大浦家・上津役家日記~R2.3月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今回の大浦家・上津役家日記は特別編と題し、
このHP版にだけ書いた内容を、
紙面のみで読んで頂いている方々の為に掲載する事にしました。
いつもHP版で読んで頂いている方にとっては
同じ内容になりますが、改めて読んで頂ければ嬉しいです。

「 大浦家・上津役家日記特別編 」

今月号より、
大浦家・上津役家日記特別編と題し、
今まで私がこの紙面とは別に、
HPのブログだけに書いたお話しを公開していきたいと思います。
「 手紙 ~親愛なる子どもたちへ~ 」

 年老いた私がある日
 今までの私と違っていたとしても
 どうかそのままの私のことを理解して欲しい
 私が服の上に食べ物をこぼしても
 靴ひもを結び忘れても
 あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
 あなたと話す時
 同じ話を何度も何度も繰り返しても
 その結末をどうかさえぎらずにうなずいていて欲しい
 あなたにせがまれてくり返し読んだ絵本のあたたかな結末は
 いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
 悲しい事ではないんだ
 消え去ってゆくように見える
 私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい
 楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり
 お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
 あなたを追い回し何度も着替えさせたり
 色々な理由をつけていやがるあなたと
 お風呂に入った懐かしい日のことを
 悲しい事ではないんだ
 旅立ちの前の準備をしている私に
 祝福の祈りを捧げて欲しい
 いずれ歯も弱り飲み込む事さえ
 出来なくなるかも知れない
 足も衰えて立ち上がる事すら
 出来なくなったなら
 あなたがか弱い足で立ち上がろうと
 私に助けを求めたように
 よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい
 私の姿を見て悲しんだり
 自分が無力だと思わないで欲しい
 あなたを抱きしめる力がないのを
 知るのはつらい事だけど
 私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
 きっとそれだけで
 それだけで私には
 勇気がわいてくるのです
 あなたの人生の始まりに
 私がしっかりと付き添ったように
 私の人生の終わりに
 少しだけ付き添って欲しい
 あなたが生まれてくれたことで
 私が受けた
 多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って
 笑顔で答えたい
 私の子どもたちへ
 愛する子どもたちへ
 (作者不詳)

 「 おかしくない 」

 病気や障害には、
 見た目からわかるものと、
 見た目からはわからないものがあります。
 見た目からわからないものの場合、
 周囲の人にその病気や障害について、
 知ってもらい、理解を求めていく事が大切になってきます。
 例えば、病気や事故で片腕を失くしてしまった人が居たとします。
 周囲の人は、その人を見ただけで状況を理解できます。
 だから誰も、
 その人に両手を使わないと出来ない作業を頼むことはしないでしょう。
 一方、病気や事故で聴力を失くしてしまった場合、
 周囲の人は、
 その人見ただけでは聴力に障害があることがわからないので、
 みんな話しかけてきます。
 その為、まず始めに周囲の人に耳が聞こえないことを
 理解してもらう事で初めて、
 周囲の人はその人と接する際に
 言葉以外の方法でコミュニケーションをとるようになります。
 このように見た目からはわからない病気や障害の場合、
 周囲の人の「理解」がとても重要になります。
 認知症は、後者ですが、
 この「理解」がとても難しい。
 なぜなら、認知症と一括りに言っても、人によって様々な症状があり、
 対応の仕方もそれぞれ違います。
 また、記憶障害や見当識障害など、
 人が生活していく上でとても大切な脳の障害であるという事が、
 認知症という病気を理解するのを難しくしています。
 そして、身近で介護を行う人は、
 「理解」するだけでなく、
 理解した事を「実践」する力も必要になってきます。
 この「実践」がさらに難しい。
 長年介護をしている介護職員でも、
 この「実践」が出来ている人はあまりいないのではないかと
 思います。
 「実践」が難しいのは、
 介護を行う人に「記憶力」と「感情」があるからです。
 認知症になると、
 記憶障害がでることは認知症を知っている人であれば、
 ほとんどの人が「理解」しています。
 しかし、5分おきにトイレに行きたいと繰り返し訴える。
 ご飯を食べたのに、食べてないと何度も訴える。
 自宅にいるのに、家に帰ると訴える。
 このような事があると、
 認知症という病気がそうさせていると理解していても、
 つい、
 「さっきトイレいきましたよ」
 「さっきご飯食べましたよ」
 「ここが家ですよ」
 などと答えてしまいます。
 これは、私達にはさっきそれをしたという「記憶」があるので、
 何度も言われると、
 障害だとわかっていてもつい、
 イライラの「感情」が芽生えてしまうのです。
 「実践」とは、
 この自分に湧いてくる感情をコントロールし、
 認知症という病気がさせている事に振り回されずに対応しようとする。
 という事です。
 これができて初めて、
 本人にとって落ち着く環境であったり、
 きちんとした人間関係ができてくるのではないかと思います。
 その他の症状も同じで、
 周囲から見て、なぜその様な行動をするのか?という症状であっても、
 本人にはきちんとした理由があったりします。
 記憶障害や見当識障害が邪魔をして、
 わかりずらくしているだけで、
 考え方や感情の動きは私達と何も変わりません。
 ですから、
 その理由を見つけることが出来たら、案外その行動が理解できます。
 自宅にいるのに、家に帰る。
 がいい例で、
 多くの場合、今住んでいる自宅に関する記憶を障害され、
 本人の中では自分が生まれ育った家の記憶しか残っていない為、
 そのような言動が出てきているケースがよくあります。
 自分の記憶している自宅に帰ろうとするのは当然なので
 理解できますよね。
 私が言いたいのは、
 認知症になったら頭がおかしくなって、意味不明な行動をしてしまう。
 なにもわからなくなってしまう。
 というイメージは間違いだという事です。
 何もおかしくありません。
 おかしいと思うのは、
 その理由を私達が認識できていないからであって、
 それを見えずらくしているのが、
 認知症という病気だという事です。
 最後に、認知症の方が書いた詩をご紹介します。

 「 目を開けて、もっと私を見て 」

 何が見えるの
 看護婦さん
 あなたには何が見えるの
 あなたが私を見る時
 こう思っているのでしょう
 気むずかしいおばあさん
 利口じゃないし
 日常生活もおぼつかなく
 目をうつろにさまよわせて
 食べ物をぽろぽろこぼし
 返事もしない
 あなたが大声で
 「お願いだからやってみて」と
 言っても
 あなたのしていることに
 気づかないようで
 いつもいつも靴下や靴をなくして
 ばかりいる
 おもしろいのかおもしろくないのか
 あなたの言いなりになっている
 長い一日を埋めるために
 お風呂を使ったり食事をしたり
 これがあなたが考えていること
 あなたが見ていることでは
 ありませんか
 でも目を開けてごらんなさい
 看護婦さんあなたは
 私を見てはいないのですよ
 私が誰なのか教えてあげましょう
 ここにじっと座っているこの私が
 あなたの命ずるままに
 起き上がるこの私が
 あなたの意志で食べているこの私が
 誰なのか
 私は十歳の子供でした。
 父がいて、母がいて兄弟、
 姉妹がいて、
 皆お互いに愛し合っていました。
 十六歳の少女は足に羽根をつけて
 もうすぐ恋人に会えることを
 夢見ていました。
 二十歳でもう花嫁。
 私の心は踊っていました。
 守ると約束した誓いを胸にきざんで二十五歳で私は子供を産みました。
 その子は私に安全で幸福な家庭を
 求めたの。
 三十歳、子供はみるみる大きくなる
 永遠に続くはずのきずなで母子は
 互いに結ばれて。
 四十歳、息子たちは成長し、
 行ってしまった。
 でも夫はそばにいて、私が悲しま
 ないように見守ってくれました。
 五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
 私の愛する夫と私は再び子供に
 会ったのです。
 暗い日々が訪れました。
 夫が死んだのです。
 先のことを考え不安で震えました。
 息子たちは皆自分の子供を育てて
 いる最中でしたから
 それで私は、過ごしてきた年月と
 愛のことを考えました。
 今私はおばあさんになりました。
 自然の女神は残酷です。
 老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。
 体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ
 かつて心があったところには
 いまでは石ころがあるだけ。
 でもこの古ぼけた肉体の残骸には
 まだ少女が住んでいて
 何度も何度も
 私の使い古しの心をふくらます。
 私は喜びを思い出し、
 苦しみを思い出す。
 そして人生をもう一度愛して
 生き直す年月はあまりに短すぎ、
 あまりに速く過ぎてしまったと
 私は思うの。
 そして何物も永遠ではないという
 厳しい現実を受け入れるのです。
 だから目を開けてよ、
 看護婦さん目を開けて見てください。
 気むずかしいおばあさんではなくて、
 「私」をもっとよく見て!

 パット・ムーア著
 「変装私は三年間老人だった」より。

 この詩は、イギリス・ヨークシャーのアシュルディー病院の老人病棟で、
 一人の老婦人が亡くなり、
 彼女の持ち物を調べていた看護師さんが見つけたものです。
 彼女は、重い認知症でした。
 皆さんはこの詩を読んで、
 この認知症の老婦人が頭のおかしい人だと思いますか?

大浦家・上津役家日記~R3.2月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。  
今月も遅くなりましたが、 読んで頂ければ嬉しいです。

水平線に向かって

「水平線に向かって」

私は分かろうとする
言葉をもたない
海の心の本当のところを
いつまでたっても
水平線に向かって私はこぎ続ける
不毛かもしれない
無意味かもしれない
いつまでたっても
何も分からないかもしれない
水平線の向こうには
また水平線があるだけだ
言葉のように波音が聞こえる
心のように雲影が流れていく
魂の色をして月が昇ってくる
答えのように風が私を通りすぎる
分かることではない
分かろうとすること
いつまでたっても
水平線に向かって私はこぎ続ける
そして私には
分かりかけてくる
海に抱かれて
この私の本当のところが
(出典:「徘徊と笑うなかれ」藤川幸之助)

「 介護者の鏡 」

人の振り見て我が振り直せ
人を以て鑑となす
他人は自分を映す鏡

①Aさんは認知症。何度もトイレに行きたいと訴える。
●「さっきトイレに行ったよ。」と答える。

②Bさんは不安感が強く、頻繁にスタッフを呼びとめる。
常に誰かが相手をしていないと落ち着かない。
●他の利用者対応や業務に忙しく、
「あとで来るからちょっと待ってね。」と答える。

③Cさんは歩行が不安定で、
ひとりでの歩行は転倒の可能性が高い。
手引きでの介助があればゆっくりではあるが、
十数メートルは歩行可能。
●転倒のリスクを防ぐため、移動は全て車イスでの対応とした。

④利用者の方達が共有スペースで暇そうに過ごしている。
●人前に立って何かするより、
落ち着いてゆっくり利用者の話しを聞く方が得意なので、
みんなでの体操やレクレーションは他のスタッフに任せ、
事務作業などをする事にした。

⑤Dさんは女性好き。
男性が対応すると介護拒否される。
●対応は女性スタッフに任せる様にした。

⑥Eさんは徘徊症状があり、
よくスタッフの目を盗み外に出ようとされる。
●施設の玄関に施錠してスタッフが
気付かない内に外に出るのを防止した。

①~⑥はどれも介護の現場で
よく見られる光景で、日々交わされる様々なやりとりのごく一部です。
皆さんの中には、●のスタッフの対応方法に
疑念を持たれる方もいると思います。
私も同じです。
ただ、今回私が言いたいのはソコではありません。
なので、疑念についての私の想いは又の機会に書きたいと思います。
私が言いたいのは、
見方を変えれば①~⑥は問題という名の「鏡」。
それぞれの●はその「鏡」に映った「自分の姿」と
見る事ができるという事です。

①は認知症とわかっているのに、
イラついて言葉ひとつで終わらせようとする短気な自分。

②⑥は問題と向き合わず、とりあえず簡単な方法で
その場をやり過ごし、問題に背を向ける自分。

③は相手の為には歩いた方が良いとわかっているのに、
車イスで対応した方が楽だし早いからと、
相手よりも自分の都合を優先してしまう自分。

④は自分の苦手な事から逃げ、出来る事しかしない自分。

⑤は②⑥と同じ。
そして、その為の努力をする前から自分にはできないという
あきらめの早い自分と向上心のない自分。

そして、全体を通し映している事は、思いやりに欠ける自分。
仕事は、月日が経てば慣れ、
それなりに知識や技術が身に付きます。
保有資格も増えるかもしれません。
しかし、これが大きな落とし穴です。
自分ができる介護者であると錯覚させ、
より目の前の利用者の方々と向き合う事を意識しなくなります。
この事を理解し、常に利用者に対する自分の対応を自問自答し、
自分を見つめ直し、改善をし続ける。
そうする事で利用者の方々に心から信頼される介護者として成長し、
できる介護者になっていくのだと思います。
相手は人間。
全ての人の心を分かってあげる事はできないかもしれません。
大切なのは分かろうとし続ける事。
無理そうに思えても。
先が見えなくても。
その先に見えるのは自分の姿。
そして気付く。
現状を変える為には、自分が変わる必要があるという事に。

「 琴線 」

琴線とは・・・
「人間の心の奥深くにある感じやすい心情に触れて感動する事。」
上津役家家族のフジさん。
彼女は認知症を患っており、
中核症状である、
記憶障害、見当識障害、失行、失認、失語、実行機能障害。
そのいずれにも症状の進行が見られます。
分かりやすく言うと、日付はもちろん、現在いる場所、歯の磨き方、
物の名前、相手の言葉の意味などがわからない状態です。
しかし、彼女はとても明るく、
顔を合わせるといつも笑顔で出迎えてくれます。
彼女の笑顔には、周囲を楽しい気分にし、
自然と笑顔にさせてしまう力があります。
そんな彼女にはめずらしく、
感情をあらわにして涙を流すという出来事がありました。
ある日、皆でリビングに集まってレクレーションをしていた時の事。
スタッフがまだ入居して間もないザキさんに皆との接点を作ろうと、
御年95歳の戦争体験者である彼を皆の前に出し、
戦時中の話しをしてもらう事にしました。
スタッフは彼が戦時中の話しになると饒舌になる事を知っていたので、
話しを振られた彼も、嫌がる事なく皆の前で話し始めました。
10代で志願兵として兵士になった事、
飛行機の操縦士として訓練を受けた事。
知覧で襲撃機の操縦士として戦った事。
戦時中の色々な事を沢山話してくれました。
話しを聞いている皆も戦時中の苦労や悲しみを思い出していたのか、
集中して彼の言葉に耳を傾けていました。
フジさんも話の内容が分かるのか心なしか悲しい表情で聞いていました。
そして、話しがひと段落着いた所で、
なぜか突然、彼が歌い出しました。
「おまえとお~れ~は~♪」
突然、同期の桜を歌い出した彼に、
皆始めは驚いた様でしたが、
すぐに彼の後に続き歌い始めました。
その時です。
フジさんが声をあげて号泣しだしたのです。
「わーん!」
大粒の涙をぽろぽろ流しています。
突然の事に皆びっくり!。
今迄、彼女のそんな姿を見た事はありませんでした。
普段、トイレや入れ歯が何の事かもわからない彼女です。
ザキさんの話しが理解できたかは、
本人にしかわかりません。
それでも、ザキさんの話と歌が、
確実に彼女の心を動かしたのです。
認知症になって、
色々な事がわからなくなって、
何も分からない状態に見えても。
人には心がある。
心があるのなら必ず何かを感じる。
感じるのなら、心を動かず事もできるはず。
そう信じて関わって行くのが
大切な事なんだと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.12・R3.1合併号~

新年、明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ 
あきひこです。 
新年のご挨拶が遅くなり、大変申し訳ございません。
今年も皆さんに楽しんで頂けるよう、頑張って書いて参りますので、
是非、読んで頂ければ嬉しいです。

「 六男 」

令和2年11月1日。
 上津役家六男となる、ザキさんが家族の仲間入りしました。
 御年95歳。
 ザキさんは元々ご家族と一緒に生活していました。
 平成26年頃より認知症が発症。
 記憶障害はもちろん、被害妄想などの症状も出ていたとの事。
 ご家族と同居しているとは言っても、ご家族が仕事に行っている間、
 どうしても1人になる時間があります。
 その内、
 1人でふらっと外に出て帰り方がわからなくなり、
 近所の方や警察にお世話になるという事が増えてきました。
 その後、デイサービスやヘルパーサービスを出来る限り利用し、
 1人になる時間を減らす事でそのような事も無くなり、
 認知症の周辺症状も落ち着いて来たそうです。
 しかし、それでも1人になる時間が完全に無くなったわけではなく、
 ご家族の心配は拭いきれず。
 また、長期に渡る介護生活に疲弊していた部分もあり、
 彼に合う施設が無いか探していた所、
 担当のケアマネさんに弊社を紹介され、見学、体験、入居となりました。
 住み慣れた自宅から施設へ入居するに当たり、
 ご家族は本人へどう説明をしたら良いか悩まれていました。
 そのまま正直に話しても、
 絶対嫌がるだろうし、それにより与えるストレスから、
 どの様な状態の変化が出るかわからない。
 ご家族から相談を受け、とりあえず、
 まずご本人が上津役家へ来るのに納得しそうな説明をして
 お連れして頂ければ、その後は本人の状態を見ながら、
 適宜対応させて頂く旨をお伝えしました。
 そして、
 長期で家を空ける事情が出来た為、その間だけ上津役家に泊まる。
 ご家族からそう説明を受け、
 彼は上津役家へやってきました。                                    
 そうはいっても彼には認知症による記憶障害があります。
 すぐになぜ自分が上津役家に居るのか分からなくなり、
 不安で落ち着きがなくなって、
 あちらこちらと手掛かりを探すように上津役家を歩き回ります。
 その都度スタッフがご家族と同様の説明をし、
 理解をしてもらいます。
 また彼は戦争体験者で、本人曰く、
 若くして志願兵となり、
 知覧で襲撃機の操縦士として特攻兵の方々と一緒に戦った事を良く話し、
 その間は家に帰れない不安感なども無く、話に没頭するので、
 何度も戦時中の話しを聞くなどして対応していました。
 そして、1週間、2週間と日が経つにつれて、少し変化が出て来ました。
 先程と同様に、落ち着きが無くなった際に、
 「今日私は家に帰らんのかね?」
 と聞く彼に、
 『今日はココに泊まりますよ。』
 と答えると、
 「そっか、それならよかった~。安心しました。
  よろしくお願いします。」
 という様な言葉が返って来るようになったのです。
 それを受けて私はご家族に連絡し、
 本当は旅行ではなく、
 今後は上津役家に引っ越して生活して行くという、
 本当の事を次の面会の時にでも話して下さい。と、
 お願いしました。
 ご家族の方は、
 少し心配そうな様子でこちらのお願いを受け入れて下さいました。
 もしかしたら、このような時、
 必ずしも本当の事を本人に話す必要はないのかもしれません。
 私が施設に勤めていた頃は、
 本人に本当の事を話す事はあまりなかったと思います。
 それは、現時点で本人が落ち着き始めているのに、
 そこでまた現実を突きつけてストレスを与えてしまう事の影響や、
 話したとしても記憶障害により忘れてしまうのに、
 毎回事実を話してストレスを与えてしまうよりも、
 本人が納得しやすい理由を伝えた方が、
 本人の為だと会社が考えていたのかもしれません。
 ・・・確かにそうかもしれません。
 実際に、ザキさんもご家族に上津役家に住むと話して頂いた後も、
 その事を忘れ、何度も聞きに来られます。
 ただ私は、話せる状態の方であれば、
 出来る限り正直に話した方が良いのではないかと思っています。
 それは、私達が入居者の方々に出来る限り誠意を持って
 正直に付き合いたいという想いと、
 何度説明する事になっても、どこかでなんとなくでも、
 もう自宅で生活する事が出来ないという現実を受け入れて頂いた方が、
 その後の生活を楽しんで送れるのではないかと思うから。
 そしてご家族に、
 本人を騙し続けて上津役家に入居させているという罪悪感を、
 抱えたままでいて欲しくないと思うからです。
 もちろん個人差がありますので、
 本当の事を言わない方がいいという判断をする事もありますが、
 出来る限りご家族の協力の下、
 私達介護スタッフの努力で本当の事を話し、
 その上で安心して生活を楽しめるようにして行きたいと思っています。
 今後、ザキさんにどの様な変化が現れるか、楽しみにしつつ、
 またご報告したいと思います。

「 七男 」

令和2年12月7日。
 上津役家七男となる、コウさんが家族の仲間入りしました。
 前述のザキさんと同じく、御年95歳。
 コウさんも元々は、ご家族と一緒に生活していました。
 入居前のご家族の話しでは、
 9月頃より認知症の進行が見られ、
 夜間にあまり眠らず、何かある毎に声を上げ、
 昼も夜もなくご家族を呼び何かを訴える。
 ショートステイなども利用はしているが、元来の寂しがりな性格もあり、
 外泊する事を嫌がる為、頻繁には利用できず。
 肉体的にも精神的にも少し参って来ており、
 せめて、夜間にしっかり眠ってもらえないか病院に相談した所、
 近々入院して薬の調整をする事になったとの事。
 そして、その時に病院のソーシャルワーカーの方から、
 上津役家の話しを聞き、
 この機会にコウさんに合いそうな所があれば、
 施設への入居を検討してみようと思い、見学に来たとの事でした。
 見学を終え、私が心配した点は、
 次の2点でした。
 ①この時点での空室は2人部屋のみなので、
 夜間眠れない事で同室の方への影響が出ないか。
 ②ご家族の希望としては、
 調整入院後に自宅へ戻らずに
 そのまま上津役家へ入居したいとの事でしたが、
 コロナ感染予防の為もあり、
 入院する病院が、
 入院中に一時外泊の許可を出せないという事。
 つまり、体験入居を事前に行えないという事。
 とりあえずは入院後、
 退院の目途が立った時点で病院での事前の面談をさせて頂く旨お伝えし、
 見学は終了となりました。
 それから1ヶ月ほど。
 いよいよご本人との面会。
 元々は自力で歩けていたそうですが、
 入院中に転倒し、腰椎の圧迫骨折をしていまい、
 彼は車イスに乗っていました。
 受け答えもはっきりしており、
 こちらが予想していたよりも認知症の状態は軽度で、
 多少の記憶障害は見られるものの、
 記憶の保持もかなり出来ていました。
 担当の看護士さんに夜間の様子などを確認した所、
 現在では夜間もしっかり眠れているとの事でした。
 とりあえず受け入れに問題はなさそうで安心しました。
 後は、面談時もしきりに話していましたが、
「家に帰りたい」という本人の強い希望にどう対処するかでした。
「もう90過ぎてるんだから、
 どう死んでもいいからどうしても家に帰りたい。」
 そう強く言われると、
 こちらとしても気持ちが分かるだけに、
 何とか自宅に帰してあげたいというのが本音ですが、
 実際はそうもいきません。
 入院前に自宅で生活している状態で、
 既に身の回りの世話をしていたご家族が参っているのに、
 圧迫骨折をしている今の状態では、
 今まで以上にご家族に負担が掛かってしまうからです。
 ご家族や担当看護士の話しから、
 彼に正直に退院後は上津役家に
 入居すると話しても拒否される事はわかっていたので、
 結局、心苦しくはありますが、
 退院後に元の状態に戻って家に帰る為の生活リハビリ施設の様な所と話して、上津役家に来て頂く事になりました。
今後、彼に対してどう対応し、どう変わっていくのか。
ザキさん同様、楽しみにしていて下さい。

大浦家・上津役家日記~R2.11月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。 
今月も遅くなりましたが、 読んで頂ければ嬉しいです。

「 薬 」

高齢者の方々は、大抵薬を服用しています。 
血圧の薬、骨の薬、便秘の薬等々。 
様々な薬があり、
それぞれの薬について詳しい知識があるわけではないので、
私達介護スタッフが薬について言える事はありませんが、 
1つだけ気を付けている点があります。
それは、向精神薬の取り扱いについてです。
向精神薬とは、中枢神経系に作用し、
精神機能を変容させる薬物の総称で、
精神疾患の治療に用いられる薬物の事です。
身近なものでは睡眠導入剤などがこれに当てはまります。
あと、認知症の薬も同様です。
取り扱いと言いましたが、薬の管理という意味ではなく、
正しくは、その薬を服用するべきか否か。
それを見極めるのに、注意を払っているという意味です。
9月号で少し薬の話しを書いたので、
その慎重な姿勢がお分かりの方も いるかもしれませんが、
私自身は、認知症の方に向精神薬を使用するのに少し抵抗があります。
薬が合えばよいのですが、薬が合わなかった時、
または副作用が出た時の代償が大きいと感じる からです。
高齢者の方々は、身体や気持ちが弱り始めるとあっという間で、
1人で歩けていた人が、ひと月で歩けなくなり、
車いすになるなんて事はよくあります。
そして、向精神薬が処方されたら、
明らかな悪影響などが表面に出て こない限りは、
しばらく服用を続ける事になります。
しばらく服用しないとその効果もわからないからです。
そしてまた、服用を止めたいと思ってもすぐにはやめられなかったりします。
(※これは、私が今まで見て来た範囲での感想なので、
実際はすぐに対応してくれるお医者さんもいるのかもしれませんが・・・。)
弊社の様な入居型の施設の場合、
向精神薬を処方してもらった方が良いのかどうかを判断するのは、
日常的に身の回りの世話をしてその方の現状を一番把握している
施設側である事がほとんどだと思います。
ご家族は施設からそう言われたら、受け入れるしかありません。
つまり、この重大な選択権を持っているのは、
私達介護者側である事を、介護者は自覚し、
慎重に判断する責任があると私は思います。
だから私は、薬を使用するお願いをする場合には、
自分なりの基準が あります。
それは、『その方が、日々の生活を安心して楽しめているかどうか。』です。
私としては、認知症がどんなに進行しても、
安心して生活を楽しんで送れているのであれば、
新たに薬を服用する必要はないのではないかと思っています。
では逆に、その様な生活が送れていない場合は
すぐに薬をお願いするのかというと、そういうわけでもありません。
お願いをする前に、私達介護スタッフの声掛けや対応、
働きかけで何とか出来ないかを思いつく限り試します。
それでもダメだった時に初めて、受診をお願いする様にしています。
また、受診して薬をもらう場合、
出来る限り効き目の弱いものから処方してもらう様にお願いしています。
効き目が弱い分変化は少ないかもしれませんが、
合わなかった時の代償も少ないと思うからです。
また、この様なパターンもあります。
大浦家家族のヤマさん。
彼女は入居してから徐々に認知症の進行が見られ、
不安感からか、夜間に幻覚症状などが見られる様になりました。
また、睡眠はしっかりとれているのに、日中の傾眠が頻繁に見られ、
夢と現実の区別がつかない為か、
大きな声で怒鳴るという事が しばしば見られる様になりました。
元々の彼女はとても明るく、とても笑顔が素敵な穏やかな人です。
そんな彼女の状態の変化を受け、スタッフが私に、
『もの忘れ外来を受診して、薬を処方してもらったらどうでしょうか?』 と、
言ってきました。
先ほどの私の判断基準からいくと、
このケースの場合はご家族に受診をお願いします。
スタッフがどんな対応をしようと、
傾眠していては何の意味もなさないからです。
しかし、私はスタッフの報告内容に
何か経験した事がある様な不思議な違和感を覚え、
一旦会話をストップし、彼女の服用している薬を確認しました。
「やっぱり!」
彼女は認知症の薬を入居前から既にかかりつけの内科から処方され、
服用していたのでした。
入居時に異変が無かったので完全に見落としていました。
理由はわかりませんが、もしかしたら時が経つにつれ、
現在の彼女の状態には薬が合わなくなり、
色々な症状が出る様になったのかもしれません。
私が感じた違和感の正体は、正に、今まで見て来た向精神薬を服用し、
良くない状態になった方々の状態と彼女の状態が
似ていた事によるものだったのです。
このままの状態でもの忘れ外来を受診すると、
医師によっては今服用している薬とは別に、
追加で新たな薬を処方される可能性がある為、
より強い副作用が出てしまう恐れがあります。
 だから、受診して薬を処方してもらうのではなく、
かかりつけ医に受診して、薬を止めてもらう様にご家族にお願いしました。
そしてスタッフには、薬を止めて2ケ月程度、
彼女の状態の変化をいつも以上に注意して観察するように指示しました。
これは、まず向精神薬を服用せず、薬が抜けきって精神に与える影響を無くし、
本当の彼女のニュートラルな状態を知る為です。
ご家族には、薬を止めてしばらく様子を見た上で、
改善が見られない様であれば、もの忘れ外来の受診をお願いしていました。
結果としては、薬を止めて1ヶ月、2ヶ月経つにつれて、
徐々に日中の傾眠傾向は改善し、
併せて大声で怒鳴るという事もほどんど無くなりました。
夜間の幻覚症状は未だに見られるものの、特に酷いものではなく、
睡眠時間も十分とれている事から、ご家族と話し、
現状であればもの忘れ外来は受診しなくていいだろうという事で
落ち着いております。
あの時に、何も考えず、何も気付かず、受診をお願いしていたら、
彼女の状態はもっと酷いものに なっていたかもしれません。
薬は合えば薬ですが、合わなければ毒です。
特に向精神薬は自分の意志とは無関係に自分の精神状態を変化させます。
だからこそ、それを判断する介護者は、
向精神薬の取り扱いには充分注意を払わなければいけないと思うのです。

「 自問自答の日々 」

第三波。
一旦は落ち着きを見せていたコロナが、ここ最近また猛威を振るい始めました。
終わりの見えないこの禍に、誰もが疲弊を隠せません。
この禍に耐え切れず倒産。
この禍により精神が保てず、自殺。
警察庁の統計によると、10月ひと月だけで自殺者数が2,153人もいます。
10月だけでコロナによる死者数を超えているという事実に驚きを隠せません。
そしてもうひとつ。
この10月の自殺者数は例年に比べ、600人多いのだそう。
つまり、コロナ以前であっても、
ひと月に1,500人以上が自殺していた事実を知ってさらに驚きました。
自分の知らない所でこれほどの人達が世の中に、人生に悩み、
葛藤し、絶望して自ら命を絶った事を想うと、
自分がいかに恵まれた環境に居るかを思い知らされます。
もちろん、介護事業者も同様にこの禍の影響を受けています。
規模を縮小したり、廃業する事業所が身近でもいくつか出てきました。
最近、弊社に入社したスタッフもその禍を受けたひとり。
彼は入社前デイサービスの経営者でした。
コロナにより利用控えや解約、
更にこの状況で新規の利用者を見つけるのも難しく、
ついに、長年頑張って経営して来たデイサービスを閉じる事を決心したのだそう。
同じ介護の世界に身を置き、
利用者の方々の為に頑張ってきた彼の苦労が分かるだけに、
何とも言えない気持ちになります。
彼の創ったその場所を気持ちの拠り所にしていた利用者の方も
きっと いたでしょう。
彼だけでなく、その利用者の方にとっても辛い事だったと思います。
自分に何が出来るのか。
ただただ耐えるしかないのか。
誰かの力になる事は出来ないのか。
環境に恵まれているからこそ、誰かの為に何か出来る事があるん じゃないのか。
そんな、自問自答を繰り返す日々。
まだ答えは出ません。
それでも、考え続ける。
せめて目の前のじじばばに1回でも多く笑って貰える様に努めながら。
きっとそんなに遠くない未来に自分なりの答えを出したいと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.10月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今月も大変お待たせいたしました。(;´Д`)
早速、ご覧くださいまし~♪

「 誕生日 」

平成16年7月15日。弊社がこの世に生まれた日。
平成16年9月1日。大浦家がこの世に生まれた日。
平成18年10月1日。上津役家がこの世に生まれた日。
弊社、大浦家がもう4年。上津役家が2年。
あっという間の4年間。
でも、思い返すと様々な事があり、
これだけ色々あって、まだ4年しか経っていないのかという感覚もあり、
なんとも不思議な気持ちです。
33歳の青二才が、
失敗上等でただただ自分の想いを形にしたいと始めた会社が、
なんだかんだで4年。
自分で言うのもなんですが、
まさかこんなに続けられるとは思ってもみませんでした。
4年前に大浦家を創った時には、
聞きなれないシェアハウスという住まいの形に賛同してくれる
方は少なく、営業に出ても門前払い。
このままでは始まる前に潰れてしまうと、
広い大浦家でひとり、
不安で眠れない日々を過ごしていました。
それが今や、亡くなった方や引っ越した方を含め、
27名ものシェアハウスの家族に囲まれて過ごす、
賑やかな日々になりました。
それもこれも全て周りの人のおかげです。
支えてくれる私の家族、
私を信じ、懸命に働いてくれるスタッフ、
弊社の考えに共感し、弊社の事を紹介してくれるケアマネージャー、
弊社の事を信頼し、任せ、困った時には助けてくれるご家族の皆様、
そして、こんな若造にありがとうと、
日々笑って言ってくれる、大浦家・上津役家家族のじじばば。
どなたが欠けても弊社が今日を迎える事は出来なかった。
人に支えられて成り立っている。
それが弊社だと、心から思います。
皆様には、本当に感謝しかありません。
ありがとうございます。
これからも奢ることなく、
皆様の信頼に応えて行ける様、
頑張って参りますので、どうぞ、宜しくお願い致します。
さて、
最近はちょっと真面目で重い内容続きでしたので、
今月号は軽く、明るい内容でお送りしたいと思います。
弊社では、シェアハウスの家族が誕生日を迎える際、
誕生日を少しでも喜びの多い日にしたいと、
誕生日会に合わせ、ご家族にお手紙を書いて頂いております。
その手紙を、誕生日会の際にプレゼントと一緒にみんなの前で読み、
ご家族の想いも届ける様にしています。
このお手紙は、最終的に誕生日会の様子の写真と共に額に入れられ、
各シェアハウスの玄関先に飾る様にしています。
そこで、今回は今迄頂いたご家族からの手紙を一部ではありますが、
掲載したいと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.9月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。

今月も遅くなり、申し訳ありません。

今月も読んで頂ければ嬉しいです。

いってらっしゃい

2020年8月26日。
上津役家次男である、
シマさんが天国へ行きました。
享年91歳。

2017年3月25日。
あなたは大浦家の家族になりました。
この時のあなたは、右手に杖を持ち、
ふらふらしながらもまだ、何とかひとりで歩けていました。
あなたは、レビー小体型認知症を患っており、
よく幻覚や幻聴を見聞きしてはそれに振り回され、
コケそうになったり、怪我をしそうになったりしていましたね。
夜間に症状が酷くなることが多く、
実際にベットから落ちたり、
トイレではない場所でトイレをしたり、
2階のベランダへ飛び出そうとしたり、
叫んだり、暴力的になったり・・・。
本当に大変でした。
ただ、幻覚症状の出ていない時の本当のあなたは、
とても穏やかで、優しく思いやりに溢れた方でした。
入居当時、あなたは食欲旺盛で、
夕食だけでは物足りないと言って、
昼間に私と近所のスーパーへ行って買って来た菓子パンを、
夜食として食べていましたね。
私もそれに付き合わされては、
他愛もない話をよく2人でしたことを思い出します。
家族の話。仕事の話。心配事の話。
なんだか、もうずいぶん昔の事の様に感じます。
過去の日記に書きましたが、あなたと過ごす事の大変さに、
あなたに退去してもらった方が良いのではないかと
迷った時もありました。
今では、本当にあの時に投げ出さなくて良かったと、心から思います。
絶対に投げ出さないと決めた私は、
周囲の居室の方に迷惑を掛けてはいけないと、
考えた末にご家族に許可を頂き、
あなたを私と相部屋にしてもらう事にしました。
当時私は大浦家に住んでおり、2階の一番奥の部屋に居た為、
夜間にあなたが大声を上げたとしても、
他の方にそんなに迷惑が掛からない事、
そしてすぐに私が対応する事で少しでも早く落ち着かせる事が
出来るだろうと考えての事でした。
2人同じ部屋で寝る生活が始まってからも、始めの内は大変で、
色々ありました。
夜中に幻覚を見て突然大声をあげるのはもちろん、
大きな物音で飛び起きると、
私のデスクがひっくり返っていたり、
部屋中に本や資料が散らばり、
見るも無残な状況になっていたり、
床に尿だまりが出来ていたり・・・。
睡眠不足で余裕のなくなった私が、
ついぞあなたに対して声を荒げてしまう事もありましたね。
そんな風に一緒に寝食を共にする中で、
いつしか私はあなたに、
『大将』と呼ばれるようになっていました。
あなたは昔大工をしていたから、
もしかしたら私の事を、
棟梁の様な存在だと思っていたのかもしれませんね。
そういえば、こんな事もありました。
開業してスタッフも落ち着き、初めて私が休みをもらった時の事。
私が外出して、夜21時くらいに大浦家に帰って来た所、
いつも19時には部屋に戻り、
休んでいるはずのあなたの姿がリビングにありました。
「あら、シマさん。こんな時間まで下におるとかめずらしいね~。」
『ああ、大将! おかえりなさい!
 ほらっ、お前早く大将にお茶でも出さんかっ!』
そう催促された夜勤スタッフは、
お茶を淹れながら、
「何度も出かけてるから先に休もうって言ったんですけど、
『大将が休んでないのに自分が先に休むわけにはいかん!』
 て言って、休んでくれなかったんですよ~。」
と、困り顔で私にシマさんがリビングに居る理由を
教えてくれました。
あの時は、この調子だと今後、夜外出も出来ないなぁ。と、
困ってしまったのと同時に、
そんなにも私の事を尊重してくれるあなたの気持ちが、
とっても嬉しかったのを覚えています。
ある時、あなたが風邪をひいて4日程寝込む事がありました。
それをきっかけにどんどん体力や筋力が低下し、
それと共に表情にも覇気が無くなり、
元気もあまり出なくなって来ました。
その状態のあなたを見て、
ご家族が、
『これはもしかして、お迎えが近いのでは・・。』
と心配するほどでした。
「まさかシマさんに限ってそんな事は無いでしょう。」と、
その場は笑ってやり過ごすも、
私の心にご家族のその言葉がどうにも引っ掛かり、
何をしていても、モヤモヤしていました。
そして、中々調子が上向かないあなたを見る度に、
そのモヤモヤが大きくなっていったのです。
あの時、私は考え続けていました。
『あなたの為に、私に何か出来る事はないか?』と。
そうして私が思いついたのは、
今考えてもよくそんな事が出来たなと思う様な、
とんでもないものでした。
それは、その時他の施設に入居していた、シマさんの奥さんである、
ヨネさんを、既に満床で空き部屋の無い大浦家に何とかして入居させる。
というものでした。しかも、最短最速で。
そうして決断した私は、すぐに行動に出ます。
まずご家族に連絡を取り、
ヨネさんを最短でシェアハウスに転居させてもらえないか。
もし現在入居の施設の契約上、
急な退去による違約金などがかかる場合は、私が負担するので。と。
ご家族は急な話で驚いていましたが、
私が、
「もし、ご家族の言われた様に、シマさんのお迎えが近いので
 あれば、せめて最後の1ヶ月でも半月でもいいから、
 夫婦一緒に過ごせるようにしてあげたい。
 それにもしかしたら、
 奥様が傍に居る事で元気が出て来るかもしれないから・・・。」と
私の想いを伝えた所、
『わかりました。近いうちに母の施設に話してみます。』と、
受入れて下さいました。
その後、担当ケアマネにも報告し、本人との面談、会議などを経て、
ヨネさんが入居する事になりました。
居室の問題は、大浦家の離れを使用する事で何とかしました。
ヨネさんが入居した日、
ここ最近の覇気の無さが嘘の様に、あなたは元気でした。
ヨネさんの腕をポンポンと叩き、
私を指さして、
『この人が俺がいつもお世話になっとる大将や、ほら、挨拶せんか。』と、
しきりに言っていましたよね。
でも、言われている当人のヨネさんはどこ吹く風で、
なんじゃこのじいさんは・・・
と、いう様な顔をしていて、
その2人の姿が可笑しくて笑って見ていたのを思い出します。
ヨネさんが来てから、
あなたはどんどん元気を取り戻しましたよね。
今でもたまに考えます。
あの時、こんな無茶なお願いをするなんてありえない。
そう思って行動を起こさなかったら。
ご家族が私の提案を受け入れて下さらなかったら。
あなたが元気を取り戻す事は無く、
私もやっぱりあの時行動しておけば良かったと、
後悔していたかもしれないと。
それからはヨネさんも一緒に、色々な事をしましたね。
大衆演劇や博物館に行ったり、
サーカスを見に行った時は、
まるで子供の様に目を輝かせて食い入る様に見ていましたね。
旅行にも行きました。
美味しいものを食べて、気持ちいい温泉に入って。
こう思い返してみると、
あなたとは、大変な事だけではなく、楽しい想い出も沢山ありますね。
そういえば、あなたには言ってなかったけど、
あなたにとってのピンチがもうひとつあったんですよ。
それは、それこそヨネさんが入居する少し前の事だったと思います。
スタッフ2人が私の所に来て、
あなたをみるのが大変だから、ご家族に病院に連れて行ってもらい、
薬を処方してもらう事は出来ないのか。
そう訴えて来たのです。
この頃のあなたは、先に言った様に覇気がない状態でしたが、
いつも虚ろな感じで夢と現実の区別がつかず、混同してしまっていたのか、
覚醒したと思ったら、突然怒り出したり、唾を吐いたり、
皆に暴言を浴びせたりといった症状が日常的に出ていました。
周囲が楽しく過ごしていても、あなたが怒りだしてしまい、
一転みんなが怖いと雰囲気が悪くなる。
あなたの排泄や入浴のお手伝いをしようとすると、
怒鳴られたり、殴ろうとされたり。
そんなあなたの症状に耐えかねてスタッフ達は私のもとに来たのです。
スタッフ達は私に訴えます。
「今の状態のシマさんをみるのは、正直言って難しいです。
 周りの入居者の皆様への影響も大きいし、
 何より頻繁に興奮状態になるシマさん本人が
 一番きついと思います。
 医師に相談して精神を落ち着かせる様な薬を
 処方してもらえるように出来ないでしょうか?」と。
私も確かにその時のシマさんの症状をそのままの状態で
みて行くのは大変だし、他の大浦家家族の皆への影響も計り知れない。
そう思っていました。
が、私はスタッフ達に、
『嫌です。そんな事はしません。』
「え?・・・何でですか?」
私のまさかの返事に唖然とするスタッフ達にこう続けます。
『私達の判断でシマさんを殺していいんですか?
 その覚悟があるんですか?』
「?????」
ますます意味がわからないという顔をするスタッフ達。
私は、スタッフ達が私の言葉の意味が分かっていない様なので、
分かりやすく説明しました。
長くなるので細かい説明は省きますが、介護の仕事をしていると、
今回のシマさんの様な利用者の方をみる事はよくあります。
そして、大抵の所は今回スタッフが言って来た様に、
薬を処方してもらい、症状を抑えようとします。
すると、どうでしょう。
効果てきめん!
すっかり大人しくなります。
いつも、起きてるのか寝てるのか分からない様な状態になり、
以前の様にコミュニケーションをとる事も、動く事も難しくなります。
その状態が続く事で急激に身体は衰え、ある時、誤嚥性肺炎にかかり、
亡くなります。
これが、私が10年以上施設に勤めていた時の
一番オーソドックスなパターンでした。
おそらくそれなりの期間働いた経験のある介護者であれば、
理解できると思います。
うちのスタッフ達もこれは理解できました。
そこで、こう問いかけました。
『この方が薬を飲むようになってから肺炎で亡くなる前までの間、
 果たして本当に生きていると言えるんですかね?
 言いたい事、やりたい事があっても薬で意識朦朧状態に
 抑えつけられ、何も出来ずに日々を過ごし、そして死ぬ。
 私は、薬を飲ませた時点でもう死んでいるのと変わらないと思う。
 家族は申し訳ないと思うから、お願いすれば嫌とは言わない。
 だから私達介護者がお願いすると決断してしまったら、
 それは私達がその方を殺すのと変わらないのではないですか?』
「でも、じゃあどうしたら・・」
『皆で考えて、思いつく限りの方法をやって行きましょう。
 思いつく限りの事をやってダメだったら、
 その時、ご家族に相談しましょう。』
「思いつく方法は私達も既に色々やりましたが、
 それでもダメだったから話に来たんです。」
『それはスタッフが個別に試したことでしょ?
 そうではなく、皆で話して決めた対応方法を
 皆で試さないと効果はでませんよ。』
「でも・・・。」
スタッフも自分達なりに必死で考え、関わってきただけに、
簡単には納得できませんでした。
『じゃあ、私がダメだと思う根拠を言いましょう。
 それは、皆さんが困っているシマさんの症状が、
 私の前では出ないからです。
 相手を選ぶ事が出来ているのなら、
 絶対改善する方法があるはずでしょう。』
そう、あなたはそんな激しい症状が出ている時でも、
私には怒鳴ったりせず、いつもの様に接してくれていましたよね。
私はそれを見て、あなたの今の症状は精神疾患の様に、
あなたの意に反して症状が出ているわけではなく、
何か他に原因があると気付く事が出来たのです。
スタッフ達もそれは普段から目にしていたので、
納得せざるを得ませんでした。
それから、なんやかんや頑張ってあなたも少しづつ落ち着き、
何とか一件落着。
こんな事があったなんて、あなたは知らなかったでしょ?
あの時、スタッフの訴えを受け容れていたら、
あなたはその後どうなっていたのでしょうか。
きっと、今のあなたの様に、
皆に見守られながら、
奥さんに手を握られながら、
眠る様に穏やかに最後を迎える。
こんな事は出来なかったのではないかと思います。
後悔が全く無いわけではありませんが、
私の20年足らずの介護人生の中で、
一番私達があなたにしてあげる事の出来る、精一杯を、
介護者としての理想を、
そしてなにより、きっとあなたにとってこれ以上ない最後の形を、
あなたと私達、ご家族、ケアマネ、医療関係者の
皆の力で実現出来たから、
とっても寂しいですが、哀しくはありません。
あなたは私に、そしてみんなに、
困難を与え、時には難しい選択を迫り、
私達が人として、介護者として、
本当に大切な事とは何かを教えてくれました。
あなたは、私達の中で生きています。
あなたと一番長く濃くかかわらせてもらった私は、正直、
まだあなたがいなくなってしまった実感を持てずにいるくらいです。
こうやって今までの事を思い返す時、
まるで昨日の事の様に、
あなたの表情や声を鮮明に思い出す事が出来るから。
もし今私が、あなたの居ないあなたの部屋を訪ねて、
あなたが居たとしても、
きっと何も驚かずにいつもの様に世間話をして、
一緒に笑うでしょう。
それくらい鮮明に、私の中にあなたが居ます。
だから、涙も出ないし、哀しくもありません。
寂しくなっても目をつむって、
こうやって思い出せば、
ほら、あなたが出て来てくれるから。
だからこっちの事は気にせずに、
向こうでゆっくり、のんびり、楽しくお酒でも飲みながら、
私達の事を見守っていて下さい。
きっと先に行っている
大浦家、上津役家家族のサエさん、
マコさん、タケさんも待ってくれていると思うから。
向こうでは短気を起こさず、
皆と仲良くね。
 
 
『今まで本当にありがとう。』
 
 
『じゃあ、いってらっしゃい。』




大浦家・上津役家日記~R2.8月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。
今月も遅くなりましたが、
読んで頂ければ嬉しいです。

おかえり

上津役家次男坊のシマさん。

今年九十一歳になった彼は、

昨年末頃から、体調を崩し入退院を繰り返すようになりました。

以前から腎臓の状態があまり良くないと医師から言われていましたが、

最近は以前にも増して腎機能の低下が見られるとの事。

ご家族は、入院する度に退院後は上津役家でなく、

医療体制の整った施設に入所した方が良いと、

医師に言われていたそうです。

それでも何とか上津役家に帰りたいと、その言葉を振り払い、

上津役家に帰って来てくれました。

そして、今年の3月末にまた体調を崩し、入院する事になりました。

それまでは、入院したといっても、

1週間程度で元気になり帰って来ていたので、

今回もまたすぐに元気になって帰って来るだろう。

そう、皆が思っていました。

しかし、中々回復の目途が立たず、

入院して1ヶ月・・2ヶ月・・。

そして3ヶ月が経とうとしていました。

ご家族に連絡を取り現在の状態を確認すると、

あまり状態は良くなっておらず、

食事もあまり摂れていないとの事で、

毎日点滴をしており、未だ退院の予定は立っていない。

との事でした。

またそれだけでなく、

現在の状態であれば、いよいよ医療体制の整っていない

上津役家へ帰るのは無理だと医師に言われたそうです。

退院予定が立たず、

退院しても上津役家へ帰って来るのが難しいのであれば、

毎月の上津役家の家賃負担がもったいないので、

ご家族と相談した上で、

一旦、上津役家の契約を解約する事にしました。

そしてご家族には、

退院が決まったら、もしその時点で上津役家が

満床になっていたとしても必ず連絡して欲しい。

そうお伝えして、話しを終えました。

私がこの時ご家族に連絡をお願いしたのは、

万が一シマさんがシェアハウスに帰って来れる状態で退院した場合、

例えその時満床であっても何とかして帰って来れる様にしたいと

考えていたからです。

そして3カ月目も後半に入る頃。

スタッフよりLINEが入りました。

『シマさん、退院するらしいよ。』

「え?」

ご家族からまだ連絡をもらっていなかった私は驚き、

すぐにスタッフに電話して、詳細を確認しました。

すると、その日たまたま手続き上シマさんの介護保険証が

必要になったご家族が上津役家に来たそうで、

その時にシマさんが数日後には退院し、

病院の系列のショートステイで1週間程様子を見た上で、

系列の施設に入居する事になったと言っていた事。

それと併せて、病院や系列施設の相談員から唐突に、

そして何度も看取りの話しや、

もうすぐ最期を迎えると決まっているかの様に話しをされ、

どのような対応を望むのか、短時間での選択を迫られ、

悲しくなったと目に涙を浮かべ、話していたとの事でした。

スタッフとの電話を終えた私は、すぐにご家族に電話をしました。

「シマさんの退院が決まったと聞いたのですが・・・。」

『はい。じつは・・・』と、

スタッフに確認した話を、改めてご家族から直接聞きました。

私に連絡をしなかったのは、

今迄充分してもらったのに、

これ以上迷惑を掛けたら申し訳ないと思い、

連絡出来なかったとの事でした。

現在の状況とご家族の気持ちを聞き、私はご家族に提案します。

「看取りの方向でシマさんを見ていくのであれば、

訪問診療と訪問看護を利用すれば上津役家でもみれると思うので、

上津役家へ帰って来ませんか?」

『え?いいんですか?』

「もちろんです。いままでずっと一緒に過ごしてきて、

最後だけ慣れていない、周囲に見知った人もいない、

他の所で迎えるのは、本人も嫌でしょうし、私達も嫌なので。」

『ありがとうございます!

 そしたら病院に上津役家に帰りたいと話してみます。』

こうして、シマさんが上津役家へ帰って来る事が決まったのでした。

実はこの時、既に退院直前で、

ショートステイの申込みも済んでいました。

もしこの時すぐに電話を掛けなかったら、

もしかしたらシマさんは帰って来ていなかったかもしれません。

後日、ご家族から聞いた話ですが、

私と話をした次の日が病院を退院する日で、退院に際して医師や看護師、

これから利用するショートステイ先の相談員などが見送りや迎えの為、

一堂に会した時、ご家族は今言うしかないと意を決し、

『父を上津役家に帰らせたいです!』

と、泣きながら訴えたそうです。

その言葉を聞いて、その時その場に居た関係者全員が唖然として、

言葉を失ったそうです。

退院前に事前に話して決めた、

今後の流れを全てひっくり返したのですから、

相手からしたら正に青天の霹靂、寝耳に水と言った感じだったでしょう。

私はこの話を聞いて、この時の事を想像したら、

周囲の人達のポカンとした顔が目に浮かぶ様で、

思わず笑ってしまいました。

しかしそれと同時に、

医師、看護師、ソーシャルワーカー、

施設相談員、ケアマネージャーなど、

様々な人が動き、話し、その上で自分達が判断し決めた事を、

最後の最後でひっくり返す。

これを実行するのは、

並大抵の勇気や気持ちだけでは到底無理だと思います。

恥や外聞をかなぐり捨て、

自分が周囲にどう思われようが、

シマさんにとって何が一番良いのかを常に考え、

たとえ自分が決めた事であっても、

もっと良い道があると思えばひっくり返す。

そんなとても強い想いと、

とても強い覚悟があるからこそ出来たのだと思うと、

大浦家や上津役家の入居者のじじばばに、何が出来るのかと、

日夜奮闘しているのは私達だけではなく、

別の形で同じ様に強い想いでご家族も一緒に闘っている。

その事を強く感じさせられ、

とても感激し、尊敬と嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。

そして、1週間のショートステイを終え、

いよいよ4ヶ月ぶりにシマさんが上津役家へ帰って来ました。

入院期間が長く、食事もほとんど摂れていなかった事もあって、

見違える様に痩せてしまった彼の姿に、

みんなショックは受けていたものの、

『シマさん、おかえり~。』と、

声を掛け、久々の我が家へ迎え入れたのでした。

彼は目をつむり、特に何の反応も示しませんでしたが、

私には何となく彼の表情が、

やわらかく、穏やかな雰囲気に変わった様な気がしました。

帰って来て、すぐに行われたのは散髪でした。

シマさんを見て、

不格好に伸び切った髪の毛が気になったスタッフが、

何とかしたいとベッドで寝たきりの彼を、

ベット上で身体の向きを変えながら、

少しづつバリカンでカットして元のすっきりした髪型にしました。

されるがままにカットされている彼も、

心なしか気持ち良さそうな表情でした。

その日の夜、ご家族から感謝のメールが届きました。

聞くと、ご家族も面会に行く度に気になっていたが、

さすがにそこまでは頼めないと諦めていたそう。

この様な何気ない所に気付き、対応できるのも、

ずっと一緒に生活して来た上津役家に帰ってきたからこそなのだと思います。

シマさんは、退院前から食事があまり摂れない為、

点滴を毎日の様に打っていましたが、

スタッフが根気よく、彼が起きている時を見計らい、

少しでも口から食事や水分を摂ってもらうように働きかけ、

今では食事も水分もかなり摂れる様になってきました。

退院してしばらく経つと、

しっかり起きている時は声を出し、

会話できる時もチラホラ出てきました。

顔色もすっかり良くなり、

ご家族も上津役家に帰って来て本当に良かったと言ってくれました。

最初、担当医師はもって1週間くらいだと思っていた様ですが、

今、これを書いている時点でもう1ヶ月が経とうとしています。

そして今日・・・・。

シマさんは眠る様に穏やかに息を引き取りました。

次号「 いってらっしゃい 」に つづく・・・。

大浦家・上津役家日記~R2.7月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。 
最近はいつも遅れ気味で申し訳ありません。
今月は少し脱線して、
うちの家族の話は全くありません(; ・`д・´)
普通の読み物としてお読み頂ければ幸いです。
では、どうぞ!

「 おそれ 」

コロナ禍による自粛や働き方の変化。
最近よく耳にする新しい生活様式。
やり慣れて来た仕事の進め方が変わって思う様にいかない、
思った時に行きたい所に行けない。
今迄当たり前に出来ていた事が出来ない。
皆さんは今年に入ってからのこの急激な変化に適応出来ているでしょうか?
最近、また落ち着いたかに見えたコロナが猛威を振るい始めました。
早く元の状態に戻ってくれないと
耐えられないという様なストレスを抱えてはいないでしょうか?
私達がこんな窮屈な思いを強いられているのも、
全ては恐ろしいコロナから逃れる為。

ここで皆さんに質問です。
  
人はなぜ恐れや不安を抱くのでしょうか?

そして、恐れや不安はどこから来るのでしょうか?

私が思うに、人が恐れや不安を抱くのは、
「わからない」から。

どこからくるのかは、わからない事で必要以上に広がる
「想像力」から。

ではないかと思います。
コロナとはどんな病気なのか?
どうやって感染し、どんな症状が出て、どうすれば治るのか?
どんな場合が重症化し、命に係わるリスクはどれくらいなのか?
それがはっきりわからないから、
色々と最悪の事態を想像してしまう。
もしかしたら私達は必要以上に自らを窮屈にしているのかもしれません。
例えば、
同じ感染症のインフルエンザは、
どのような病気なのかある程度わかっており、ワクチンも治療薬もあります。
だから、私達は自分達の生活様式を変えない程度の必要な予防をした上で、
恐れる事なく経済活動や余暇活動を送っています。
ですが、実際には2018年、2019年と
インフルエンザで亡くなった人は、
インフルエンザから肺炎を併発したり、
持病が悪化して亡くなった人を除いても、3000人以上もいます。
(インフルエンザが原因の関連死を含めると1万人にも上ります。)
治療法が確立していてもこれだけの犠牲が出るのです。
インフルエンザはそれほど恐ろしい病気なのです。
私は、コロナを恐れすぎだと言いたいわけではありません。
私が言いたいのは、
「わからない」という事と、
「わかっている」という事が及ぼす、
人への影響力の強さと、
急な環境変化が与えるストレスの大きさです。
同じ様にコロナ以前より、
この様な急な環境変化や恐れと闘い、
新しい生活様式を獲得する事を余儀なくされている人達がいます。
病気に罹った人、
事故にあった人、
親になった人、
親を亡くした人など、様々な方々がいます。
そして、私達の身近な存在、
高齢者の人達もまた同じ。
身体が弱ったり、持病が悪化して思う様に身体が動かなくなり、
今迄と同じ様に外出したり、旅行に行ったり、
気軽に外出したりという生活ができない。
認知症を罹い、色々な事がわからない、わからなくなっていく。
住み慣れた自宅での生活を続ける事が困難になり、
自分の想いに反して施設への入居を余儀なくされる。
人は基本的に変化を嫌います。
そしてそれは、歳をとるほど強くなっていくように思います。
そう考えると高齢者の方々の苦悩や葛藤、ストレスは計り知れません。
おそらく現在私達がコロナ禍で受けている
ストレスの比ではないでしょう。
それでも彼らはそれに負けず、
今を一生懸命に生きています。
恐れや不安に負けず、乗り越えていける人を、他人は勇敢と言います。
私達の身近には、そんな様々な困難を乗り越えて来た
勇敢な先人が沢山います。
彼らより若く、身体も元気な私達がコロナ禍のストレスくらいで
負けるわけにはいきません。
彼らを見習い、彼らに学び、恐れに打ち勝ち、
乗り越えていきましょう。
私達には勇敢な先人の血が流れているのですから。 

「 愛 」

以前書いた事がありますが、
私は新しい入居者の方を迎える時に、
病院や前施設、ご家族からの事前情報は参考程度に留め、
信じ込まない様に意識しています。
それは、もしかしたら本人にやらせていないから出来ないだけで、
本当はそれを行う能力が残っている可能性があるからです。
だから、何事も実際に自分で試し、
自分で確認した事だけを信じるようにしています。
実際にそれを意識するようになってから、
皆が出来ないと思っていた事を、
やらせてみたら出来たという事が何度もありました。
もっとわかりやすい例を挙げると、
自分が良く忘れ物をしてしまう人間だと気付けば、
忘れない様に対策をして、忘れ物を防ぐ事が出来ます。
この様に、
表面的に知っているつもりでいると失敗してしまったり、
本質を理解する事で、自分の行動を変えられる事があります。
私が最近耳にして、
これが本質ではないかと妙に納得をしたものについて、
少し書きたいと思います。

皆さんは、「差別」とは何だと思いますか?

辞書を引くと、
『区別し、差をつけること』という様な事が書いてあります。
よく聞くものでは、男女差別、人種差別、障害者差別。
あと、昔は部落差別というのもありました。
様々な差別があり、
差別により人が命を落とす事も、めずらしくありません。

皆さんは、差別は根絶するべき悪いものだと思いますか?
また、差別をこの世から無くす事が出来ると思いますか?

もうひとつ。

皆さんは、「愛」とは何だと思いますか?

辞書を引くと、
『かわいがり、いつくしむ心』という様な事が書いてあります。
よく言われる言葉に、『恋は下心、愛は真心』というのもありますね。

皆さんは、愛は尊く、大切なものだと思いますか?
また、愛をこの世から無くす事が出来ると思いますか?

皆さん。
ここまでの質問に回答出来ましたでしょうか?

では、私が耳にした言葉を皆さんにも。
  
『愛とは何か?・・・・愛とは、差別である。』
  
・・・・どうでしょうか?

私はこの言葉を聞いた時、衝撃を受けました。
「差別」に対して悪いイメージを持ち、
「愛」に対しては全く逆の、良いイメージを持っていたからです。
世間では、「差別」を無くすために声を上げデモ行進を行います。
そしてそれと同時に、「愛」を持つ事を訴え、愛は世界を救うと思っています。
つまり、差別を無くし平和を実現する為には、差別が必要だと言う、
矛盾する事を言っていたのです。
もちろんこれは、この言葉が正しければの話しですが・・・。
ただ、私のいたらない頭では、
どんなに考えても納得できる反論が思いつきません。
恋愛、親子愛、友愛、動物愛、自然愛。
どれをとっても「愛」は何かを特別にし、
特別なものが現れた瞬間に、
特別とそれ以外で「差別」が生まれてしまう。
「愛」が差別でないとしたら、
それは、
『全てに対して平等な無償の愛』
ですが、感情を持つ人間がこの愛を持つのは無理ではないかと思います。
もし、これらが間違いなのであれば、是非、私を捕まえて教えて下さい。
ただ、私はこの言葉を悪く捉えているわけではありません。
「愛は差別」
確かに。
私は知らない他人よりも、知人や家族を優先するし、
他の高齢者よりも、うちのシェアハウスの家族(入居者)を優先し、
誰よりも喜ばせたいと思います。
大切なのは、差別とは何かを知り、
自分が差別している事を認識し、
その差別が誰かを幸せにするものなのか、
傷つけるものなのかを考えた上で、
自らの行動を選択していく事なのではないかと思います。
世の中には、完全な善悪など、
はっきりと白黒つけられるものはあまり無く、
誰かの幸せが誰かの不幸になる事も少なくありません。
人生は楽しい事ばかりではありません。
もしかしたら、辛い事の方が多いのかもしれません。
それでも、全ての人が差別とは何かを知り、
その上でそれぞれが周囲の人達が幸せになる差別を選び取り、
それを行動に移して行けば、人を不幸にする差別が減り、
愛という名の差別が世界に溢れ、
よりよい世の中になるのではないでしょうか。 

大浦家・上津役家日記~R2.6月号~

皆さんこんばんは。
あきひこです。
遅くなりましたが、
今月も読んで頂ければ嬉しいです。
では、どうぞ。

「 天国のあなたへ 」

令和2年6月7日。
上津役家4男である、
タケさんが天国へ行きました。
享年86歳。
(仮名で書きたくないので、以降は「あなた」と書きます。)
あなたと初めて会ったのは、
あなたとヒロさんが上津役家へ見学に来た時でした。
施設の話を少しでもしようものなら、
森にでも行って自殺しようと本気で話し合う2人を見て、
ご家族がどうやって見学に連れて来ようかと
苦労していたのを思い出します。
何とか見学に連れてきて、
何とか体験入居をしてもらい、
何とか入居をしてもらいました。
入居当初は家に帰りたいといって、
何度か家に帰ろうとする事もありましたが、
上津役家での生活に慣れるにつれてそれも落ち着いていきました。
入れ歯を付けるのが嫌いで、
食事は入れ歯なしで食べていましたね。
食べる物も自分が食べたい物しか食べず、
よくお嫁さんが自宅に居た時に食べていたおかずを、
作って持って来てくれた事もありましたね。
まだ身体が元気な頃は精力的に畑で野菜づくりなどをしていたあなたが、
身体があまり言う事を聞かなくなってからは出不精になりました。
上津役家スタッフは手を変え品を変え、
何とか外に出そう、
レクレーションに参加してもらおうと苦労していたのを思い出します。
飴が好きで、食後部屋に戻ると言って部屋に連れて来るなり、
『飴ちょうだい』と、
いつもスタッフに飴をおねだりしていましたね。
一度しないと言ったら頑としてやらないといった
頑固な所もありましたが、あなたの素敵な所は、
何と言ってもその愛情でした。
奥様のヒロさんに妄想症状が出て、
あなたが浮気したとカンカンに怒り出した時がありましたね。
ヒロさんはあなたの手を痣が出来るほど思い切り叩き続けました。
それでもあなたは反論する事なくその妄想に付き合い、
『ごめん、ごめん』
と謝り、落ち着くまで付き合っていました。
症状のせいで激しい行為に及ぶ事もありましたが、
ヒロさんもいつもあなたの事を気にかけていました。
口では文句を言いながらも、
あなたの身の回りの世話を甲斐甲斐しくしていましたよね。
あなたとヒロさん夫婦を見ていると、
傍から見ている私達が思っている以上に、
お互いの絆の強さ、愛情の深さがあるんだろうなぁ。
わたしも将来人生を共にする相手とは、
あなた達の様な強くて深い愛情を築きたいと心から思いました。
最後にあなたに会ったのは、
今年の2月の始めのお誕生日の時でしたね。
昨年末頃より、
急に物を食べたくないと、食べる事を止め、
何をしても言っても食べず、体調を崩すようになり、
入院を余儀なくされました。
入院中も食事を一切摂らず、
点滴などで栄養状態を維持していたあなた。
少しでも元気を出してご飯を食べ、帰って来てほしいと、
ヒロさんの写真をいっぱい貼った誕生日ボードとプレゼントを持って、
ヒロさんと一緒にお見舞いに行きました。
あなたはプレゼントとボードを見て、
目に涙を浮かべ、喜んでくれましたね。
頑張ってご飯を食べると約束もしてくれました。
職業柄、食事を摂れなくなると危ない事は
何度も経験しているのでわかっていました。
それでも、何とか元気を取り戻して欲しいと願っていました。
しかしその後も中々食事が摂れず、
私達の願いは叶う事なく、
あなたは先にいってしまいました。
ご家族の話しでは、入院が長くなり、
ベットで過ごす時間が増えたあなたは、
身体の拘縮が進み、膝は伸ばせなくなり、
少し身体を動かそうとしただけでも
激しく痛がるようになっていたと聞きました。
食事を摂らなくなってから半年程。
もしかしたらあなたは、
ご家族や私達の願いを叶える為に、
すごく頑張ってここまで耐えてくれたのかもしれません。
今は痛みからも解放され、
天国で大好きなお酒と大好きな甘い物と
大好きな白ご飯を目いっぱい食べているかな?
前にもう一度だけでいいから、
会いたいと話していた河童にも会えたかな?
会えていたらいいなぁ。
多分、あなたの唯一の心残りは、
ヒロさんを残していったことだと思います。
でも安心してね。
ヒロさんがこれからも安心して楽しく過ごせるように、
今度は私達が頑張るから。
あなたとしたかった事、
あなたにしてあげたかった事、
考えたらキリがありません。
後悔だらけです。
そのあなたに対しての後悔の分も、
ヒロさんに楽しんで貰えるように頑張るから。
安心していつもの可愛い笑顔で見守っていてね。

ご家族の皆様へ。
この度はお悔やみ申し上げます。
タケさんの最後の家として、上津役家を選んで下さった事、
本当にありがとうございます。
タケさんと出会い、生活を共にし、色々な事を一緒にして、
楽しい時間を共にした日々は、
私達の一生の想い出であり、私達の財産です。
スタッフ一同、
心より故人様のご冥福をお祈り申し上げます。 

大浦家・上津役家日記~R2.5月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。
非常事態宣言解除されたと思いきや、
北九州では早々に第2波。
しかも第1波よりも激しい波( ;∀;)
やはりワクチンや薬が出来るまでは
現在の警戒態勢を継続するしかないようです。
コロナにより苦しい、悲しい、辛い思いをしている方々が
沢山いる事に改めて想いを馳せ、
自分の行動に細心の注意を払い、
明るい未来が少しでも早く戻ってくるよう、
みんなで頑張って行きましょう!
では、今月も宜しくお願い致します。

「 どんと諦観 」

失敗ではない。
うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ。
トーマス・エジソン
 
お金の事や仕事の事、
人間関係など、
生きていると必ずぶつかる、壁。
自分の力だけではどうにもならない壁もあれば、
自分次第で乗り越えられる壁もあります。
今回は、自分次第で乗り越えられる壁についてのお話し。
壁は、大抵の場合が、
自分自身が作り出したものなのではないかと思います。
同じ環境や同じ状況に置かれても、
壁を感じる人もいれば、
全く感じない人もいます。
ピンチをピンチと思う人もいれば、
ピンチをチャンスと思う人もいる。
冒頭のエジソンの言葉も同様。
私なら1万回も実験に失敗したら、
心が挫けるものですが、
やはり天才。
考え方が違います。
でもなるほど彼の言う様に考えると、
たちどころにその壁は無くなってしまうのかもしれません。
このように自分の考え方で壁を
創らない事も出来ますが、
仮に壁を創ってしまっても、
努力して乗り越えるという方法もあります。
私としては、
全てポジティブに考えられるわけではないし、
壁を乗り越えた時の達成感や、
自分自身への自信になる、
後者の方が良いのではないかと思っています。
私達の仕事においても沢山の壁が存在しますが、
その中でも私達の仕事特有な壁として、
認知症とどう向き合うかという壁があります。
詳しく言うと細かすぎてわかりずらいので、
わかりやすい極端な例をあげると、
お出掛け(一般に言う徘徊)の症状のある方がいて、
何度も施設から出てしまう状況があったとします。
その時、施設側がどの時点で玄関に鍵をかけるのか。
という、判断の壁が生まれます。
月に1回そういう事があった時点で鍵を掛ける様にするのか、
週に1回あれば鍵を掛けるのか。
その判断は施設により様々。
その様な方がいなくても、
開設時から鍵をかけるようにしている所もあります。
もうひとつ。
暴力行為のある方がいたとして、
それがどの程度であれば受入れを拒否、
または退去をお願いするというのもひとつの壁だと言えます。
ただ、どちらにも言えるのが
今例にあげたこのふたつの方法は、
壁を乗り越えたのではなく、
壁を相手へ押し付けただけだという事。
施設側にとっては判断を実行すれば壁は無くなります。
しかしその一方で、
その判断を実行したがために、
利用者本人やその家族に新たな壁を生む事になるからです。
これは壁を無くすでもなく、
壁を乗り越えるでもなく、
壁を相手へ押し付けるだけなので、
何の喜びも達成感も、自信も生まれる事はありません。
うちの家族(入居者)にも、
似たような症状のある方はいますが、
スタッフ全員で知恵を出し、
協力して壁を押し付けずにやるようにしています。
大変ですが、そのおかげでスタッフも力をつけ、
自信を持って働く事が出来る様になり、
現在の大浦家、上津役家があります。
誰かが言っていました。
必ず成功する方法とは。
それは、
『成功するまでやり続ける事だ。』と。
なんじゃそりゃと思われるかもしれません。
私も始めは思いました。
でもよくよく考えてみると、
これは裏を返せば、
自分をどれだけ信じられるか。
という事を言っているのではないかということに思い至りました。
どんな困難や失敗があっても、
自分の考えや追い求めた道を信じ、
答えを追い求め、継続する心の強さ。
それを持つ者こそ成功に辿り着ける。
そう考えるとなるほどと納得し、
これからもこのやり方を貫き、
出来る限りもがき、あがき、粘り、
諦めずに壁を乗り越える事にこだわろう。
そしてそんな自分を信じぬこう。
そう改めて思ったのでした。
最後にうちのスタッフが壁を乗り越えた時のお話しをひとつ。
上津役家の家族であるヒロさん。
彼女はレビー小体型認知症。
物忘れはもちろんですが、
幻覚や妄想などの症状があります。
日によって軽いものだったり、
強いものだったりします。
明るい幻覚や妄想なら楽しくて良いのですが、
症状が強い時は何故か決まって悪い妄想だったりします。
この日もそうでした。
朝から機嫌が悪く、仏頂面の彼女は、
スタッフの声掛けにもそっけなく、
何やらぶつぶつと口の中で不満?を言っています。
その後もスタッフが時間をおいて声を掛けても変わらず。
それどころか、
どんどん周囲への当たりがキツくなってきていました。
この様な時は、触らぬ神に祟りなし。
スタッフは、彼女の気持ちが落ち着くまで、
様子見の構えで待ちます。
しかし、ひとりのスタッフが覚悟を決めて行動を起こします。
「なんでそんなに怒ってるの?」
『あんた達には言わん!あっち行き!』
「言ってくれなわからんやん!」
『いいけ向こう行き!』
案の定、良い反応は返ってきません。
普通であれば、やっぱり駄目かと諦めて他のスタッフと同様、
様子見する所。
しかしこのスタッフは諦めませんでした。
追い払われても追い払われても、
またすぐに彼女の元に来て、
同じ問答を何度も繰り返します。
そして、何度目かの押し問答の末に、
彼女の反応に変化が現れます。
『あんた本当にしつこいね。
 じゃあ教えてやるけん紙とペンを持ってきなさい!』
「わかった!すぐ持ってくる!」
その後、紙とペンを持ってきたスタッフとイスに座り、
紙に私の言うとおりに書きなさいと指示した彼女。
わかったと言って、彼女の言う様に紙に書きます。
内容は、
『○○が○○円。』
『○○が○○円。』
といったもの。
彼女が怒っていたのは、
紙に書いたこの金額を自分が周囲の人間に貸しているが、
全然返してくれないからという事でした。
スタッフは良く話しを聞き、
それはひどいと同調し、
自分が必ずお金を返してもらえるようにする!と買って出ます。
このやり取りの中で、
自分の気持ちを吐き出す事が出来た彼女は、
どんどん気持ちが穏やかになっていきました。
そして、最終的に
『あんたに話せて良かった。』
と言って、やっといつもの笑顔を取り戻しました。
この瞬間、このスタッフは
彼女の心の壁を乗り越える事に成功したのです。
この話をスタッフに聞き、
なぜそんなに粘る事が出来たのか尋ねてみた所、
ヒロさんは男性スタッフに対しては、
自分の孫と勘違いする事もあり、
当たりが良く、
お風呂の介助なども比較的スムーズに出来るのに対し、
女性スタッフが相手だと中々手こずると言う状況があり、
自分とヒロさんの間にはまだ距離があると感じていたそう。
それに加え、
「男だから、女だから、AさんだからBさんは言う事を
 聞いてくれる。自分が出来ない理由に、
 その言い訳を使うのが一番嫌い。
 相手は人間。
 始めに入りやすい入りにくいはあっても、
 とことん向き合えば必ずいつか分り合えるはず。
 頑張って向き合って信頼関係を築いた介護者の努力を
 何もわかっていないから、その言い訳だけは絶対許せない。」
いつか私がそう話した事も頭をよぎり、
今の出来ない自分が悔しくて、
絶対にこの壁を乗り越えてやろうと思ったのだそうです。
相手は認知症。
明日になれば全て忘れてまた元通り壁が立ちはだかる。
この壁を乗り越える事に何の意味があるのか。
そう思う方もいるかもしれません。
しかし実際はそうではありません。
この日を境に、
ヒロさんのこのスタッフに対する反応は激変したそうです。
自分に対して笑顔で話してくれる事も増え、
お風呂もスムーズに入ってくれるようになったのだそうです。
本当に不思議な事ですが、
認知症であっても心を通わせ、
信頼関係を築く事が出来るのです。
私も何度も経験があるので、
間違いありません。
これは、
相手が認知症の方であっても信頼関係は築けると信じ、
諦めずにぶつかり続け、
乗り越えた者にしか得られない実感。
そして喜びです。
認知症の方、
特に周囲の人が中々理解できない大変な症状のある方ほど、
信頼関係が築けた時の喜びは大きく、
また結びつきも強くなります。
それを知れば知るほど、
この仕事でしか得られない喜びに、
認知症介護から離れられなくなってしまうのです。
最後に。
この話を書こうと決めた時に、
ふと、昔読んだ漫画のセリフを思い出したので、
皆さんに贈ります。

『人の足を止めるのは絶望ではなく諦観(あきらめ)、
 人の足を進めるのは希望ではなく意思』