
 とりあえず何とかして家に帰らなければ・・・。」
  
 そう思ったあなたは、
 たまたま自分の横を通りかかった人に声を掛けます。
 「家に帰らないといけないので、失礼します。」
  
 はい。ここまで。
 想像出来ましたか?
  
 さて、この時のあなたの混乱や不安な気持ちを踏まえ、
 改めて考えてみて下さい。
 最後に声を掛けた人に、次の様に声を掛けられたら、
 あなたならどうしますか?

 ①今日はもう遅いから、明日にしたらどうですか?
 ②もうすぐご家族が迎えに来るので、もう少し待ちましょう。 
 ③ご飯を用意してますので、食べて言って下さい。
  
 どこだかわからない場所で、
 名前も知らない人にこの様に言われて、
 あなたは素直に応じるでしょうか?
 私なら知らない人にこんな事を突然言われたら、
 何か怖い、怪しい、と思ってしまいます。
 では、これはどうでしょう?
 ④そうですか。気を付けて帰って下さいね。
 どうですか?
 不信感も何も抱かないのではないでしょうか?
 そう、それこそ④が一番うまくいく可能性の高い正解である理由です。
 もし、①②③の解答で不信感を抱いてしまったら、
 その後、その怪しい人に何を言われようが、
 聞く耳を持ちませんよね。
 この第一声で不信感を持たれないようにする事は、
 その後の対応に大きく響いてくるので、
 とても重要だと私は思っています。
 この様に、その方の視点から考えてみると、
 ④が正解である理由に
 皆さんご納得頂けたのではないでしょうか。
 認知症は記憶の障害を伴う病気だという事は、
 皆さんもご存知だと思います。
 知っているのにうまく対応できないのは、
 知識として知っているのと、
 自らの知恵(その知識を自分の身に染み込ませ、行動できる事)として
 身に付けている事とでは、
 普段の行動、言動にあきらかな差があるからだと思います。
 という事で、以上解答編でした。 
  
 「いやいや!④が正解なのは理解できたけど、
  でも実際④を言ったら本当に帰っちゃうじゃん!」
  と、心の中でツッコミを入れたあなた! 

  ご安心ください。次章で説明致します。 

「 その後の対応 」

 その後の対応方法については、
 利用者様の反応によってその都度対応が変わって来る為、
 各対応方法について細かく説明するとかなり長くなってしまうので、
 一番オーソドックスな対応方法とその流れを簡単に説明します。
 まず大まかな流れは、
  
 ①良い第一印象
  
 ②信頼関係をつくる
  
 ③楽しい会話
  
 ④妥協案提示
  
 ⑤施設に戻る
  
 以上の流れになります。 
 
 全ての流れの中で注意しなければいけない事は、
 良く観察し、
 その方の精神状態の変化をしっかりつかんだ上で、
 その方が一番ストレスを残さずに、
 自然に戻って頂けるような誘導を心掛ける事です。
 では、流れに沿って説明しましょう。
 クイズの解答通り、
 あきひこの
 「家に帰らないといけないので、失礼します。」
 との声掛けに対し、
 ④の
 「そうですか。気を付けて帰って下さいね。」
 と答えました。
 あきひこはそのまま外に出て行ってしまいます。
 こちらは後について外まで出て、笑顔でお見送りします。
 すると、あきひこは外に出たものの、
 その場所の土地勘がない為、どっちに行けば帰れるのかわかりません。
 そこで、帰る手伝いを買って出ます。
 住所を聞いて方角を教えたり、 
 必要であれば近所の方に道を尋ねたりして、
 まず自分が怪しい人ではなく、
 親切な人、信頼できる人間だと感じてもらいます。
 これがうまくいかないと、
 こちらが何を言っても聞く耳を持ってもらえません。
 次に、利用者様の精神状態を見ながら、
 帰れなくて不安だろうという話から、
 徐々に楽しい話へシフトしていきます。
 (※普段から、どの様な会話をすると楽しめるのかを探っておくと、
       この様な時によりスムーズに対応できます。)
 ほどんどのケースでは、
 楽しい会話を続けているうちに、
 「帰ろう」と思った事を忘れているので、
 ある程度歩いて不安感が落ち着いた所で休憩を提案し、
 施設へ戻って来ます。
 そうでない場合は、歩き疲れた所で妥協案を提示します。
 例えば、
 「まだお家までかなりかかりそうですけど、大丈夫ですか?」
 「あっ!そういえば以前あきひこさんのご家族にご挨拶した時に、
   連絡先を聞いていました!もし良かったら、
   電話して迎えに来てもらえないか聞いてみましょうか?」
 こんな感じです。
 始めにこれを言うと不審に思われる可能性がありますが、
 信頼関係が出来、楽しい会話をした後になると、
 疲れもある為か、驚くほどすんなりと聞き入れてもらえます。
 その後、電話をする為と言って施設へ戻ります。
 認知症であっても、
 強い感情や想いは継続する傾向にありますが、
 それがある程度解消され安心感を持つと、
 本来の状態に戻りますので、
 後はその方の記憶保持能力に応じて楽しい会話を続ける事で、
 ストレスをあまり感じずに施設での生活に戻る事が出来ます。
 以上が、その後の対応方法となります。
 現在の高齢者施設では、
 このような帰宅をしようとされる方がいる場合、
 (※一般的には徘徊と呼ばれますが、呼称が嫌いなのでここでは
       帰宅と書かせて頂きます。)
 施設の玄関に施錠をして、
 外に出られない様にしている所が多いのが現状です。
 しかし、施錠する事では解決するどころか、
 閉じ込められる事でより「帰りたい」という想いを
 強くしてしまい、いつまでたっても落ち着かないという事が起きます。
 落ち着いたとしたら、それは絶望した時なのではないでしょうか。
 私はこのような方を数人見させて頂いた経験がありますが、
 大変であっても毎回今回の様に対応して行く事で、
 ほとんどの方が落ち着きました。 
 いつでも好きな時に外に出れる。
 そして、ある程度満足した状態で施設に戻る事でストレスを残さない。
 それが、うまく対応する上で、
 一番大切な事なのではないかと思います。 

大浦家・上津役家日記~R3.6月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。  
先月は大浦家・上津役家日記をブログにアップせず、
すみませんでした。
実は先月も紙面では大浦家・上津役家日記特別編をお送りしておりますが、
ブログではすでにアップしている内容なので、
同じものをアップするのもなぁ・・・。
と思い、先月はブログの方にはアップしませんでした。
今月は久しぶりに通常運転で新しい内容を書きました。
読んで頂ければ嬉しいです。

「二度目の別れ」

令和3年5月12日。
大浦家九女である、
ユミさんが天国へと旅立ちました。
享年82歳。
彼女とは私が独立する前からの付き合いでした。
私がまだ施設に勤めている時に、
彼女はその施設にやってきました。
彼女はいつもニコニコ顔で上品な笑顔を絶やさない人でした。
しかし、その笑顔とは裏腹に、
その首元にはいつもサポーターのような物を巻いており、
その下には目を覆いたくなるほどの火傷の跡がありました。
入居前、彼女は中咽頭側壁癌という、
喉のあたりの癌が見つかり、放射線治療を受けました。
その放射線によってできた傷でした。
当時ご家族に聞いた話によると、
治療当時は首回りなどの体の表面だけでなく、
癌を死滅させる為に放射線を当てた部分の体の中、
口や喉の中まで焼けただれ、
水や唾を飲み込むのでさえ激痛を伴うほどだったと聞きました。
そんな大変な治療を経て病気に打ち勝ち、
今、こうして目の前で何事も無かったかのように
上品に笑う彼女を見て、
とても強い人なんだなぁと思ったのを覚えています。
その後、時間がたつにつれて火傷の跡も薄くなり、
食事も食べられる様になり、
彼女がどんどん元気を取り戻して来た頃。
私は施設を退職する事になり、
彼女との付き合いも終わってしまうものだと思っていました。
それから1年ほど経ち、
私が独立して大浦家を設立してしばらく経った頃。
突然、知らない番号からケータイに着信が入ります。
「はい、砂川です。」
『〇〇です。』
「???」
名前を聞いてピンと来なくて
しばし無言になった私の様子を悟ったのか、
「以前施設でお世話になったユミの娘の〇〇です。」
と続け、やっとわかりました。
私は以前の施設の関係者には、
連絡先はもちろん、独立する事も伝えていなかったので、
まさか以前勤めていた施設の入居者ご家族から
連絡があるとは思ってもいませんでした。
聞くと、現在入居している施設を退去させたいと思い
別の施設を探していた所、偶然大浦家のHPを見つけ、
そこに載っている写真に私が写っているのに
気付いてお電話を下さったとの事でした。
その後、見学、体験入居を経て、
彼女は大浦家の一員となりました。
久しぶりに会った彼女は、
私の事は忘れていたようでしたが、
それでも以前と変わらない上品な笑顔を私に向けてくれ、 
とっても嬉しかった事を覚えています。
彼女は几帳面でよく働く方でした。
洗濯物や掃除、調理、買い出しなど、
お手伝いをお願いすると嫌な顔ひとつせずに
いつもの笑顔でひきうけてくれました。
そういえば、こんな事がありました。
彼女は、認知症の症状として、
色々な物を収集し持って行ってしまうという症状があり、
彼女がいつも持っている小さなバッグには、
洗濯ばさみや残したおやつ、ティッシュや服用後の薬の空袋などが
綺麗に畳まれて入っていました。
スタッフは定期的に彼女がいない隙を狙い、バックの中身を回収、
整理して対応していたのですが、
ある時、ご家族が面会に来るたびにバックやタンスの中に
色々な物が収集されているのを見て、
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」と、
お電話を頂いた事がありました。
私は色々な物を一生懸命収集している彼女を、
なんだか可愛らしいというか微笑ましく思いながら、
止める事なく横目で見守っていたので、
まさかの謝罪のお電話にびっくりしてしまいました。
ご家族には、
『全然気にしなくていいですよ。
 誰にも迷惑はかかっていないので。
 それに、それをする事で少しでも彼女の気持ちが安心したり、
 落ち着くのであれば、それが一番ですから。』と伝え、
「よかった。そう言って頂けると嬉しいです。」と言って頂き、
引き続きスタッフや私が微笑みながら
横目で彼女を見守る日々を続ける事になりました。
その後、彼女とは色んな所に行き、
色んな事をしました。
日々のお出かけはもちろん、
大衆演劇やサーカス、ボーリング場、
カラオケボックス、グリーンパークのバラフェア、
別府への1泊2日の旅行にも行きました。
今、これまでに撮った数えきれないほどの彼女の写真を眺めながら、
彼女と過ごした日々や思い出が、 
走馬灯のように頭の中を駆け巡っています。
不思議なのは、
彼女は好き嫌いもあり、小食だった筈なのに、
良い表情の写真は、
決まって何かを食べている時の写真だという事です。
そして今年の3月。
彼女は熱を出し、入院する事になりました。
20日ほどして退院となったのですが、
驚いたのは、
入院中ほどんど食事を摂ろうとしなかったとの事で、
ただでさえ痩せていた彼女が、さらに痩せた状態だった事です。
それでも、
入院前と変わらず上品な笑顔を私達に向けてくれる彼女に、
これから出来るだけご飯を食べて体重を戻して行こうと声を掛け、
一緒に笑いました。
しかし、
帰ってきてからも彼女は中々食事を摂ろうとはしてくれませんでした。
食事を摂ろうとしない彼女を見たかかりつけの内科医は、
終末期に差し掛かっているのだろうとの判断でした。
私も亡くなる前に食事を食べなくなる方は何度も見てきたので、
医師がそう判断するのもうなずけます。
上津役家の家族だった
タケさんも、シマさんもそうだったから・・。
でも・・・でも・・・。
彼女は違う。
そう思いました。
理由は2つありました。
ひとつは、
退院後、かかりつけの訪問歯科に診察に来てもらった所、
口の中の状態がかなり悪くなっているとの事で、
すこし歯や歯茎にものが触れただけでもかなり痛がる様な状態だった事。
これが食事を摂ろうとしない原因ではないかと思いました。
もうひとつは、
私が今まで見てきた方は、  
そのほどんどがただ食べないだけでなく、身体機能や生活意欲など、
全体的に弱っていく方がほどんどでした。
彼女は食事を食べず、
歩行も不安定にはなっていましたが、
それ以外は今までと変わらず
レクレーションやお手伝いを笑顔でやってくれており、
問題は食事の面だけだったからです。
彼女はまだ82歳。
老衰で亡くなるには早い。
きっと癌に打ち勝った時のように、
今回も乗り越えて元気になってくれる。
そう信じていました。
もちろんご家族も同様でした。
兎にも角にもまずは口の中の状態を良くする事が先決。
歯科医の指示の元、
毎日3回、痛がり、嫌がり、
抵抗する彼女をなんとかなだめながら、スタッフは彼女の歯を磨きます。
ただ、口の状態はすぐ治るものではない為、
同時に彼女が少しでも口にしてくれるものはないかと、
スタッフは思いつく限りの食べ物、お菓子、栄養ドリンクを勧めたり、
ミキサー食を作ってみたりします。
ご家族も彼女が食べてくれそうな好きだった
食べ物やお菓子などを持って来てくれました。
栄養補助ドリンクやチョコレートなど、
少しは口にしてくれるようになりましたが、
身体の栄養状態を維持するのには全然足りないくらいの量でした。
このままでは食べられる状態になる前に
栄養が不足して弱ってしまうか、
脱水を起こしてしまう・・・。
そこでご家族と話した上で、
乗り気ではない医師に何とか頼み込み、
訪問看護による点滴をして頂く事になりました。
そして点滴を開始して1週間程。
改善は見られず、点滴の疲れもあってか、
彼女は徐々に眠る時間が増えてきて、
トレードマークの上品な笑顔も見られなくなっていきました。
遠方に住む息子さんが状況を聞いて胸騒ぎを感じたと、
心配して急遽駆けつけてくれました。
医師はもう先は長くないだろうとご家族に話し、
点滴もやめるとの判断を下しました。
それでもまだご家族も、私達も信じていました。
長時間の点滴で疲れて眠っている事が多いので、
点滴をやめて意識がはっきりしている時間が増えたら、
口の状態も良くなって来ているので
もしかしたら食べてくれるかもしれない・・・。
そして、
令和3年5月12日朝。
スタッフから彼女の呼吸がかなり浅くなっており、
反応もほとんどないとの報告を受け、
すぐにご家族、医師、訪問看護、ケアマネに連絡。
ご家族や関係者に見守られながら、
彼女は天国へと旅立ちました。
ご家族は涙を流しながら彼女との別れを惜しみ、
顔や頭を撫で、彼女を抱きしめていました。
その後、訪問看護の方々の勧めで
訪問看護の方々と一緒に彼女の身体を綺麗に拭き、
綺麗な格好に着替えをさせてあげていました。
私は何もできず、
ご家族に気の利いた言葉をかけることもできず。
ただただ茫然と立ち尽くし、
その様子を見守る事しか出来ませんでした。
覚悟をしていなかったわけじゃありません。
最近の状態から、医師の言う通り、
もう先が長くないかもしれないと、
頭の中では感じていました。
でも、それ以上に彼女の生命力を信じたい。
まだまだ一緒に色々な事をしたい。
その気持ちの方が強く、
それを受け入れられなかったんだと思います。
私も20年近くこの仕事に携わり、
それなりに別れも経験してきましたが、今だにわからずにいます。
私はどうするのが正しかったんだろうか?
無為にご家族に希望を持たせ過ぎて
余計に悲しませてしまったんじゃないか?
最後を安らかに迎えようとしていた彼女に痛い、
苦しい思いをさせてしまったんじゃないか?
何度考えても答えは出ません。
その後、コロナ禍という事もあり、
葬儀は家族葬という形で行われる事になりました。
私はご家族の許可を頂いた上で葬儀屋の方と話し、
他の弔問者の方々がいないタイミング、
短時間で手を合わせたらすぐに引き上げる事、
マスクや手指消毒などの感染予防を徹底した上で、
病院受診などで行けない方を除く
大浦家の家族のみんなと一緒に、
最後のお別れに伺う事にしました。
帰り際、まだ気持ちの整理もつかず、
彼女の死を受け止められず、
悲しみの中にいるはずのご家族の皆様から、
「皆さんも身体に気を付けて、母の分まで元気でいて下さいね。」
と、声を掛けて頂きました。
私はそれを聞いて、
ご家族の気持ちを思うと胸を締め付けられ、
声を発する事ができず、
ただただ頭を下げる事しか出来ませんでした。
後日、やっと少し落ち着いたとの事でご家族から連絡を頂きました。
突然の事で悲しいのは当然ですが、
最後に家族で看取る事が出来て、
大浦家で大浦家の皆さんに囲まれた状態で
最期を迎える事が出来て良かったと思っています。
と言って下さいました。
私達は、彼女と過ごした日々、
彼女のあの笑顔、彼女に教えてもらったことを決して忘れません。
本当にありがとうございました。
 
「天国の貴方へ」
  
お元気ですか?
そちらでサエさん、マコさん、
タケさん、シマさんと仲良くやっていますか?   
こちらは貴方の笑顔が見られなくなって、
心に穴が開いたようで、
まだなんだか寂しいです。
でも、大丈夫。
貴方の分まで皆で笑って過ごせるように頑張るよ。
しんどくなったら、
昔趣味で油絵を描いていて、
自宅に沢山作品があるからと、
ご家族が持って来てくれた
貴方が描いた素敵な油絵が
大浦家の廊下に飾ってあるから、
それを見て気合を入れ直すよ。
だからどうかあの絵を通して皆の事を見守っていて下さいね。
思い返せば、
私と貴方は二度出会いましたね。
一度目は私が勤めてた施設で。
二度目は大浦家で。
一度目は私の都合でお別れになり、
二度目は貴方の都合。
次に貴方とまた出会う時には
もう別れる事はないと思うから、
これでおあいこかな。
それまではそちらの皆と楽しく、
のんびり過ごして待っててね。
本当に、ありがとう。

大浦家・上津役家日記~R3.4月号~

 皆さんこんにちは(●´∀`)ノ あきひこです。
 今月も先月に引き続き、
 今月も大浦家・上津役家日記特別編をお送り致します。

「 閉鎖的に開放する 」

 今回は、大浦家の仕組みについてお話しします。
 またまた少し長くなりますが、
 あしからず。
 皆さんは、『閉鎖的』という言葉にどんなイメージを持っていますか?
 例えば、
 「大浦家は閉鎖的なシェアハウスらしいよ。」と、
 誰かが大浦家の噂話をしているのを聞いたら、
 大浦家に対してどんなイメージを持つでしょうか?
 おそらく、悪いイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。
 『閉鎖的』を辞書で調べてみると、
 ―自分自身、または仲間内の殻に閉じこもって
 外部のものを受け入れようとしないさま。
 とあり、確かに意味も何となく悪い感じがします。
 でも私は、『閉鎖的』って実は、
 良い事なんじゃないかって思っています。
 私の理解力不足かもしれませんが、私の感覚としては、
 「仲良し・強い絆・信頼=閉鎖的」
 なのです。
 仲良し二人組の間には、
 なかなか三人目が入り込む隙はありません。
 強い絆で結ばれた家族に他人が入っても、
 同じ強さの絆を築くのは困難です。
 絶対的に信頼している取引先を変える事はないでしょう。
 長い時間を共にし、
 様々な経験を共有して築いてきた人間関係は、
 自然と閉鎖的になるのではないか。
 そう思うので、どうしても悪いことだとは思えないのです。
 ただ、一般的に閉鎖的だと良くないと言っている意味もよくわかります。
 最近、介護施設や障害者施設の虐待のニュースをよく見かけます。
 閉鎖的な空間だと、
 そういった事が行われていても隠ぺいされ、周りが気付きにくく、
 本人も外部へ助けを求め難い。
 だからこそ、そういった事の無い様に開放的にして、
 常に外部から見守れる状態をつくることが、
 正しいサービスを行う上でも、
 利用者の安心を確保する上でも好ましい。
 そういうことだと認識しています。
 私が大浦家を創る際、
 一番にはじめに想い描いたのは、
 『家族のように生活する場』
 そして、
 『利用者家族も安心できる場所』
 です。
 なので、先に話したような良い面での閉鎖性を築きつつ、
 家族が普段の利用者の様子を
 しっかり把握する事の出来る開放性を実現できたらと考えました。
 「閉鎖的に開放する。」
 矛盾してますが、感覚として、
 それをテーマに仕組みを考えました。
 そしてそのための仕組みの一つが、大浦家・上津役家の報告方法です。
 大浦家と上津役家はシェアハウス
 なので、介護施設の様な日々の記録などはつける義務はありません。
 ただ、そのかわりに、
 一日の終わりにご家族に下記の様な報告のメールをしています。
 (報告メール例)
 こんばんは、大浦家の砂川です。
 今日はお手伝い、体操、お出掛け、などをして過ごしております。
 (※以下添付写真)
❘報告メール終了。

 こんな感じ。
 この様に写真を添付して報告する事で、
 今日は何をして過ごしたかだけでなく、
 その時の様子なども一目瞭然でわかる様にしています。
 また、こちら側としても、簡単な文章と写真の添付だけなので、
 ひとり1分もかからず報告出来、
 作業に時間を取られる事もありません。
 大浦家・上津役家のご家族は、
 この様な報告メールが毎日送られてくるので、
 今日何をしたか、楽しく過ごしているか、異変がないかなど、
 しっかりと把握できます。
 施設から大浦家に入居された方のご家族などには特に評判が良く、
 安心して任せて頂けていると感じます。
 また、気になる点や要望、連絡事項もメールで伝える事が出来るので、
 大浦家に対して変な遠慮をする事がなく、気軽にやりとりをして頂いてます。
 いかがでしょうか?
 個人的には、介護施設の様な介護記録をつけるよりも
 断然いいと思っています。
 介護記録は何時にトイレに行ったとか、何時にリハビリをしたとか、
 文字で内容は把握はできますが、その時の様子まではわかりません。
 また、笑顔でレクレーションに参加と書いていたとしても、
 心から楽しんでいる笑顔なのか、愛想笑いなのか。
 そこまではわかりません。
 文字で長々と書くよりも、その時の写真が一枚あるだけで、
 なにも書かなくてもご家族はわかります。
 なので、大浦家・上津役家の入居者のご家族は、
 誰よりも本人が毎日どう過ごしているか知っています。
 先日、こんなことがありました。
 ある入居者の方から、今まで週3回通っていたデイサービスを
 辞めたいとの申し出があり、
 ご家族と本人でよく話し合った結果、デイを辞める事になりました。
 デイを辞めるにあたり、介護サービスが変更となる為、
 担当のケアマネージャーやデイの方、福祉用具の方など関係者が集まり、
 会議をする事になりました。
 会議の後、ご家族はなにやら
 ケアマネージャーやデイの方にご立腹の様子。
 話を聞くと、ケアマネジャーに、
 「デイを辞めたら外部との関わりが無くなるので、閉鎖的になり、
 シェアハウス内部で何をしているかわからないので危ない。」と、
 いうような事を言われたそうです。
 普通は外部の方にそう言われると不安になりますが、
 ケアマネジャーやデイの方以上に
 本人のシェアハウスでの生活の様子を知っているご家族は、
 全く不安になる事はなく、
 逆に弊社に対してそんな疑念を持つケアマネジャーに
 怒りを覚えたという話でした。
 報告以外にも閉鎖的なマイナス要素を無くす仕組みがあります。
 ①外部サービスの利用・サービス業者の自由選択。
 ②何かあったとしても隠ぺいする必要のない契約内容。 
 ①は、シェアハウスなので当然と言えば当然ですが、
 シェアハウス入居中に介護サービスの利用をする場合、
 例えば、通常の介護施設などの場合、
 その施設を運営している会社の介護サービスしか
 利用できなかったりしますが、
 大浦家は自分の好きなサービス・業者を自由に選択できます。
 これは、もし弊社に対して不安や
 疑念があった場合に利用して頂く事で、
 信頼できる第三者から弊社を見てもらう方法として、
 有効だと思っています。
 ②は、弊社は必要最小限の責任しか負わないという事。
 シェアハウスは共同生活しているアパートの様なものであり、
 基本的に自由。
 不自由な部分のお手伝いや外出活動を積極的に行ってはいますが、
 これはあくまで弊社の入居者に楽しく、
 元気に過ごしてほしいという考えに基づいた善意の扶助で行っています。
 なので、毎回必ずお手伝いをする事を保証しているものではありません。
 必ず必要な事で、しっかりとした
 サービスを受ける事が望ましい部分については、
 自社、もしくは外部の介護サービス事業者と契約して頂く様、
 入居前にしっかりと説明しています。
 また、こちらが本人に危害を加えたなどの明らかな場合を除き、
 事故や怪我等に対する責任は負わない事をはっきり書面で説明した上で、
 ご契約頂いております。
 こうする事で、弊社は隠ぺいする理由それ自体を極力無くしています。
 責任を負わないと言うと、不安に思うかもしれませんが、
 そもそも、誰もが望む安心・安全を確保した上で楽しく、
 穏やかに過ごせる場所というのは、目指すべき所ではあるものの、
 現実問題として大きな壁があります。
 例えば、楽しくしようと思えば、何かしら活動をする必要があります。
 しかし、動くという事は同時に事故のリスクが増える事を意味します。
 逆に事故のリスク減らし、安心・安全を突き詰めると、
 ベッドに横になったまま動かないのが一番安全という事になります。
 たくさんある高齢者施設のサービスの違いは、ある意味、
 この二つをどのような割合で重要視し、
 バランスを取っているかの違いと言えると思います。
 弊社は、リスクがあったとしても、
 残りの人生を出来る限り本人の好きな様に、
 人生を楽しむ事に比重を置いています。
 だからリスクを恐れず積極的に活動していきますし、   
 そのリスクに対してご理解・ご納得頂いた方のみしか、
 入居して頂く事はできません。
 (※誤解の無いように補足説明させて頂きます。
 責任を負う必要がないからと言って無責任に対応する
 という事ではありません。
 弊社のスタッフは基本的に介護施設未経験者の採用はほどんど無く、
 元々私の知っている信頼できる介護経験者や、施設経験者を採用しています。
 皆、責任は負わずとも皆責任感を持って仕事をしていますし、
 今までの経験で培った知識や経験をもって対応をしています。
 つまり、活動する上において、
 事故のリスクもしっかり考えた上で、
 リスクが最小限になるような対応をし、活動しているという事です。
 ただそれでも、極力自由に過ごして頂ける様にしている為、
 どうしても防げない事故も起りえます。)
 細かい事を言うとまだまだ説明し足りないのですが、
 ざっくり説明するとこんな感じの仕組みになっております。 

「 お天道様 」

 日本には八百万といわれるほど、沢山の神様がいます。
 海外の多神教と違うのは、その存在が目に見えない事。
 名前も姿形もない神様が沢山いるという事でしょうか。
 たとえば、
 「コメの一粒にも神が宿る」
 なんて言葉もありますが、その神様の名前も姿も知りませんよね。
 思うに、昔の人々はこのように沢山神様が居て、
 常に自分の行いを見られていると思う事によって、
 自らの行いを律し、清く正しく生きようとしたのかなぁ。
 なんて思います。
 その代表格が「お天道様」
 私は信仰心などはなく無宗教ですが、
 日本人の特性なんでしょうか?
 お天道様はいつも見ていてくれるから、頑張っている人、
 正しく生きている人はいつかきっと報われる。
 だから人が見ていなくても、悪い事はしちゃいけない。
 そんな意識が小さな頃からあったように思います。
 今も無くはないのですが、
 私も36歳(掲載当時)とおっさんになり、色々な現実を知り、
 少し考え方が変わってきました。
 お天道様は私の行いを見ている。
 私が頑張っている時も、そうでない時も。
 ただ、私が正しい行いをしていたとしても、
 お天道様が手を差し伸べてくれるなんて事は無く、
 良い事も悪い事も、ただただ暖かく見守るだけ。それが現実。
 でも、ひとつ言える事がある。
 お天道様は手を貸してくれる事は無いが、
 人は手を貸してくれるという事。
 清く正しく生き、頑張っている人には、
 お天道様が手を差し伸べるまでもなく、
 周囲の人々が手を差し伸べてくれる。
 そう、今は考えています。
 自分が清く正しく生きているとは思ってはいませんが、
 少しでも、そうあろうと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.3月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今回の大浦家・上津役家日記は特別編と題し、
このHP版にだけ書いた内容を、
紙面のみで読んで頂いている方々の為に掲載する事にしました。
いつもHP版で読んで頂いている方にとっては
同じ内容になりますが、改めて読んで頂ければ嬉しいです。

「 大浦家・上津役家日記特別編 」

今月号より、
大浦家・上津役家日記特別編と題し、
今まで私がこの紙面とは別に、
HPのブログだけに書いたお話しを公開していきたいと思います。
「 手紙 ~親愛なる子どもたちへ~ 」

 年老いた私がある日
 今までの私と違っていたとしても
 どうかそのままの私のことを理解して欲しい
 私が服の上に食べ物をこぼしても
 靴ひもを結び忘れても
 あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
 あなたと話す時
 同じ話を何度も何度も繰り返しても
 その結末をどうかさえぎらずにうなずいていて欲しい
 あなたにせがまれてくり返し読んだ絵本のあたたかな結末は
 いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
 悲しい事ではないんだ
 消え去ってゆくように見える
 私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい
 楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり
 お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
 あなたを追い回し何度も着替えさせたり
 色々な理由をつけていやがるあなたと
 お風呂に入った懐かしい日のことを
 悲しい事ではないんだ
 旅立ちの前の準備をしている私に
 祝福の祈りを捧げて欲しい
 いずれ歯も弱り飲み込む事さえ
 出来なくなるかも知れない
 足も衰えて立ち上がる事すら
 出来なくなったなら
 あなたがか弱い足で立ち上がろうと
 私に助けを求めたように
 よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい
 私の姿を見て悲しんだり
 自分が無力だと思わないで欲しい
 あなたを抱きしめる力がないのを
 知るのはつらい事だけど
 私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
 きっとそれだけで
 それだけで私には
 勇気がわいてくるのです
 あなたの人生の始まりに
 私がしっかりと付き添ったように
 私の人生の終わりに
 少しだけ付き添って欲しい
 あなたが生まれてくれたことで
 私が受けた
 多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って
 笑顔で答えたい
 私の子どもたちへ
 愛する子どもたちへ
 (作者不詳)

 「 おかしくない 」

 病気や障害には、
 見た目からわかるものと、
 見た目からはわからないものがあります。
 見た目からわからないものの場合、
 周囲の人にその病気や障害について、
 知ってもらい、理解を求めていく事が大切になってきます。
 例えば、病気や事故で片腕を失くしてしまった人が居たとします。
 周囲の人は、その人を見ただけで状況を理解できます。
 だから誰も、
 その人に両手を使わないと出来ない作業を頼むことはしないでしょう。
 一方、病気や事故で聴力を失くしてしまった場合、
 周囲の人は、
 その人見ただけでは聴力に障害があることがわからないので、
 みんな話しかけてきます。
 その為、まず始めに周囲の人に耳が聞こえないことを
 理解してもらう事で初めて、
 周囲の人はその人と接する際に
 言葉以外の方法でコミュニケーションをとるようになります。
 このように見た目からはわからない病気や障害の場合、
 周囲の人の「理解」がとても重要になります。
 認知症は、後者ですが、
 この「理解」がとても難しい。
 なぜなら、認知症と一括りに言っても、人によって様々な症状があり、
 対応の仕方もそれぞれ違います。
 また、記憶障害や見当識障害など、
 人が生活していく上でとても大切な脳の障害であるという事が、
 認知症という病気を理解するのを難しくしています。
 そして、身近で介護を行う人は、
 「理解」するだけでなく、
 理解した事を「実践」する力も必要になってきます。
 この「実践」がさらに難しい。
 長年介護をしている介護職員でも、
 この「実践」が出来ている人はあまりいないのではないかと
 思います。
 「実践」が難しいのは、
 介護を行う人に「記憶力」と「感情」があるからです。
 認知症になると、
 記憶障害がでることは認知症を知っている人であれば、
 ほとんどの人が「理解」しています。
 しかし、5分おきにトイレに行きたいと繰り返し訴える。
 ご飯を食べたのに、食べてないと何度も訴える。
 自宅にいるのに、家に帰ると訴える。
 このような事があると、
 認知症という病気がそうさせていると理解していても、
 つい、
 「さっきトイレいきましたよ」
 「さっきご飯食べましたよ」
 「ここが家ですよ」
 などと答えてしまいます。
 これは、私達にはさっきそれをしたという「記憶」があるので、
 何度も言われると、
 障害だとわかっていてもつい、
 イライラの「感情」が芽生えてしまうのです。
 「実践」とは、
 この自分に湧いてくる感情をコントロールし、
 認知症という病気がさせている事に振り回されずに対応しようとする。
 という事です。
 これができて初めて、
 本人にとって落ち着く環境であったり、
 きちんとした人間関係ができてくるのではないかと思います。
 その他の症状も同じで、
 周囲から見て、なぜその様な行動をするのか?という症状であっても、
 本人にはきちんとした理由があったりします。
 記憶障害や見当識障害が邪魔をして、
 わかりずらくしているだけで、
 考え方や感情の動きは私達と何も変わりません。
 ですから、
 その理由を見つけることが出来たら、案外その行動が理解できます。
 自宅にいるのに、家に帰る。
 がいい例で、
 多くの場合、今住んでいる自宅に関する記憶を障害され、
 本人の中では自分が生まれ育った家の記憶しか残っていない為、
 そのような言動が出てきているケースがよくあります。
 自分の記憶している自宅に帰ろうとするのは当然なので
 理解できますよね。
 私が言いたいのは、
 認知症になったら頭がおかしくなって、意味不明な行動をしてしまう。
 なにもわからなくなってしまう。
 というイメージは間違いだという事です。
 何もおかしくありません。
 おかしいと思うのは、
 その理由を私達が認識できていないからであって、
 それを見えずらくしているのが、
 認知症という病気だという事です。
 最後に、認知症の方が書いた詩をご紹介します。

 「 目を開けて、もっと私を見て 」

 何が見えるの
 看護婦さん
 あなたには何が見えるの
 あなたが私を見る時
 こう思っているのでしょう
 気むずかしいおばあさん
 利口じゃないし
 日常生活もおぼつかなく
 目をうつろにさまよわせて
 食べ物をぽろぽろこぼし
 返事もしない
 あなたが大声で
 「お願いだからやってみて」と
 言っても
 あなたのしていることに
 気づかないようで
 いつもいつも靴下や靴をなくして
 ばかりいる
 おもしろいのかおもしろくないのか
 あなたの言いなりになっている
 長い一日を埋めるために
 お風呂を使ったり食事をしたり
 これがあなたが考えていること
 あなたが見ていることでは
 ありませんか
 でも目を開けてごらんなさい
 看護婦さんあなたは
 私を見てはいないのですよ
 私が誰なのか教えてあげましょう
 ここにじっと座っているこの私が
 あなたの命ずるままに
 起き上がるこの私が
 あなたの意志で食べているこの私が
 誰なのか
 私は十歳の子供でした。
 父がいて、母がいて兄弟、
 姉妹がいて、
 皆お互いに愛し合っていました。
 十六歳の少女は足に羽根をつけて
 もうすぐ恋人に会えることを
 夢見ていました。
 二十歳でもう花嫁。
 私の心は踊っていました。
 守ると約束した誓いを胸にきざんで二十五歳で私は子供を産みました。
 その子は私に安全で幸福な家庭を
 求めたの。
 三十歳、子供はみるみる大きくなる
 永遠に続くはずのきずなで母子は
 互いに結ばれて。
 四十歳、息子たちは成長し、
 行ってしまった。
 でも夫はそばにいて、私が悲しま
 ないように見守ってくれました。
 五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
 私の愛する夫と私は再び子供に
 会ったのです。
 暗い日々が訪れました。
 夫が死んだのです。
 先のことを考え不安で震えました。
 息子たちは皆自分の子供を育てて
 いる最中でしたから
 それで私は、過ごしてきた年月と
 愛のことを考えました。
 今私はおばあさんになりました。
 自然の女神は残酷です。
 老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。
 体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ
 かつて心があったところには
 いまでは石ころがあるだけ。
 でもこの古ぼけた肉体の残骸には
 まだ少女が住んでいて
 何度も何度も
 私の使い古しの心をふくらます。
 私は喜びを思い出し、
 苦しみを思い出す。
 そして人生をもう一度愛して
 生き直す年月はあまりに短すぎ、
 あまりに速く過ぎてしまったと
 私は思うの。
 そして何物も永遠ではないという
 厳しい現実を受け入れるのです。
 だから目を開けてよ、
 看護婦さん目を開けて見てください。
 気むずかしいおばあさんではなくて、
 「私」をもっとよく見て!

 パット・ムーア著
 「変装私は三年間老人だった」より。

 この詩は、イギリス・ヨークシャーのアシュルディー病院の老人病棟で、
 一人の老婦人が亡くなり、
 彼女の持ち物を調べていた看護師さんが見つけたものです。
 彼女は、重い認知症でした。
 皆さんはこの詩を読んで、
 この認知症の老婦人が頭のおかしい人だと思いますか?

大浦家・上津役家日記~R3.2月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。  
今月も遅くなりましたが、 読んで頂ければ嬉しいです。

水平線に向かって

「水平線に向かって」

私は分かろうとする
言葉をもたない
海の心の本当のところを
いつまでたっても
水平線に向かって私はこぎ続ける
不毛かもしれない
無意味かもしれない
いつまでたっても
何も分からないかもしれない
水平線の向こうには
また水平線があるだけだ
言葉のように波音が聞こえる
心のように雲影が流れていく
魂の色をして月が昇ってくる
答えのように風が私を通りすぎる
分かることではない
分かろうとすること
いつまでたっても
水平線に向かって私はこぎ続ける
そして私には
分かりかけてくる
海に抱かれて
この私の本当のところが
(出典:「徘徊と笑うなかれ」藤川幸之助)

「 介護者の鏡 」

人の振り見て我が振り直せ
人を以て鑑となす
他人は自分を映す鏡

①Aさんは認知症。何度もトイレに行きたいと訴える。
●「さっきトイレに行ったよ。」と答える。

②Bさんは不安感が強く、頻繁にスタッフを呼びとめる。
常に誰かが相手をしていないと落ち着かない。
●他の利用者対応や業務に忙しく、
「あとで来るからちょっと待ってね。」と答える。

③Cさんは歩行が不安定で、
ひとりでの歩行は転倒の可能性が高い。
手引きでの介助があればゆっくりではあるが、
十数メートルは歩行可能。
●転倒のリスクを防ぐため、移動は全て車イスでの対応とした。

④利用者の方達が共有スペースで暇そうに過ごしている。
●人前に立って何かするより、
落ち着いてゆっくり利用者の話しを聞く方が得意なので、
みんなでの体操やレクレーションは他のスタッフに任せ、
事務作業などをする事にした。

⑤Dさんは女性好き。
男性が対応すると介護拒否される。
●対応は女性スタッフに任せる様にした。

⑥Eさんは徘徊症状があり、
よくスタッフの目を盗み外に出ようとされる。
●施設の玄関に施錠してスタッフが
気付かない内に外に出るのを防止した。

①~⑥はどれも介護の現場で
よく見られる光景で、日々交わされる様々なやりとりのごく一部です。
皆さんの中には、●のスタッフの対応方法に
疑念を持たれる方もいると思います。
私も同じです。
ただ、今回私が言いたいのはソコではありません。
なので、疑念についての私の想いは又の機会に書きたいと思います。
私が言いたいのは、
見方を変えれば①~⑥は問題という名の「鏡」。
それぞれの●はその「鏡」に映った「自分の姿」と
見る事ができるという事です。

①は認知症とわかっているのに、
イラついて言葉ひとつで終わらせようとする短気な自分。

②⑥は問題と向き合わず、とりあえず簡単な方法で
その場をやり過ごし、問題に背を向ける自分。

③は相手の為には歩いた方が良いとわかっているのに、
車イスで対応した方が楽だし早いからと、
相手よりも自分の都合を優先してしまう自分。

④は自分の苦手な事から逃げ、出来る事しかしない自分。

⑤は②⑥と同じ。
そして、その為の努力をする前から自分にはできないという
あきらめの早い自分と向上心のない自分。

そして、全体を通し映している事は、思いやりに欠ける自分。
仕事は、月日が経てば慣れ、
それなりに知識や技術が身に付きます。
保有資格も増えるかもしれません。
しかし、これが大きな落とし穴です。
自分ができる介護者であると錯覚させ、
より目の前の利用者の方々と向き合う事を意識しなくなります。
この事を理解し、常に利用者に対する自分の対応を自問自答し、
自分を見つめ直し、改善をし続ける。
そうする事で利用者の方々に心から信頼される介護者として成長し、
できる介護者になっていくのだと思います。
相手は人間。
全ての人の心を分かってあげる事はできないかもしれません。
大切なのは分かろうとし続ける事。
無理そうに思えても。
先が見えなくても。
その先に見えるのは自分の姿。
そして気付く。
現状を変える為には、自分が変わる必要があるという事に。

「 琴線 」

琴線とは・・・
「人間の心の奥深くにある感じやすい心情に触れて感動する事。」
上津役家家族のフジさん。
彼女は認知症を患っており、
中核症状である、
記憶障害、見当識障害、失行、失認、失語、実行機能障害。
そのいずれにも症状の進行が見られます。
分かりやすく言うと、日付はもちろん、現在いる場所、歯の磨き方、
物の名前、相手の言葉の意味などがわからない状態です。
しかし、彼女はとても明るく、
顔を合わせるといつも笑顔で出迎えてくれます。
彼女の笑顔には、周囲を楽しい気分にし、
自然と笑顔にさせてしまう力があります。
そんな彼女にはめずらしく、
感情をあらわにして涙を流すという出来事がありました。
ある日、皆でリビングに集まってレクレーションをしていた時の事。
スタッフがまだ入居して間もないザキさんに皆との接点を作ろうと、
御年95歳の戦争体験者である彼を皆の前に出し、
戦時中の話しをしてもらう事にしました。
スタッフは彼が戦時中の話しになると饒舌になる事を知っていたので、
話しを振られた彼も、嫌がる事なく皆の前で話し始めました。
10代で志願兵として兵士になった事、
飛行機の操縦士として訓練を受けた事。
知覧で襲撃機の操縦士として戦った事。
戦時中の色々な事を沢山話してくれました。
話しを聞いている皆も戦時中の苦労や悲しみを思い出していたのか、
集中して彼の言葉に耳を傾けていました。
フジさんも話の内容が分かるのか心なしか悲しい表情で聞いていました。
そして、話しがひと段落着いた所で、
なぜか突然、彼が歌い出しました。
「おまえとお~れ~は~♪」
突然、同期の桜を歌い出した彼に、
皆始めは驚いた様でしたが、
すぐに彼の後に続き歌い始めました。
その時です。
フジさんが声をあげて号泣しだしたのです。
「わーん!」
大粒の涙をぽろぽろ流しています。
突然の事に皆びっくり!。
今迄、彼女のそんな姿を見た事はありませんでした。
普段、トイレや入れ歯が何の事かもわからない彼女です。
ザキさんの話しが理解できたかは、
本人にしかわかりません。
それでも、ザキさんの話と歌が、
確実に彼女の心を動かしたのです。
認知症になって、
色々な事がわからなくなって、
何も分からない状態に見えても。
人には心がある。
心があるのなら必ず何かを感じる。
感じるのなら、心を動かず事もできるはず。
そう信じて関わって行くのが
大切な事なんだと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.12・R3.1合併号~

新年、明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ 
あきひこです。 
新年のご挨拶が遅くなり、大変申し訳ございません。
今年も皆さんに楽しんで頂けるよう、頑張って書いて参りますので、
是非、読んで頂ければ嬉しいです。

「 六男 」

令和2年11月1日。
 上津役家六男となる、ザキさんが家族の仲間入りしました。
 御年95歳。
 ザキさんは元々ご家族と一緒に生活していました。
 平成26年頃より認知症が発症。
 記憶障害はもちろん、被害妄想などの症状も出ていたとの事。
 ご家族と同居しているとは言っても、ご家族が仕事に行っている間、
 どうしても1人になる時間があります。
 その内、
 1人でふらっと外に出て帰り方がわからなくなり、
 近所の方や警察にお世話になるという事が増えてきました。
 その後、デイサービスやヘルパーサービスを出来る限り利用し、
 1人になる時間を減らす事でそのような事も無くなり、
 認知症の周辺症状も落ち着いて来たそうです。
 しかし、それでも1人になる時間が完全に無くなったわけではなく、
 ご家族の心配は拭いきれず。
 また、長期に渡る介護生活に疲弊していた部分もあり、
 彼に合う施設が無いか探していた所、
 担当のケアマネさんに弊社を紹介され、見学、体験、入居となりました。
 住み慣れた自宅から施設へ入居するに当たり、
 ご家族は本人へどう説明をしたら良いか悩まれていました。
 そのまま正直に話しても、
 絶対嫌がるだろうし、それにより与えるストレスから、
 どの様な状態の変化が出るかわからない。
 ご家族から相談を受け、とりあえず、
 まずご本人が上津役家へ来るのに納得しそうな説明をして
 お連れして頂ければ、その後は本人の状態を見ながら、
 適宜対応させて頂く旨をお伝えしました。
 そして、
 長期で家を空ける事情が出来た為、その間だけ上津役家に泊まる。
 ご家族からそう説明を受け、
 彼は上津役家へやってきました。                                    
 そうはいっても彼には認知症による記憶障害があります。
 すぐになぜ自分が上津役家に居るのか分からなくなり、
 不安で落ち着きがなくなって、
 あちらこちらと手掛かりを探すように上津役家を歩き回ります。
 その都度スタッフがご家族と同様の説明をし、
 理解をしてもらいます。
 また彼は戦争体験者で、本人曰く、
 若くして志願兵となり、
 知覧で襲撃機の操縦士として特攻兵の方々と一緒に戦った事を良く話し、
 その間は家に帰れない不安感なども無く、話に没頭するので、
 何度も戦時中の話しを聞くなどして対応していました。
 そして、1週間、2週間と日が経つにつれて、少し変化が出て来ました。
 先程と同様に、落ち着きが無くなった際に、
 「今日私は家に帰らんのかね?」
 と聞く彼に、
 『今日はココに泊まりますよ。』
 と答えると、
 「そっか、それならよかった~。安心しました。
  よろしくお願いします。」
 という様な言葉が返って来るようになったのです。
 それを受けて私はご家族に連絡し、
 本当は旅行ではなく、
 今後は上津役家に引っ越して生活して行くという、
 本当の事を次の面会の時にでも話して下さい。と、
 お願いしました。
 ご家族の方は、
 少し心配そうな様子でこちらのお願いを受け入れて下さいました。
 もしかしたら、このような時、
 必ずしも本当の事を本人に話す必要はないのかもしれません。
 私が施設に勤めていた頃は、
 本人に本当の事を話す事はあまりなかったと思います。
 それは、現時点で本人が落ち着き始めているのに、
 そこでまた現実を突きつけてストレスを与えてしまう事の影響や、
 話したとしても記憶障害により忘れてしまうのに、
 毎回事実を話してストレスを与えてしまうよりも、
 本人が納得しやすい理由を伝えた方が、
 本人の為だと会社が考えていたのかもしれません。
 ・・・確かにそうかもしれません。
 実際に、ザキさんもご家族に上津役家に住むと話して頂いた後も、
 その事を忘れ、何度も聞きに来られます。
 ただ私は、話せる状態の方であれば、
 出来る限り正直に話した方が良いのではないかと思っています。
 それは、私達が入居者の方々に出来る限り誠意を持って
 正直に付き合いたいという想いと、
 何度説明する事になっても、どこかでなんとなくでも、
 もう自宅で生活する事が出来ないという現実を受け入れて頂いた方が、
 その後の生活を楽しんで送れるのではないかと思うから。
 そしてご家族に、
 本人を騙し続けて上津役家に入居させているという罪悪感を、
 抱えたままでいて欲しくないと思うからです。
 もちろん個人差がありますので、
 本当の事を言わない方がいいという判断をする事もありますが、
 出来る限りご家族の協力の下、
 私達介護スタッフの努力で本当の事を話し、
 その上で安心して生活を楽しめるようにして行きたいと思っています。
 今後、ザキさんにどの様な変化が現れるか、楽しみにしつつ、
 またご報告したいと思います。

「 七男 」

令和2年12月7日。
 上津役家七男となる、コウさんが家族の仲間入りしました。
 前述のザキさんと同じく、御年95歳。
 コウさんも元々は、ご家族と一緒に生活していました。
 入居前のご家族の話しでは、
 9月頃より認知症の進行が見られ、
 夜間にあまり眠らず、何かある毎に声を上げ、
 昼も夜もなくご家族を呼び何かを訴える。
 ショートステイなども利用はしているが、元来の寂しがりな性格もあり、
 外泊する事を嫌がる為、頻繁には利用できず。
 肉体的にも精神的にも少し参って来ており、
 せめて、夜間にしっかり眠ってもらえないか病院に相談した所、
 近々入院して薬の調整をする事になったとの事。
 そして、その時に病院のソーシャルワーカーの方から、
 上津役家の話しを聞き、
 この機会にコウさんに合いそうな所があれば、
 施設への入居を検討してみようと思い、見学に来たとの事でした。
 見学を終え、私が心配した点は、
 次の2点でした。
 ①この時点での空室は2人部屋のみなので、
 夜間眠れない事で同室の方への影響が出ないか。
 ②ご家族の希望としては、
 調整入院後に自宅へ戻らずに
 そのまま上津役家へ入居したいとの事でしたが、
 コロナ感染予防の為もあり、
 入院する病院が、
 入院中に一時外泊の許可を出せないという事。
 つまり、体験入居を事前に行えないという事。
 とりあえずは入院後、
 退院の目途が立った時点で病院での事前の面談をさせて頂く旨お伝えし、
 見学は終了となりました。
 それから1ヶ月ほど。
 いよいよご本人との面会。
 元々は自力で歩けていたそうですが、
 入院中に転倒し、腰椎の圧迫骨折をしていまい、
 彼は車イスに乗っていました。
 受け答えもはっきりしており、
 こちらが予想していたよりも認知症の状態は軽度で、
 多少の記憶障害は見られるものの、
 記憶の保持もかなり出来ていました。
 担当の看護士さんに夜間の様子などを確認した所、
 現在では夜間もしっかり眠れているとの事でした。
 とりあえず受け入れに問題はなさそうで安心しました。
 後は、面談時もしきりに話していましたが、
「家に帰りたい」という本人の強い希望にどう対処するかでした。
「もう90過ぎてるんだから、
 どう死んでもいいからどうしても家に帰りたい。」
 そう強く言われると、
 こちらとしても気持ちが分かるだけに、
 何とか自宅に帰してあげたいというのが本音ですが、
 実際はそうもいきません。
 入院前に自宅で生活している状態で、
 既に身の回りの世話をしていたご家族が参っているのに、
 圧迫骨折をしている今の状態では、
 今まで以上にご家族に負担が掛かってしまうからです。
 ご家族や担当看護士の話しから、
 彼に正直に退院後は上津役家に
 入居すると話しても拒否される事はわかっていたので、
 結局、心苦しくはありますが、
 退院後に元の状態に戻って家に帰る為の生活リハビリ施設の様な所と話して、上津役家に来て頂く事になりました。
今後、彼に対してどう対応し、どう変わっていくのか。
ザキさん同様、楽しみにしていて下さい。

大浦家・上津役家日記~R2.11月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。 
今月も遅くなりましたが、 読んで頂ければ嬉しいです。

「 薬 」

高齢者の方々は、大抵薬を服用しています。 
血圧の薬、骨の薬、便秘の薬等々。 
様々な薬があり、
それぞれの薬について詳しい知識があるわけではないので、
私達介護スタッフが薬について言える事はありませんが、 
1つだけ気を付けている点があります。
それは、向精神薬の取り扱いについてです。
向精神薬とは、中枢神経系に作用し、
精神機能を変容させる薬物の総称で、
精神疾患の治療に用いられる薬物の事です。
身近なものでは睡眠導入剤などがこれに当てはまります。
あと、認知症の薬も同様です。
取り扱いと言いましたが、薬の管理という意味ではなく、
正しくは、その薬を服用するべきか否か。
それを見極めるのに、注意を払っているという意味です。
9月号で少し薬の話しを書いたので、
その慎重な姿勢がお分かりの方も いるかもしれませんが、
私自身は、認知症の方に向精神薬を使用するのに少し抵抗があります。
薬が合えばよいのですが、薬が合わなかった時、
または副作用が出た時の代償が大きいと感じる からです。
高齢者の方々は、身体や気持ちが弱り始めるとあっという間で、
1人で歩けていた人が、ひと月で歩けなくなり、
車いすになるなんて事はよくあります。
そして、向精神薬が処方されたら、
明らかな悪影響などが表面に出て こない限りは、
しばらく服用を続ける事になります。
しばらく服用しないとその効果もわからないからです。
そしてまた、服用を止めたいと思ってもすぐにはやめられなかったりします。
(※これは、私が今まで見て来た範囲での感想なので、
実際はすぐに対応してくれるお医者さんもいるのかもしれませんが・・・。)
弊社の様な入居型の施設の場合、
向精神薬を処方してもらった方が良いのかどうかを判断するのは、
日常的に身の回りの世話をしてその方の現状を一番把握している
施設側である事がほとんどだと思います。
ご家族は施設からそう言われたら、受け入れるしかありません。
つまり、この重大な選択権を持っているのは、
私達介護者側である事を、介護者は自覚し、
慎重に判断する責任があると私は思います。
だから私は、薬を使用するお願いをする場合には、
自分なりの基準が あります。
それは、『その方が、日々の生活を安心して楽しめているかどうか。』です。
私としては、認知症がどんなに進行しても、
安心して生活を楽しんで送れているのであれば、
新たに薬を服用する必要はないのではないかと思っています。
では逆に、その様な生活が送れていない場合は
すぐに薬をお願いするのかというと、そういうわけでもありません。
お願いをする前に、私達介護スタッフの声掛けや対応、
働きかけで何とか出来ないかを思いつく限り試します。
それでもダメだった時に初めて、受診をお願いする様にしています。
また、受診して薬をもらう場合、
出来る限り効き目の弱いものから処方してもらう様にお願いしています。
効き目が弱い分変化は少ないかもしれませんが、
合わなかった時の代償も少ないと思うからです。
また、この様なパターンもあります。
大浦家家族のヤマさん。
彼女は入居してから徐々に認知症の進行が見られ、
不安感からか、夜間に幻覚症状などが見られる様になりました。
また、睡眠はしっかりとれているのに、日中の傾眠が頻繁に見られ、
夢と現実の区別がつかない為か、
大きな声で怒鳴るという事が しばしば見られる様になりました。
元々の彼女はとても明るく、とても笑顔が素敵な穏やかな人です。
そんな彼女の状態の変化を受け、スタッフが私に、
『もの忘れ外来を受診して、薬を処方してもらったらどうでしょうか?』 と、
言ってきました。
先ほどの私の判断基準からいくと、
このケースの場合はご家族に受診をお願いします。
スタッフがどんな対応をしようと、
傾眠していては何の意味もなさないからです。
しかし、私はスタッフの報告内容に
何か経験した事がある様な不思議な違和感を覚え、
一旦会話をストップし、彼女の服用している薬を確認しました。
「やっぱり!」
彼女は認知症の薬を入居前から既にかかりつけの内科から処方され、
服用していたのでした。
入居時に異変が無かったので完全に見落としていました。
理由はわかりませんが、もしかしたら時が経つにつれ、
現在の彼女の状態には薬が合わなくなり、
色々な症状が出る様になったのかもしれません。
私が感じた違和感の正体は、正に、今まで見て来た向精神薬を服用し、
良くない状態になった方々の状態と彼女の状態が
似ていた事によるものだったのです。
このままの状態でもの忘れ外来を受診すると、
医師によっては今服用している薬とは別に、
追加で新たな薬を処方される可能性がある為、
より強い副作用が出てしまう恐れがあります。
 だから、受診して薬を処方してもらうのではなく、
かかりつけ医に受診して、薬を止めてもらう様にご家族にお願いしました。
そしてスタッフには、薬を止めて2ケ月程度、
彼女の状態の変化をいつも以上に注意して観察するように指示しました。
これは、まず向精神薬を服用せず、薬が抜けきって精神に与える影響を無くし、
本当の彼女のニュートラルな状態を知る為です。
ご家族には、薬を止めてしばらく様子を見た上で、
改善が見られない様であれば、もの忘れ外来の受診をお願いしていました。
結果としては、薬を止めて1ヶ月、2ヶ月経つにつれて、
徐々に日中の傾眠傾向は改善し、
併せて大声で怒鳴るという事もほどんど無くなりました。
夜間の幻覚症状は未だに見られるものの、特に酷いものではなく、
睡眠時間も十分とれている事から、ご家族と話し、
現状であればもの忘れ外来は受診しなくていいだろうという事で
落ち着いております。
あの時に、何も考えず、何も気付かず、受診をお願いしていたら、
彼女の状態はもっと酷いものに なっていたかもしれません。
薬は合えば薬ですが、合わなければ毒です。
特に向精神薬は自分の意志とは無関係に自分の精神状態を変化させます。
だからこそ、それを判断する介護者は、
向精神薬の取り扱いには充分注意を払わなければいけないと思うのです。

「 自問自答の日々 」

第三波。
一旦は落ち着きを見せていたコロナが、ここ最近また猛威を振るい始めました。
終わりの見えないこの禍に、誰もが疲弊を隠せません。
この禍に耐え切れず倒産。
この禍により精神が保てず、自殺。
警察庁の統計によると、10月ひと月だけで自殺者数が2,153人もいます。
10月だけでコロナによる死者数を超えているという事実に驚きを隠せません。
そしてもうひとつ。
この10月の自殺者数は例年に比べ、600人多いのだそう。
つまり、コロナ以前であっても、
ひと月に1,500人以上が自殺していた事実を知ってさらに驚きました。
自分の知らない所でこれほどの人達が世の中に、人生に悩み、
葛藤し、絶望して自ら命を絶った事を想うと、
自分がいかに恵まれた環境に居るかを思い知らされます。
もちろん、介護事業者も同様にこの禍の影響を受けています。
規模を縮小したり、廃業する事業所が身近でもいくつか出てきました。
最近、弊社に入社したスタッフもその禍を受けたひとり。
彼は入社前デイサービスの経営者でした。
コロナにより利用控えや解約、
更にこの状況で新規の利用者を見つけるのも難しく、
ついに、長年頑張って経営して来たデイサービスを閉じる事を決心したのだそう。
同じ介護の世界に身を置き、
利用者の方々の為に頑張ってきた彼の苦労が分かるだけに、
何とも言えない気持ちになります。
彼の創ったその場所を気持ちの拠り所にしていた利用者の方も
きっと いたでしょう。
彼だけでなく、その利用者の方にとっても辛い事だったと思います。
自分に何が出来るのか。
ただただ耐えるしかないのか。
誰かの力になる事は出来ないのか。
環境に恵まれているからこそ、誰かの為に何か出来る事があるん じゃないのか。
そんな、自問自答を繰り返す日々。
まだ答えは出ません。
それでも、考え続ける。
せめて目の前のじじばばに1回でも多く笑って貰える様に努めながら。
きっとそんなに遠くない未来に自分なりの答えを出したいと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.10月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今月も大変お待たせいたしました。(;´Д`)
早速、ご覧くださいまし~♪

「 誕生日 」

平成16年7月15日。弊社がこの世に生まれた日。
平成16年9月1日。大浦家がこの世に生まれた日。
平成18年10月1日。上津役家がこの世に生まれた日。
弊社、大浦家がもう4年。上津役家が2年。
あっという間の4年間。
でも、思い返すと様々な事があり、
これだけ色々あって、まだ4年しか経っていないのかという感覚もあり、
なんとも不思議な気持ちです。
33歳の青二才が、
失敗上等でただただ自分の想いを形にしたいと始めた会社が、
なんだかんだで4年。
自分で言うのもなんですが、
まさかこんなに続けられるとは思ってもみませんでした。
4年前に大浦家を創った時には、
聞きなれないシェアハウスという住まいの形に賛同してくれる
方は少なく、営業に出ても門前払い。
このままでは始まる前に潰れてしまうと、
広い大浦家でひとり、
不安で眠れない日々を過ごしていました。
それが今や、亡くなった方や引っ越した方を含め、
27名ものシェアハウスの家族に囲まれて過ごす、
賑やかな日々になりました。
それもこれも全て周りの人のおかげです。
支えてくれる私の家族、
私を信じ、懸命に働いてくれるスタッフ、
弊社の考えに共感し、弊社の事を紹介してくれるケアマネージャー、
弊社の事を信頼し、任せ、困った時には助けてくれるご家族の皆様、
そして、こんな若造にありがとうと、
日々笑って言ってくれる、大浦家・上津役家家族のじじばば。
どなたが欠けても弊社が今日を迎える事は出来なかった。
人に支えられて成り立っている。
それが弊社だと、心から思います。
皆様には、本当に感謝しかありません。
ありがとうございます。
これからも奢ることなく、
皆様の信頼に応えて行ける様、
頑張って参りますので、どうぞ、宜しくお願い致します。
さて、
最近はちょっと真面目で重い内容続きでしたので、
今月号は軽く、明るい内容でお送りしたいと思います。
弊社では、シェアハウスの家族が誕生日を迎える際、
誕生日を少しでも喜びの多い日にしたいと、
誕生日会に合わせ、ご家族にお手紙を書いて頂いております。
その手紙を、誕生日会の際にプレゼントと一緒にみんなの前で読み、
ご家族の想いも届ける様にしています。
このお手紙は、最終的に誕生日会の様子の写真と共に額に入れられ、
各シェアハウスの玄関先に飾る様にしています。
そこで、今回は今迄頂いたご家族からの手紙を一部ではありますが、
掲載したいと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.9月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。

今月も遅くなり、申し訳ありません。

今月も読んで頂ければ嬉しいです。

いってらっしゃい

2020年8月26日。
上津役家次男である、
シマさんが天国へ行きました。
享年91歳。

2017年3月25日。
あなたは大浦家の家族になりました。
この時のあなたは、右手に杖を持ち、
ふらふらしながらもまだ、何とかひとりで歩けていました。
あなたは、レビー小体型認知症を患っており、
よく幻覚や幻聴を見聞きしてはそれに振り回され、
コケそうになったり、怪我をしそうになったりしていましたね。
夜間に症状が酷くなることが多く、
実際にベットから落ちたり、
トイレではない場所でトイレをしたり、
2階のベランダへ飛び出そうとしたり、
叫んだり、暴力的になったり・・・。
本当に大変でした。
ただ、幻覚症状の出ていない時の本当のあなたは、
とても穏やかで、優しく思いやりに溢れた方でした。
入居当時、あなたは食欲旺盛で、
夕食だけでは物足りないと言って、
昼間に私と近所のスーパーへ行って買って来た菓子パンを、
夜食として食べていましたね。
私もそれに付き合わされては、
他愛もない話をよく2人でしたことを思い出します。
家族の話。仕事の話。心配事の話。
なんだか、もうずいぶん昔の事の様に感じます。
過去の日記に書きましたが、あなたと過ごす事の大変さに、
あなたに退去してもらった方が良いのではないかと
迷った時もありました。
今では、本当にあの時に投げ出さなくて良かったと、心から思います。
絶対に投げ出さないと決めた私は、
周囲の居室の方に迷惑を掛けてはいけないと、
考えた末にご家族に許可を頂き、
あなたを私と相部屋にしてもらう事にしました。
当時私は大浦家に住んでおり、2階の一番奥の部屋に居た為、
夜間にあなたが大声を上げたとしても、
他の方にそんなに迷惑が掛からない事、
そしてすぐに私が対応する事で少しでも早く落ち着かせる事が
出来るだろうと考えての事でした。
2人同じ部屋で寝る生活が始まってからも、始めの内は大変で、
色々ありました。
夜中に幻覚を見て突然大声をあげるのはもちろん、
大きな物音で飛び起きると、
私のデスクがひっくり返っていたり、
部屋中に本や資料が散らばり、
見るも無残な状況になっていたり、
床に尿だまりが出来ていたり・・・。
睡眠不足で余裕のなくなった私が、
ついぞあなたに対して声を荒げてしまう事もありましたね。
そんな風に一緒に寝食を共にする中で、
いつしか私はあなたに、
『大将』と呼ばれるようになっていました。
あなたは昔大工をしていたから、
もしかしたら私の事を、
棟梁の様な存在だと思っていたのかもしれませんね。
そういえば、こんな事もありました。
開業してスタッフも落ち着き、初めて私が休みをもらった時の事。
私が外出して、夜21時くらいに大浦家に帰って来た所、
いつも19時には部屋に戻り、
休んでいるはずのあなたの姿がリビングにありました。
「あら、シマさん。こんな時間まで下におるとかめずらしいね~。」
『ああ、大将! おかえりなさい!
 ほらっ、お前早く大将にお茶でも出さんかっ!』
そう催促された夜勤スタッフは、
お茶を淹れながら、
「何度も出かけてるから先に休もうって言ったんですけど、
『大将が休んでないのに自分が先に休むわけにはいかん!』
 て言って、休んでくれなかったんですよ~。」
と、困り顔で私にシマさんがリビングに居る理由を
教えてくれました。
あの時は、この調子だと今後、夜外出も出来ないなぁ。と、
困ってしまったのと同時に、
そんなにも私の事を尊重してくれるあなたの気持ちが、
とっても嬉しかったのを覚えています。
ある時、あなたが風邪をひいて4日程寝込む事がありました。
それをきっかけにどんどん体力や筋力が低下し、
それと共に表情にも覇気が無くなり、
元気もあまり出なくなって来ました。
その状態のあなたを見て、
ご家族が、
『これはもしかして、お迎えが近いのでは・・。』
と心配するほどでした。
「まさかシマさんに限ってそんな事は無いでしょう。」と、
その場は笑ってやり過ごすも、
私の心にご家族のその言葉がどうにも引っ掛かり、
何をしていても、モヤモヤしていました。
そして、中々調子が上向かないあなたを見る度に、
そのモヤモヤが大きくなっていったのです。
あの時、私は考え続けていました。
『あなたの為に、私に何か出来る事はないか?』と。
そうして私が思いついたのは、
今考えてもよくそんな事が出来たなと思う様な、
とんでもないものでした。
それは、その時他の施設に入居していた、シマさんの奥さんである、
ヨネさんを、既に満床で空き部屋の無い大浦家に何とかして入居させる。
というものでした。しかも、最短最速で。
そうして決断した私は、すぐに行動に出ます。
まずご家族に連絡を取り、
ヨネさんを最短でシェアハウスに転居させてもらえないか。
もし現在入居の施設の契約上、
急な退去による違約金などがかかる場合は、私が負担するので。と。
ご家族は急な話で驚いていましたが、
私が、
「もし、ご家族の言われた様に、シマさんのお迎えが近いので
 あれば、せめて最後の1ヶ月でも半月でもいいから、
 夫婦一緒に過ごせるようにしてあげたい。
 それにもしかしたら、
 奥様が傍に居る事で元気が出て来るかもしれないから・・・。」と
私の想いを伝えた所、
『わかりました。近いうちに母の施設に話してみます。』と、
受入れて下さいました。
その後、担当ケアマネにも報告し、本人との面談、会議などを経て、
ヨネさんが入居する事になりました。
居室の問題は、大浦家の離れを使用する事で何とかしました。
ヨネさんが入居した日、
ここ最近の覇気の無さが嘘の様に、あなたは元気でした。
ヨネさんの腕をポンポンと叩き、
私を指さして、
『この人が俺がいつもお世話になっとる大将や、ほら、挨拶せんか。』と、
しきりに言っていましたよね。
でも、言われている当人のヨネさんはどこ吹く風で、
なんじゃこのじいさんは・・・
と、いう様な顔をしていて、
その2人の姿が可笑しくて笑って見ていたのを思い出します。
ヨネさんが来てから、
あなたはどんどん元気を取り戻しましたよね。
今でもたまに考えます。
あの時、こんな無茶なお願いをするなんてありえない。
そう思って行動を起こさなかったら。
ご家族が私の提案を受け入れて下さらなかったら。
あなたが元気を取り戻す事は無く、
私もやっぱりあの時行動しておけば良かったと、
後悔していたかもしれないと。
それからはヨネさんも一緒に、色々な事をしましたね。
大衆演劇や博物館に行ったり、
サーカスを見に行った時は、
まるで子供の様に目を輝かせて食い入る様に見ていましたね。
旅行にも行きました。
美味しいものを食べて、気持ちいい温泉に入って。
こう思い返してみると、
あなたとは、大変な事だけではなく、楽しい想い出も沢山ありますね。
そういえば、あなたには言ってなかったけど、
あなたにとってのピンチがもうひとつあったんですよ。
それは、それこそヨネさんが入居する少し前の事だったと思います。
スタッフ2人が私の所に来て、
あなたをみるのが大変だから、ご家族に病院に連れて行ってもらい、
薬を処方してもらう事は出来ないのか。
そう訴えて来たのです。
この頃のあなたは、先に言った様に覇気がない状態でしたが、
いつも虚ろな感じで夢と現実の区別がつかず、混同してしまっていたのか、
覚醒したと思ったら、突然怒り出したり、唾を吐いたり、
皆に暴言を浴びせたりといった症状が日常的に出ていました。
周囲が楽しく過ごしていても、あなたが怒りだしてしまい、
一転みんなが怖いと雰囲気が悪くなる。
あなたの排泄や入浴のお手伝いをしようとすると、
怒鳴られたり、殴ろうとされたり。
そんなあなたの症状に耐えかねてスタッフ達は私のもとに来たのです。
スタッフ達は私に訴えます。
「今の状態のシマさんをみるのは、正直言って難しいです。
 周りの入居者の皆様への影響も大きいし、
 何より頻繁に興奮状態になるシマさん本人が
 一番きついと思います。
 医師に相談して精神を落ち着かせる様な薬を
 処方してもらえるように出来ないでしょうか?」と。
私も確かにその時のシマさんの症状をそのままの状態で
みて行くのは大変だし、他の大浦家家族の皆への影響も計り知れない。
そう思っていました。
が、私はスタッフ達に、
『嫌です。そんな事はしません。』
「え?・・・何でですか?」
私のまさかの返事に唖然とするスタッフ達にこう続けます。
『私達の判断でシマさんを殺していいんですか?
 その覚悟があるんですか?』
「?????」
ますます意味がわからないという顔をするスタッフ達。
私は、スタッフ達が私の言葉の意味が分かっていない様なので、
分かりやすく説明しました。
長くなるので細かい説明は省きますが、介護の仕事をしていると、
今回のシマさんの様な利用者の方をみる事はよくあります。
そして、大抵の所は今回スタッフが言って来た様に、
薬を処方してもらい、症状を抑えようとします。
すると、どうでしょう。
効果てきめん!
すっかり大人しくなります。
いつも、起きてるのか寝てるのか分からない様な状態になり、
以前の様にコミュニケーションをとる事も、動く事も難しくなります。
その状態が続く事で急激に身体は衰え、ある時、誤嚥性肺炎にかかり、
亡くなります。
これが、私が10年以上施設に勤めていた時の
一番オーソドックスなパターンでした。
おそらくそれなりの期間働いた経験のある介護者であれば、
理解できると思います。
うちのスタッフ達もこれは理解できました。
そこで、こう問いかけました。
『この方が薬を飲むようになってから肺炎で亡くなる前までの間、
 果たして本当に生きていると言えるんですかね?
 言いたい事、やりたい事があっても薬で意識朦朧状態に
 抑えつけられ、何も出来ずに日々を過ごし、そして死ぬ。
 私は、薬を飲ませた時点でもう死んでいるのと変わらないと思う。
 家族は申し訳ないと思うから、お願いすれば嫌とは言わない。
 だから私達介護者がお願いすると決断してしまったら、
 それは私達がその方を殺すのと変わらないのではないですか?』
「でも、じゃあどうしたら・・」
『皆で考えて、思いつく限りの方法をやって行きましょう。
 思いつく限りの事をやってダメだったら、
 その時、ご家族に相談しましょう。』
「思いつく方法は私達も既に色々やりましたが、
 それでもダメだったから話に来たんです。」
『それはスタッフが個別に試したことでしょ?
 そうではなく、皆で話して決めた対応方法を
 皆で試さないと効果はでませんよ。』
「でも・・・。」
スタッフも自分達なりに必死で考え、関わってきただけに、
簡単には納得できませんでした。
『じゃあ、私がダメだと思う根拠を言いましょう。
 それは、皆さんが困っているシマさんの症状が、
 私の前では出ないからです。
 相手を選ぶ事が出来ているのなら、
 絶対改善する方法があるはずでしょう。』
そう、あなたはそんな激しい症状が出ている時でも、
私には怒鳴ったりせず、いつもの様に接してくれていましたよね。
私はそれを見て、あなたの今の症状は精神疾患の様に、
あなたの意に反して症状が出ているわけではなく、
何か他に原因があると気付く事が出来たのです。
スタッフ達もそれは普段から目にしていたので、
納得せざるを得ませんでした。
それから、なんやかんや頑張ってあなたも少しづつ落ち着き、
何とか一件落着。
こんな事があったなんて、あなたは知らなかったでしょ?
あの時、スタッフの訴えを受け容れていたら、
あなたはその後どうなっていたのでしょうか。
きっと、今のあなたの様に、
皆に見守られながら、
奥さんに手を握られながら、
眠る様に穏やかに最後を迎える。
こんな事は出来なかったのではないかと思います。
後悔が全く無いわけではありませんが、
私の20年足らずの介護人生の中で、
一番私達があなたにしてあげる事の出来る、精一杯を、
介護者としての理想を、
そしてなにより、きっとあなたにとってこれ以上ない最後の形を、
あなたと私達、ご家族、ケアマネ、医療関係者の
皆の力で実現出来たから、
とっても寂しいですが、哀しくはありません。
あなたは私に、そしてみんなに、
困難を与え、時には難しい選択を迫り、
私達が人として、介護者として、
本当に大切な事とは何かを教えてくれました。
あなたは、私達の中で生きています。
あなたと一番長く濃くかかわらせてもらった私は、正直、
まだあなたがいなくなってしまった実感を持てずにいるくらいです。
こうやって今までの事を思い返す時、
まるで昨日の事の様に、
あなたの表情や声を鮮明に思い出す事が出来るから。
もし今私が、あなたの居ないあなたの部屋を訪ねて、
あなたが居たとしても、
きっと何も驚かずにいつもの様に世間話をして、
一緒に笑うでしょう。
それくらい鮮明に、私の中にあなたが居ます。
だから、涙も出ないし、哀しくもありません。
寂しくなっても目をつむって、
こうやって思い出せば、
ほら、あなたが出て来てくれるから。
だからこっちの事は気にせずに、
向こうでゆっくり、のんびり、楽しくお酒でも飲みながら、
私達の事を見守っていて下さい。
きっと先に行っている
大浦家、上津役家家族のサエさん、
マコさん、タケさんも待ってくれていると思うから。
向こうでは短気を起こさず、
皆と仲良くね。
 
 
『今まで本当にありがとう。』
 
 
『じゃあ、いってらっしゃい。』