大浦家・上津役家日記~R3.12・R4.1合併号~

皆さん、新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞ宜しくお願い致します(●´∀`)ノ

今月号、大変お待たせいたしました。
では早速。
どうぞ宜しくお願い致します。

「 ご挨拶 」

新年、明けましておめでとうございます。

皆様におかれましては、
輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
また、ここ数年はコロナ禍という、
大変な日々の中、多大なるご愛顧をいただき、
誠にありがとうございました。
本年もまだ、安心できる状況ではございませんが、
スタッフ一同、更なるサービスの向上に努めて参りますので、
より一層のご支援、お引立てを賜りますよう
宜しくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈りし、
新年のご挨拶とさせて頂きます。

「 前置き 」

今回の大浦家・上津役家日記は、
シェアハウス家族との別れが立て続けに重なった為、
あまり明るい内容ではありません。
新たな年を迎えるに当たり、
今から、気持ちよく新年をスタートしようと思われている皆様を、
悲しい気持ちにさせてしまうかもしれません。
なので、それでも構わないという方だけ、
読み進めて頂ければと思います。
また、2021年は今までに経験した事のない程、
シェアハウスの家族との別れが重なり、
私自身、まだそのショックを受け止めきれておりません。
今月号はお休みさせて頂こうかとさんざん悩んだ末に、
書く事を決めました。
その為、乱文で、まとまりのない、わかりずらい文章になっていると
思います。その点、どうかご理解頂ければ幸いです。

「 シマさんのもとへ 」

令和3年12月18日。
上津役家家族の
ヨネさんが天国へと旅立ちました。
享年88歳。
2020年の8月にご主人であるシマさんを
上津役家で看取らせて頂いてから1年と少し。
奥様であるヨネさんも上津役家で、
皆に見守られながら最期を看取らせて頂きました。
令和2年9月号でも書きましたので、詳細は割愛させて頂きますが、
元々、ヨネさんは他の介護施設に入居していました。
それを、大浦家に入居していた
ご主人のシマさんと一緒に生活する事が良いのではないかと考え、
私がご家族にお願いして、入居して頂く事になりました。
ヨネさんが大浦家に入居する前にいた施設では、
彼女は何もできない寝たきりの方とみられていました。

大浦家に入居してからは、
スタッフが手を引いて歩けるようになり、文字も書けるようになり、
会話を楽しみながら意思疎通も出来る様になりました。
そして、上津役家開設のタイミングで大浦家から上津役家にお引越し。
ご夫婦同じ部屋で、最期まで一緒に過ごされました。
これまで、ご主人と旅行やお出掛けなど、
弊社入居前には諦めていた、
様々な楽しい事を実現する事が出来ました。
ご家族はご夫婦が体調を崩して入院した際に、
何度も病院の医師から上津役家ではなく、
医療体制の整った施設への転居を促されました。
それでもご家族は私達を信頼し、
本人達は上津役家で過ごす事を望むはずだからと、
上津役家へ帰って来てくれました。
そして、令和2年にご主人のシマさんをヨネさんはもちろん、
他の入居者やスタッフも見守る中、
上津役家で最期まで看取らせて頂きました。
そして、今回。
ヨネさんも夜に呼吸が荒くなり、
その後、徐々に浅くなり、眠る様に息を引き取りました。
ご家族様はご主人の時もそうでしたが、
本当に最期まで上津役家で過ごす事が出来て良かったと言って下さいました。
また、自分自身も上津役家に来る事が楽しみだったので、
寂しくなりますとも言って下さいました。
弊社にご入居頂いている方は、自分の家族と変わらない、
大切な人達だと思っています。
当然、そのご家族様も同じです。
だから、お時間がある時はいつでも遊びに来て下さい。
そうお伝えし、必ず皆に会いにきます。
そうお約束してくれました。
シマさん、ヨネさん本人達への想いだけでなく、
おふたりを通して生まれたこのご家族との繋がりもまた、
大切にしていきたいと思います。

「 先に立ってしまった後悔 」

令和3年12月24日。
上津役家家族の
コウさんが天国へと旅立ちました。
彼の事は、先月号で書いたばかり。
自宅に帰りたい彼の望みを、
先々後悔しない様に可能な形で
実現してほしいとご家族にお願いし、
昨年の10月に実現した事をお伝え致しました。
ご家族はその後、
正月にも彼を自宅に連れ帰る計画を立てていたそうで、
その矢先の事でした。
不調を訴えた彼を、訪問診療医の指示の元、救急搬送。入院。
その4日後に、
病院でご家族に見守られながら亡くなられたそうです。
連絡を受け、ショックでまだ現実を受け入れられない中、
私達は上津役家の家族全員を連れて、葬儀に行きました。
ちょうどその日は、
入院する前に彼が食べたいと言っていた栗ご飯を晩御飯で出す日でした。
スタッフは彼の分の栗ご飯を持って、葬儀に参列しました。
上津役家家族も、私達職員も、彼との別れを惜しみながら、
最後のお別れをしました。

ご家族の皆様からは、

『あの時提案してもらい、お父さんを自宅に連れて帰って本当に良かった。
 連れて帰っていなかったら、後悔していたと思います。
 おかげで後悔せずに見送る事が出来ます。本当にありがとうございます。』
『人生の最期に過ごした施設が、
 上津役家で本当に良かったと思います。ありがとうございました。』

など、他にも沢山のありがたい言葉を頂きました。
ご家族の後悔をひとつでも無くし、
前向きな気持ちで最期を見送る
お手伝いが出来て良かった。
あの時行動して本当に良かった。
そう思う反面、
「ご家族が後悔しないようにする為に提案したんじゃないのに。
 コウさん、早すぎるよ・・・。今からだったのに・・・。」
という気持ちが込みあげ、
ご家族の言葉に心から喜べない自分がいました。
私はただただ、ひきつった笑顔で頭を下げる事しか出来ませんでした。
私は、今後お泊りを重ねながら、
上津役家で楽しく生活するコウさんの笑顔を見たい。
そう想って提案したのです。
1回お泊りしただけで天国に行っちゃうなんて、
せっかち過ぎるよ。コウさん。

「 飛び立つ風来トンビ 」

令和4年1月4日。
上津役家家族の
スミさんが天国へと旅立ちました。
享年84歳。
彼女は上津役家の風来トンビ。
(※詳しくは、大浦家・上津役家日記H31・5月号を参照下さい。)
明るく朗らかで、気持ちの優しい方でした。
耳が聞こえないので、
コミュニケーションを取るのに少し時間はかかりますが、
とても素敵な人でした。
上津役家に来る前は、有料老人ホームに入居されていて、
帰宅願望が激しく、何度も施設外へ出て行かれていたと聞きました。
そんな彼女も上津役家では落ち着き、
庭の野花を摘んで来ては花瓶に生け、タンスの上に飾っていました。
私が上津役家に顔を出した時には、
嬉しそうな笑顔で、
『あんた、来とったんね。』
と言って私の傍に来て、ハグをしていました。
いつも、トンビの様にキッチンに現れては、スタッフの目を盗み、

おかずを口に咥え、風の様に去っていくあなたの姿が、今でも目に浮かびます。
そんな彼女が、昨年の12月に食欲が低下。
食べた物を洗面所などで吐き出す様になりました。
元気はあるが、何かおかしい。
どこか悪いのではないかと心配になり、かかりつけ医とご家族に相談し、
大きな病院で一度検査を受ける事になりました。
ご家族が車で彼女を病院に連れて行く時も、
後部座席で楽しそうにしている彼女を見て、
本当にどこか悪いんかね?
病院行かなくてもいいんじゃない?
そう思うほど、元気だったそうです。
しかし、病院での検査結果は、全く予想外のものでした。
胆管癌のステージ4。
余命3ヶ月との診断され、そのまま入院となりました。
ご家族はその後、
上津役家で看取りをするか、ホスピスで終末期医療を受けるか。
悩まれた結果、少しでも痛みなく安らかに過ごして欲しいと、
ホスピスに移る事を決断されました。
1月29日にホスピスに転院。
癌による痛みが頻繁になって来た為、1月2日からモルヒネを使用開始。
それからは眠っている時間が増え、
そして、1月4日。
眠ったまま、彼女は息を引き取られたそうです。
私達が彼女の死を知ったのは、すでに葬儀を終え、
ご家族からご連絡を頂いた時でした。
スミさん・・・。
あなたはいつもやってきたと思ったら、風の様に姿を消しちゃうね。
最期くらいゆっくりお別れをさせてくれたらいいのに・・・。
おかげで最後に見た、貴方の笑顔が頭から離れないじゃないですか。

「 やるべきこと 」

この仕事は、人生の締め括りに関わらせて頂く仕事。
命の終わりに、普通以上に多く立ち合います。
それはわかっています。
わかっていますが、それにしても2021年は、
別れの年と言ってもいいくらい多くの別れがありました。
ユキさん、ヨネさん、コウさん、スミさん。
ご家庭の事情により、引越しをする事になったマルコさん、ヤマさん。
1年でこんなにも大切な人と別れる経験は、今までありませんでした。
ひとりでもショックなのに6人です。
流石にこれはこたえました。
ご家族の皆様、すみません。
本来であれば、おひとりおひとりとの思い出や、
上津役家での出来事などをもう少し詳しくお伝えしたいのですが、
そうすると、
とても書き終える事が出来ない状態になってしまいそうなので、
この様な形でまとめさせて頂く事に致しました。
どうぞ、ご理解頂ければ幸いです。
私達がこれからやるべきことは、わかっています。
今まで別れたみんなの事を忘れず、その人生から学んだ事を、
ひとつでも多く、今後の私達に活かす事です。
そして、今も生きている大浦家や上津役家の家族のみんなや、
これから新たに出会っていく人達と、
お別れした彼らと出来なかった事、
一緒にしたかった事をひとつでも多く実現して行く事だと思います。

「 天国のみんなへ 」

私達が悲しみに暮れていても、みんなは喜んでくれないよね。
きっとみんなが望むのは、自分達の人生を糧に、私達が前を向いて、
みんなと同じ様な悩みや想いを抱いている高齢者の人達に、
笑って、楽しんで、いい人生だったと思える。
そんな生活環境を創る事だよね。
それが私達がみんなに報いる事の出来る、一番の方法だよね。
うん、わかってる。
わかってるよ。
でももう少しだけ、もう少しだけ時間を下さい。
みんなとの思い出が多すぎて、簡単には受け止めきれんのよ。
もう少ししたら、きっと前を向いて頑張るから。
絶対、実現させてみせるから。
だから、ずっとそっちで私達の事を見守っててよね。

大浦家・上津役家日記~R3.11月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
お待たせいたしました。
今月もどうぞよろしくお願い致します。

「 理想と現実 」

どの業種に対しても言えることかもしれませんが、
福祉の仕事をしていると、理想と現実の板挟みになり、
悩まされることが沢山あります。
その中の1つが、
利用者ご本人様の想いとご家族様の想いが違う場合です。
例えば、
●ご本人
大変でもいいから、施設ではなく自宅で生活したい。
●ご家族
仕事もあり、常に身の回りの世話をする事もできないし、
事故なども心配なので、安心できる施設で生活してほしい。
このような時、介護者はどうすればいいのか。
ご本人様の想いを聞くと、
その願いを何とかして叶えてあげたいと思います。
ご家族様の想いを聞くと、
現実問題としてそれを実現させて

あげることが難しい事に納得せざるをえません。
介護者は高齢者の方々を支援する為の存在ですが、
その仕事を通してご家族の介護負担を軽減する為の存在でもあります。
今回のケースの場合、
ご本人様の希望を優先しすぎると、ご家族様の負担を増やし、
疲弊させてしまう事になるかもしれません。
そして現実問題として、
一介の介護スタッフにこの問題に対処する権限もありません。
介護施設は入居者あってのもの。
たとえご本人の希望があっても、
わざわざ自宅に帰し、退去させて収益を減らすような事はしません。
ですから、介護スタッフは何とかごまかしながら
対応するしかないのが現状です。
さらに、同様のケースの中で、以前、次のような事がありました。
帰宅願望のある方が終末期を迎え、状態が悪くなった時の事。
私はこのままその方が亡くなってしまう事を
受け入れられませんでした。
きっとまだ大丈夫。
まだ持ち直せる。
そう思い、私は次のように声を掛けていました。
「〇〇さん、もう少し元気になったら一泊だけでもご自宅に帰りましょう。
だからしっかりご飯食べて少しでも元気になりましょう。」
しかし、そう言いながらも私は、
自分自身のズルさに胸が痛むのを感じていました。
結局、その方は持ち直す事はなく、お亡くなりになられました。
介護職とはこれでいいのか。
どうするのが正解なのか。
以降、同じ様な事がある度に、
ずっとこの疑問がささくれの様に心のどこかでズキズキと疼くのでした。

「 理想と現実の重心 」

上津役家家族のコウさん。
彼は入居前、病院に入院されていましたが、
その時から、自分はどうなってもいいから自宅に帰りたい。
そう周囲に訴えていました。
しかし、現在の状態ではとても自宅で生活する事は難しく、
ご家族は上津役家へ入居する事を決めました。
上津役家家族の仲間入りしてからも訴えはありましたが、
上津役家での生活が落ち着くにつれ、
徐々に訴えは減っていきました。
病院受診の度に訴えを受けていたご家族様も、
最近は訴えを受ける事が無くなったと安心されていました。
しかし、私は訴えが落ち着いてきてホッとする気持ちの反面、
また心の中のささくれがズキズキと痛むのを感じていました。
訴えは落ち着いてきているんだから、このまま様子を見ていけばいい。
そう思う所もありましたが、
もし、
このまま上津役家で生活してもいいと思って落ち着いてきたわけではなく、
『自分の望みは叶わない。』と
諦めて訴えが落ち着いてきたのだとしたら・・・。
私達が良いと思っていた事が、
実は本人にとっては、唯一の望みを諦めるという、
絶望を味わわせる結果になっているかもしれない。
そう思い、
改めてコウさんの気持ちを確認する事にしました。
当然ですが、
彼は野垂れ死にしてもいいから自宅へ帰りたいと言っていました。
そして、もうひとつ。
『自分が周りにどんなに訴えても、誰も聞いてくれない。』
とも言っていました。
悪い予感が当たりました。
本人の理想と実際の現実。
どこで重心をとり、
本人、そしてご家族の想いに対するバランスをとるのが良いのか。

私は今までずっと感じてきたこの問題に対する疑問と、
逃げずに向き合う事にしました。
考えた末にひとつの結論を出し、すぐに行動に移す事にしました。
まず、コウさんのご家族に時間を作って頂きました。
そして、ご本人様の想いと、前章に書いた事等をお伝えしました。
その上で、コウさんを1泊でもいいので、
自宅に帰宅させて頂きたい。
もし、ご家族の皆様が帰宅中のコウさんの
身の回りの介護が難しいと思われるようであれば、
当日にご家族様が外泊して頂ければ、
私が一緒にコウさんの自宅に泊まり込み、
身の回りの介護をさせて頂くので、
どうか一時帰宅という形でコウさんの理想を叶えてもらえないか。
そうお願い致しました。
ご家族は、一旦話を持ち帰り、
みんなで検討してみますと言ってくれました。
しばらくして、ご家族から、
『子供達と相談して、家族みんなの休みを合わせて、
1泊帰宅させる事にしました。』と、
お返事を頂きました。
お返事を頂いた時、
私は心の中で、
「よっしゃー!」っとガッツポーズをとっていました。
実は私は、コウさんの気持ちを確認した時に、
出来る限りコウさんの願いが叶うように頑張るから、
約束するから、信じてほしい。
そう彼と約束してしまっていたのです。
早速彼に1泊だけだけど帰れる事になった事を伝えた所、
『なんね、たった1日ね。』と言っていましたが、
その顔は少し嬉しそうでした。
そして・・・。
10月23日。
コウさんは1日だけではありますが、
念願の自宅への帰宅を実現させたのです。
上津役家に帰宅後、

ご家族に自宅に泊まった時の様子をお尋ねした所、
次の様なお返事をメールにまとめて送って頂きました。
―以下、原文のまま―
こんばんは、先日の一泊外泊の感想をお伝えします♪
その日は孫、ひ孫が来て色々とお話が弾んでいました。
私は、無事に外泊が終わってほっとしています。
大変だったことは、夜のトイレ介助が二時間毎で四回起きましたので、
寝不足になり翌日の午前中は休憩を取りました。
孫達にも感想を聞きましたので箇条書きします。
・以前は一人になると5分もせずに誰かを呼びつけていましたが
 今回は一人の時間も穏やかに過ごしていたおかげで家事も
 やりつつ構うことができてお互い過ごしやすく感じました。
・以前はこだわりが強かったですが、
 お薬の白湯も、お茶でもいいよと言ってくれたり、自分で出来る
 範囲の準備や片付けもできるようになっていて驚きました。
・一緒にコマを回して遊んだり、
 普段している塗り絵やプリントを嬉しそうに見せてくれ
 楽しい時間を過ごせました。
・ご飯は好物のちらし寿司や刺身を用意しましたが、
 固い~といいつつ、残さず食べてくれたので嬉しかったです。
・おしゃべりもしっかりしていて
 認知症の進行を感じず以前より元気になったように感じました。
・ひ孫と2人だけで遊ぶ時間もあり楽しそうにしていました。
 大変な事もありましたが、全体的に楽しい時間が多く、
 いい時間を過ごせたと思います。

上津役家の日々のリハビリの成果が、
このような結果としてあらわれていると感謝しております。
今後もどうぞよろしくお願い致します。

以上です。

その後、コウさんの帰宅願望がより
強くなってしまう事を
心配していましたが、その心配も杞憂に終わり、
帰宅後も上津役家で落ち着いて過ごされています。
今後、コウさんが完全に自宅に帰れる事はないのかもしれません。
しかし、今回の様なお泊りを定期的に行えるようになれば、
コウさんもいつか、
現在の上津役家での生活も悪くないと思ってくれるかもしれません。
そうなればご家族様が心に抱いているであろう、
嫌がるコウさんを施設に入居させてしまったという
罪悪感も無くなるかもしれません。
そして、時折ご家族皆さんで過ごす機会を持つ事で、
どちらかに精神的負担や肉体的負担を負わせる偏った生活ではなくなり、
お互いが譲り合った上で、
今まで以上により良い関係性でいられるのではないでしょうか。
これが、
今回私が出した、理想と現実のバランスが取れる重心の答えです。

大浦家・上津役家日記~R3.10月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
お待たせいたしました。
今月もどうぞよろしくお願い致します。

「 家 」

今までに、過去の大浦家・上津役家日記にて、
弊社のサービス内容や独自の仕組みなどを色々と
ご紹介してきました。
改めて過去の内容を見返してみた所、
まだご紹介していなかった事がありました。
そこで、今回はその点について、
皆様にご紹介・説明をさせて頂きたいと思います。
それは、住環境となる『家』についてです。
私は元々、十数年認知症専門の介護施設に勤めていました。
その中で、様々な認知症の症状のある方と過ごしてきました。
そして認知症の方と関わって行く上で、
受け入れをする施設やそのサービス内容、
職員の関わり方等の環境がどうあるのが一番良いのか。
ずっと考えてきました。
大浦家・上津役家は、私なりのそのひとつの答えとして設立しました。
そして本題となる『家』についてですが、
私は勤めていた時に、帰宅願望のある方や、
一般的に徘徊と言われる症状のある方を何人も見てきました。
自宅で生活する事が難しくなり、
施設に入居する事になった方々の、
「帰りたい」
その、心からの声を何度も耳にしました。
施設で生活する事を受け入れている方も多少いましたが、
殆どの方は施設での生活を受け入れるというよりも、
もう帰る事は出来ないのだと諦めている様に私には感じられました。
その想いを感じる度に、
私はどうする事も出来ない現実に悲しい気持ちになりました。
そしてどうすればいいのか悩み、考えました。
皆、それぞれの家庭環境があり、仕方なく施設に入居します。
それはどうしようもない事です。
それならば、入居者の方が、
自分の家だと思える施設を創ればいいのではないか?
仮に本当の自分の家とは思わなくても、安心して過ごす事の出来る、
『第2の我が家』の様に感じられれば、
それだけで全然これまでとは変わってくるんじゃないか?
私は悩んだ時、自分が高齢者だったらどう思うか、感じるかを想像します。
自分が年老いて施設に入らなくてはならなくなった時。
病院の様な綺麗で設備も整っているけど、
生活感のあまり感じられない場所で毎日過ごしたとして、
その場所を自分の居場所だと思えるか?
その場所を自分の家だと思えるか?
答えは「思えない」でした。
高齢者の施設として考えた時、
一般家屋には多くの無駄な動線や段差があり、
その部分をマイナスと考える方が多いように思います。
だから一般家屋を利用したデイサービスなどでも、
無駄な壁や段差を解消するなどの改修をしている所が多いです。
介護施設も同様で、
そのほとんどが介護者にとって動きやすい動線になるように
作られている所がほとんどです。
その結果、
無機質で生活感の無い落ち着かない環境になってしまうのではないでしょうか。
私は逆に、その部分をプラスだと思いました。
無駄な動線は、
私達介護者側にとっては非効率な部分でしかありませんが、
入居者の方にとっては、
くつろげる場所や憩いの場になるかもしれない。
段差は、
積極的に外出活動などをしようと考えていたので、
日常的に足をしっかり上げて歩く事に慣れて頂くのに最適だと思いました。
バリアフリーに慣れてしまうと足を上げる必要が無い為、
徐々にすり足での歩行になってしまいます。
その結果、外出した時に転倒しやすくなってしまうのです。
歩行が不安定な人や車いすの人はどうするの?
と思われるかもしれませんが、
そこを支援する為に我々介護職員がいるのです。
自宅でひとり、車いすで生活しないといけないのであれば、
バリアフリーの方がいいでしょう。
しかし、それが出来ない、危ない、
誰かの支援が必要となって皆さん施設に入ります。
支援してもらえる人がいる環境なのであれば、
段差など何の問題にもなりません。
逆に少しでも自分で歩く力のある方であれば、
室内をただ移動するだけで何度も足の上げ下げをする事になり、
それだけで軽いリハビリになります。
そして何よりも介護者の為ではなく、人が生活する為に作られた一般家屋。
生活していく中で住み慣れ、落ち着く環境になっていくのは当然。
そう考え、
大浦家・上津役家はこの利点の多い一般家屋をそのまま利用する事にしました。
そしてそれは、
間違いなかったと実感しています。
例えば、上津役家家族のヒロさん。
彼女は元々自宅で家族と生活していましたが、
家で見る事が難しくなり、
ご夫婦揃って上津役家へご入居される事になりました。
しかしご夫婦はとても仲が良く、
そして自宅での生活をとても大切に思っていました。
ですから、
ご家族もおふたりを上津役家に連れて来るのにとても苦労されていました。
ご家族が少しでも「施設」という言葉を出そうものなら、
ふたりで山にでも行って心中しようと本気で相談をし始めるのです。
そんなふたりも入居して数か月も経つと「帰りたい」と言う事も無くなりました。
ご主人のタケさんは昨年お亡くなりになってしまいましたが、
奥様のヒロさんは今では完全に上津役家を自分の家だと思っています。
他にも、上津役家家族のスミさん。
彼女は元々、住宅型有料老人ホームに入居されてました。
入居中住んでいた自宅に帰りたいと、
何度も施設を出ようとされていたそうです。
彼女もしばらくして落ち着き、
今では「帰りたい」という事も無く、
上津役家で自分の家の様に落ち着いて過ごされています。
大浦家の方も、もちろん同様です。
トミさんは入居時はその経緯から、
とても激昂されていましたが、
今では大浦家のお局さんと言っていいほど、大浦家に馴染んでいます。
2018年に大浦家で看取ったマコさん。
彼女は亡くなる前に体調を崩し、入院されていたのですが、
ご家族は医師から、
今の状態では退院後に大浦家に帰るのは難しいだろうと言われ、
医療体制の整った介護施設への転居を検討していました。
しかし、入院中のある日、
今後どうするかの話し合いの為、病院に行って彼女の病室を訪れた際、
彼女は私の顔を見た途端に、
「わぁ~!やっと来てくれた~!」
と涙を流し、大喜びしてくれました。
ご家族はその姿を見て、
彼女のどうしても大浦家に帰りたいとの意思を汲み、
大浦家に帰って来る事になりました。
驚く事に帰って来てからの彼女は、
入院中に医師が心配していた症状は落ち着き、
亡くなるまでにサーカスを見に行く事もできました。
ご家族様は
「あの時、他の施設へ移さなくて本当に良かった。
母も最期まで大浦家で過ごす事が出来て
本当に喜んでいると思います。」
と言って下さいました。
あの時はじめて自分が想い描いた、
『高齢者にとっての第2の我が家』
を実現出来たのではないかと実感し、とても嬉しかった。
この日の事はいつまでも忘れません。
またその他にも、
私が施設勤めをしていた時に比べ、
一般家屋を改修しない事と合わせて、
掃除洗濯、買い物、調理、お出かけなど、
スタッフがお手伝いしながらご本人が出来る範囲で
普通に近い生活をする事で、
日常生活の中で自然と身体を動かし、
身体機能や生活意欲の低下をかなり防ぐ事が出来ていると思います。
無駄な動線も、
思った通り誰かが落ち着くスベースになっていたり、
皆の憩いのスペースとなっています。
私は、弊社のこのやり方や考え方が正しいと言いたい訳ではありません。
人間は十人十色。
落ち着く環境や好みも人それぞれ。
ならば、その人達を受け入れる施設も色々な形や
環境があるべきなのではないかと思うのです。
詰まる所、
全ての高齢者施設の最終的な目的は、
認知症や障害などのある方々の、理想の場所を創る事なのだと思います。
だから弊社も現状に満足せず、
目標に向けて考え、チャレンジし、試行錯誤を重ね続けます。
今よりももっと過ごしやすく、
今よりももっと笑顔あふれる、
今よりももっと我が家だと感じる事の出来る、
そんな皆さんに喜ばれる『家』を創れるように。
そしてもっとたくさんの方のお役に立てる会社になれるように。

大浦家・上津役家日記~R3.9月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
お待たせいたしました。
今月もどうぞよろしくお願い致します。

「 重なる 」

5月にユミさんとお別れしてから3ヶ月。
嫌な事は重なるものなのか、
また別れの時が・・・。
8月12日大浦家家族のヤマさん。
8月16日大浦家家族のマルコさん。
ひと月に2人の家族とお別れする時が来てしまいました。
ヤマさんは、ご家族が遠方にいて、
何かあった時にすぐに駆け付けられない事を心配されていました。
その為、ご家族のお住いの近くの
グループホームの入居待ちをしていました。
そのグループホームに空きが出た為、
引越しをする事になったのです。
マルコさんも、ご家庭の事情により、
特別養護老人ホームの入居待ちをしており、
順番が回って来て、引越しをする事になりました。
それぞれ事情があり、仕方のない事とはいえ、
ひと月に2人の家族とお別れは、とても辛いです。

出来る事なら、最後まで一緒に居たかった・・・。
ヤマさんは、
平成30年11月に大浦家の家族になりました。
ヤマさんは笑うと顔がクチャっと皺くちゃになる、
笑顔がとっても可愛い方です。
寝るのが好きで、少し時間があると、
「寝てもいい?」と言っていたのを思い出します。
いつも心のどこかで孤独感を感じていて、
「私はここに居てもいいんかね?」
という言葉もよく言っていました。
私達は、ご家族や通っているデイサービスの方とも話し、
ヤマさんが孤独感を感じずに,
何か楽しんで出来る事はないかとずっと探し続けてきましたが、
ついに最後まで見つける事は出来ませんでした。
それが、ヤマさんに対しての一番残念な事であり、
後悔のひとつでもあります。
ヤマさんは一時期、精神的に不安定になり、突然大きな声で怒鳴ったり、
夜中に部屋の障子や自分が履いているリハビリパンツを破りだしたり、
目の前に置いてあるお茶の入ったコップをひっくり返したり、
人にかけようとしたりする様になった事がありました。
私達は色々な働きかけをしてみたり、
声掛けの仕方を変えてみたりしましたが、あまり変化は見られませんでした。
私は考えた末に、それまでにずっとヤマさんが服用していた認知症の薬を、
一旦中止する事をご家族に提案しました。
何もせずにそのまま医師に報告すると、追加で薬を処方される可能性があります。
もしその時の症状が薬の副作用などの影響だった場合、
追加処方により、
症状の原因が益々分からなくなってしまう可能性があると考えました。
また追加処方により向精神薬を処方された場合、
今よりもっとひどい状態になってしまう可能性もあります。

そこで、まず始めに薬の影響かどうかを確認する為に
中止のお願いをしたのです。
幸い、その後ヤマさんは時折落ち着かなくなる事はあるものの、
徐々に落ち着き、笑顔も見られる様になってきました。
私達もご家族もひと安心。
しかし、先に話した孤独感の問題が解決したわけではありません。
その点は話し合い、引き続き皆で探し続ける事になりました。
今回の引越しは、それからしばらくしての事でした。

マルコさんは、平成29年6月に大浦家の家族になりました。
入居前、彼女には認知症と難聴があり、
コミュニケーションを取るのが困難でした。
また、介護に対する拒否、もの取られ妄想がありました。
初めて会った時の彼女は、
まるで以前から私と知り合いだったかのように
明るい笑顔で私に挨拶をしてくれました。
笑顔の彼女は髪はぼさぼさ、
少し汗ばむ陽気だというのに服を何枚も重ね着しており、
そのポケットには自分のコップなど、
色々な物が詰め込まれてパンパンに膨らんでいました。
施設の方も彼女の扱いに苦労していたようで、
拒否がかなり強い為、
特にお風呂に入ってもらう事が難しいと言われていました。
その施設に彼女が来た時点で既に、
何日もお風呂に入っていない状況だった為、
施設の方はご家族と話し、感染症などのリスクを防ぐため、
無理やり3人がかりでお風呂に入ってもらう事にしたと言われていました。
私は本人が嫌がるようであれば、
例え感染リスクが高くなるとしても無理やりお風呂に入れる事はしない。
ただ諦めるのではなく、
全力で本人が嫌がらずにお風呂に入れる様に努力させて頂く。
それを条件に入居を受け入れさせて頂く事になりました。
私がこの条件で受け入れしたのには、

いくつか理由があります。
1つ目は、
本人が嫌がる事を無理やりさせたくないから。
2つ目は、
マルコさんを当社で受け入れしなかったら、
彼女は今後ずっと無理やりお風呂に入れられ、
誰かが自分のものを取っていくという妄想に囚われ続けながら生きていく。
それはあまりに可哀想だと思ったからです。
3つ目は、
一般的に問題行動とされる認知症の症状、マルコさんで言えば、
介護拒否ともの取られ妄想がこれに当たりますが、
この周囲が介護する上でみるのが困難な症状は、
裏を返せば本人が一番不安に思っている事や困っている事、
心配している事などが極端な形になって
表面化しているものである事が多いように感じます。
つまり、この部分を解決する事が出来れば、
症状は改善・又は落ち着いてくるのです。
だから、諦めずきちんと向き合っていけば、
必ず落ち着かせる事が出来るという確信のようなものがあったからです。
4つ目は、
強い症状のある方をみるのは大変ですが、
そのような方と関わって行く事が一番介護者として学ばせて貰える事が多く、
私達自身にとっての成長にもなるからです。
こうして大浦家の家族になる事になったマルコさん。
スタッフは皆覚悟を決めて彼女を迎えました。
しかし、予想に反してマルコさんは、
入居して初めてのお風呂の日から、
スタッフの声掛けで「気持ちいいね~」と言って、
お風呂に入る事が出来ました。
以降、マルコさんが今回お引越しするまで4年程になりますが、
お風呂を拒否されたのは4・5回程度でした。
その後、スタッフは根気よく彼女と関わり、
徐々にコミュニケーション
を取れるようになってきました。
コミュニケーションが取れるようになるにつれ、
彼女は事前情報とは違う一面を、
どんどん見せてくれるようになりました。
読み書き計算が出来、
始めは嫌がっていたお手伝いも徐々にしてくれるようになり、
その内自分から、「何か手伝おうか?」と言ってくれるようになりました。
切るのが難しかった髪も、
まず始めに私にカットさせてくれるようになり、
それに慣れた後に近所の理容室で散髪出来る様になりました。
また、これらの変化とともにもの取られ妄想の症状も落ち着き、
季節感のある服装も出来る様になりました。
もちろん、簡単にこの様な状態に変化したわけではありません。
スタッフは悩み、考え、試す。
日々、この試行錯誤を繰り返した結果だと思います。
ヤマさん。
マルコさん。
ふたりから私達は沢山の事を
学ばせて頂きました。
症状の事ばかり書きましたが、
もちろんそれだけでなく、楽しい時間も沢山過ごしました。
色々な場所にも行きました。
数えきれない程の思い出があり、全てはとても書ききれない程です。
そんな2人との、しかもほぼ同時期のお別れ。
本当に寂しくなります。
ふたりとも、それぞれにお引越し前日や当日に
ささやかではありますがお別れ会をさせて頂きました。
おそらくふたりとも、
その時自分が大浦家を引越しする事はわかっていなかったと思います。
それでも大切な家族との別離。
何もしないわけにはいきません。
お花と皆からの寄せ書きを渡し、最後に集合写真も撮りました。
ご家族には、離れてもいつまでも大浦家の家族である事。
時々でもいいので、
ご本人の様子を
メールなどで教えて頂きたいとのお願い。
もし困った事や私達で力になれる事があれば、
今後も遠慮なく相談して頂きたい旨、伝えさせて頂きました。
ふたりとも今どうしているだろう。
元気にしているかな?
ご飯はちゃんと食べているかな?
新しい所にはもう慣れたかな?
楽しくお話し出来るお友達は出来たかな?
色々な心配が頭をよぎります。
でも、心配ばかりしていても仕方がありません。
ご家族から近況報告があるまでは、
元気で過ごしている事を祈ります。
別れはいつ訪れるかわかりません。
だからこそ、私達は今、
そばで一緒に過ごしている家族と、
悔いの無いよう全力で関わっていきます。
「ヤマさん。マルコさん。本当に今までありがとう!
 私達はいつまでも貴方達の事を想っています。
 いつまでも私達は貴方達の家族です。」

大浦家・上津役家日記~R3.8月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
お待たせいたしました。
今月もどうぞよろしくお願い致します。

「 いつを生きるのか 」

新型コロナウイルスの感染数が各地で増えてきているようです。
ネットを見ると、コロナウイルスに関する情報は多種多様で、
ワクチンひとつとっても推進派、慎重派、反対派と専門家の中でも意見は様々。
専門家でも考えがバラバラなものを、
素人の私達が何が正しいのかわかるわけもなく、
この多すぎる情報の中で、一体どれが本当に信頼できる情報なのか、
見つける事さえ難しい状況だと感じます。
コロナ禍になり、高齢者を取り巻く環境も一変しました。
亡くなった際に陽性判定が出ると最後に顔を見て見送る事も出来ず、
次に会うのは遺骨となってから。
高齢者施設や病院では、一部リモート対応をしている所はあるものの、基本的には面会謝絶。
久々に会った時には、コロナに感染したわけではないのに、
変わり果てた姿になっていて悲しくなったという話を、よく聞きます。
ワクチン接種が進み、感染者の重症化を防ぎ、
集団免疫を獲得できたらきっと元の生活に戻れる。
そう信じてもう少しの間、会うのは辛抱しよう。
そう考えている方も多いのではないでしょうか。
もちろん私も、一日も早くその日がやってくる事を心から願っています。
ただ、ひとつ思う事があります。
以前にも書いた事があるかもしれませんが、
私は大浦家・上津役家の家族のみんなの喜び・楽しみになると思った事は、
可能な限り最短、最速で実行してきました。
それは、家族の皆が今日元気でも、
明日元気である保証はどこにもないと思っているからです。
昔、やってあげたいと思った事を先延ばしにしている間に、
身体の状態が悪くなってしまったり、
亡くなってしまい、
なぜすぐにやらなかったのかと、強烈に後悔した経験があるからです。
だから、この、「もう少しの間の辛抱」を、
するべきなのか悩んでしまいます。
例えば、
コロナの感染拡大に伴い、
今年のお盆は帰省しなかったという方が沢山いると思います。
仮に、
最近ではお盆と正月くらいしか顔を合わせる事が無くなってしまった
故郷の両親や祖父母が、
来年にはいなくなってしまうとわかっていたとしたら、
それでも帰省を延期するべきなのでしょうか?
亡くなってしまったら2度と顔を見る事も、話す事もできません。
これは、決して大げさな話ではなく、
私自身の感覚としては、
実際に起こりえる現実的な問題です。
なぜなら、ここ数年日本では、
毎年130万人程の方が亡くなられており、その7割以上を占めるのが、
75歳以上の高齢者です。
単純計算でもざっと90万人の高齢者の方々が
毎年亡くなっている計算になります。
わかりやすく言うと、
毎年北九州市の全人口と同じ位、
高齢者の方が亡くなっているという事です。
例えコロナ禍じゃなくても、
来年自分の大切な家族が元気でいる保証なんて、どこにもないのです。
先に書いた通り、
私自身もそういう経験を沢山してきました。
今どんなに元気でも、1年後には亡くなってしまう。
設立して5年しかたっていない大浦家だけで考えても、
サエさん、マサさんがそうでした。
亡くなる1年前には、
まさか2人がいなくなってしまうなんて、想像もしていませんでした。
今現在、先が長くないだろうと担当医に言われている方もいます。
スタッフは身体機能が落ちない様に、
体操や身体を動かすレクレーション、
近所の散歩などをするようにしてくれていますが、
それでも全体的に大浦家・上津役家家族の身体機能が
今まで以上に早く落ちてきているのを感じる度に、怖くなります。
コロナ禍だからと辛抱し続けて本当にいいのか・・・。
もちろん外出以外の施設内で出来る事も沢山ありますが、
それにも限界があります。
そして何より私は、
残りどれくらい一緒に過ごせるかわからない
大浦家・上津役家家族の皆に、
一回でも多く喜びや楽しさを感じてもらいたい。
笑顔になって欲しい。
諦めていた事を実現してあげたい。
だから、そう感じてもらえると思った事は、全てやりたいのです。
散々迷った末に、
弊社では、最初の緊急事態宣言が出た当初、
ご家族の方々に極力最小限にして下さいとお願いして以降、
当人にとっては楽しみのひとつであろう、ご家族との面会を制限するのは止めました。
面会以外にも、病院受診以外でのご家族との外出なども、
感染予防対策をした上で、以前と変わらずにして頂いております。
今後も制限する気はありませんし、それ以外の事も検討しています。
恐らく、この弊社の対応については賛否両論あるでしょう。
日々コロナと戦っている医療従事者の方や、同業の方などからは、
高齢者の命を危険にさらしている。
命を軽視していると、特に厳しいお叱りを受けるかもしれません。
もし、弊社でコロナ感染者が出たら、
ほら見た事かと皆に責められるかもしれません。
わかっています。
わかっているからこそ、ずっと悩み続けてきたのです。
でも私は思うのです。
非難や批判、目に見えない病気を恐れて不確実な未来に賭けるよりも、
出来る限りの対策をした上で、
今、こうして目の前で笑顔を見せて確実に生きている大切な皆と一緒に、
『 今を全力で生きたい。 』と。

大浦家・上津役家日記~R3.7月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今月の大浦家・上津役家日記も過去のブログから、
評判の良かったものを紙面で読んで頂いている方へ読んで頂こうと、
少し加筆修正を加えたものになっております。
ブログで一度読んで頂いた方も、改めて読んでみると、
また違った発見があるかもしれませんので、
お読み頂けると幸いです。

「 クイズです! 」

 あなたは介護職員です。
 あなたの勤める介護施設入居しているあきひこさん。
 あきひこさんはアルツハイマー型の認知症で帰宅願望が強く、
 目を離すとすぐに外に出ようとします。
 普段は気さくで温厚な性格ですが、
 機嫌が悪い時は、すぐにカッとなり怒鳴ります。
 そのあきひこさんがある日、
 あなたの事を見て駆け寄ってきて、
 あなたに向かって次の様に訴えてきました。 
  この時、あなたならまず始めに何と声を掛けるでしょうか?
  
 次の中から選んでください。
  
 ①今日はもう遅いから、明日にしたらどうですか?
  
 ②もうすぐご家族が迎えに来るので、もう少し待ちましょう。
  
 ③ご飯を用意してますので、食べて行って下さい。
  
 ④そうですか。気を付けて帰って下さいね。
  
 さぁ、あなたなら①~④の内、どの声掛けをするでしょうか?
  
 回答を選び、
 なぜその声掛けをするのか、
 その理由まで考え付きましたら、次の章へお進み下さい。 

「 正解 」

 皆さんは、先程のクイズの解答に
 何番を選んだでしょうか?
  
 ①今日はもう遅いから、明日にしたらどうですか?
  
 ②もうすぐご家族が迎えに来るので、もう少し待ちましょう。
  
 ③ご飯を用意してますので、食べて言って下さい。
  
 ④そうですか。気を付けて帰って下さいね。
  
 実はこれ、
 どれを選んでも正解です。
 「なんじゃそりゃ!」
 と、思われるかもしれませんが、
 相手は人間。
 間違いなんてありません。
 どれを選んでもうまくいくかもしれないし、
 うまくいかないかもしれません。 
 ただし、私の中ではより良い正解があります。
 それは、④です。
 より良いとは、
 あきひこさんの帰宅願望を治める為に、
 一番うまくいく可能性が高い正解という事です。
 ④を選んだ方は認知症介護に
 向いているかもしれません。
 では、なぜ④なのか。
 それを理解して頂く為に、
 今から皆さんを少しだけ、
 認知症の方の世界へご案内したいと思います。
 では、今から私の言う事を想像してみて下さい。
  
 ・・・想像してください。
  
 あなたは、ふと気が付くと見た事もない場所に居ます。
 あなたの周りには知らない人が
 沢山います。
  
 「ここはどこなんだろう?」 

 「どういう経緯でここに居るんだっけ?」

 「うーん。思い出せない。」

 「よくわからないが、
 とりあえず何とかして家に帰らなければ・・・。」
  
 そう思ったあなたは、
 たまたま自分の横を通りかかった人に声を掛けます。
 「家に帰らないといけないので、失礼します。」
  
 はい。ここまで。
 想像出来ましたか?
  
 さて、この時のあなたの混乱や不安な気持ちを踏まえ、
 改めて考えてみて下さい。
 最後に声を掛けた人に、次の様に声を掛けられたら、
 あなたならどうしますか?

 ①今日はもう遅いから、明日にしたらどうですか?
 ②もうすぐご家族が迎えに来るので、もう少し待ちましょう。 
 ③ご飯を用意してますので、食べて言って下さい。
  
 どこだかわからない場所で、
 名前も知らない人にこの様に言われて、
 あなたは素直に応じるでしょうか?
 私なら知らない人にこんな事を突然言われたら、
 何か怖い、怪しい、と思ってしまいます。
 では、これはどうでしょう?
 ④そうですか。気を付けて帰って下さいね。
 どうですか?
 不信感も何も抱かないのではないでしょうか?
 そう、それこそ④が一番うまくいく可能性の高い正解である理由です。
 もし、①②③の解答で不信感を抱いてしまったら、
 その後、その怪しい人に何を言われようが、
 聞く耳を持ちませんよね。
 この第一声で不信感を持たれないようにする事は、
 その後の対応に大きく響いてくるので、
 とても重要だと私は思っています。
 この様に、その方の視点から考えてみると、
 ④が正解である理由に
 皆さんご納得頂けたのではないでしょうか。
 認知症は記憶の障害を伴う病気だという事は、
 皆さんもご存知だと思います。
 知っているのにうまく対応できないのは、
 知識として知っているのと、
 自らの知恵(その知識を自分の身に染み込ませ、行動できる事)として
 身に付けている事とでは、
 普段の行動、言動にあきらかな差があるからだと思います。
 という事で、以上解答編でした。 
  
 「いやいや!④が正解なのは理解できたけど、
  でも実際④を言ったら本当に帰っちゃうじゃん!」
  と、心の中でツッコミを入れたあなた! 

  ご安心ください。次章で説明致します。 

「 その後の対応 」

 その後の対応方法については、
 利用者様の反応によってその都度対応が変わって来る為、
 各対応方法について細かく説明するとかなり長くなってしまうので、
 一番オーソドックスな対応方法とその流れを簡単に説明します。
 まず大まかな流れは、
  
 ①良い第一印象
  
 ②信頼関係をつくる
  
 ③楽しい会話
  
 ④妥協案提示
  
 ⑤施設に戻る
  
 以上の流れになります。 
 
 全ての流れの中で注意しなければいけない事は、
 良く観察し、
 その方の精神状態の変化をしっかりつかんだ上で、
 その方が一番ストレスを残さずに、
 自然に戻って頂けるような誘導を心掛ける事です。
 では、流れに沿って説明しましょう。
 クイズの解答通り、
 あきひこの
 「家に帰らないといけないので、失礼します。」
 との声掛けに対し、
 ④の
 「そうですか。気を付けて帰って下さいね。」
 と答えました。
 あきひこはそのまま外に出て行ってしまいます。
 こちらは後について外まで出て、笑顔でお見送りします。
 すると、あきひこは外に出たものの、
 その場所の土地勘がない為、どっちに行けば帰れるのかわかりません。
 そこで、帰る手伝いを買って出ます。
 住所を聞いて方角を教えたり、 
 必要であれば近所の方に道を尋ねたりして、
 まず自分が怪しい人ではなく、
 親切な人、信頼できる人間だと感じてもらいます。
 これがうまくいかないと、
 こちらが何を言っても聞く耳を持ってもらえません。
 次に、利用者様の精神状態を見ながら、
 帰れなくて不安だろうという話から、
 徐々に楽しい話へシフトしていきます。
 (※普段から、どの様な会話をすると楽しめるのかを探っておくと、
       この様な時によりスムーズに対応できます。)
 ほどんどのケースでは、
 楽しい会話を続けているうちに、
 「帰ろう」と思った事を忘れているので、
 ある程度歩いて不安感が落ち着いた所で休憩を提案し、
 施設へ戻って来ます。
 そうでない場合は、歩き疲れた所で妥協案を提示します。
 例えば、
 「まだお家までかなりかかりそうですけど、大丈夫ですか?」
 「あっ!そういえば以前あきひこさんのご家族にご挨拶した時に、
   連絡先を聞いていました!もし良かったら、
   電話して迎えに来てもらえないか聞いてみましょうか?」
 こんな感じです。
 始めにこれを言うと不審に思われる可能性がありますが、
 信頼関係が出来、楽しい会話をした後になると、
 疲れもある為か、驚くほどすんなりと聞き入れてもらえます。
 その後、電話をする為と言って施設へ戻ります。
 認知症であっても、
 強い感情や想いは継続する傾向にありますが、
 それがある程度解消され安心感を持つと、
 本来の状態に戻りますので、
 後はその方の記憶保持能力に応じて楽しい会話を続ける事で、
 ストレスをあまり感じずに施設での生活に戻る事が出来ます。
 以上が、その後の対応方法となります。
 現在の高齢者施設では、
 このような帰宅をしようとされる方がいる場合、
 (※一般的には徘徊と呼ばれますが、呼称が嫌いなのでここでは
       帰宅と書かせて頂きます。)
 施設の玄関に施錠をして、
 外に出られない様にしている所が多いのが現状です。
 しかし、施錠する事では解決するどころか、
 閉じ込められる事でより「帰りたい」という想いを
 強くしてしまい、いつまでたっても落ち着かないという事が起きます。
 落ち着いたとしたら、それは絶望した時なのではないでしょうか。
 私はこのような方を数人見させて頂いた経験がありますが、
 大変であっても毎回今回の様に対応して行く事で、
 ほとんどの方が落ち着きました。 
 いつでも好きな時に外に出れる。
 そして、ある程度満足した状態で施設に戻る事でストレスを残さない。
 それが、うまく対応する上で、
 一番大切な事なのではないかと思います。 

大浦家・上津役家日記~R3.6月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。  
先月は大浦家・上津役家日記をブログにアップせず、
すみませんでした。
実は先月も紙面では大浦家・上津役家日記特別編をお送りしておりますが、
ブログではすでにアップしている内容なので、
同じものをアップするのもなぁ・・・。
と思い、先月はブログの方にはアップしませんでした。
今月は久しぶりに通常運転で新しい内容を書きました。
読んで頂ければ嬉しいです。

「二度目の別れ」

令和3年5月12日。
大浦家九女である、
ユミさんが天国へと旅立ちました。
享年82歳。
彼女とは私が独立する前からの付き合いでした。
私がまだ施設に勤めている時に、
彼女はその施設にやってきました。
彼女はいつもニコニコ顔で上品な笑顔を絶やさない人でした。
しかし、その笑顔とは裏腹に、
その首元にはいつもサポーターのような物を巻いており、
その下には目を覆いたくなるほどの火傷の跡がありました。
入居前、彼女は中咽頭側壁癌という、
喉のあたりの癌が見つかり、放射線治療を受けました。
その放射線によってできた傷でした。
当時ご家族に聞いた話によると、
治療当時は首回りなどの体の表面だけでなく、
癌を死滅させる為に放射線を当てた部分の体の中、
口や喉の中まで焼けただれ、
水や唾を飲み込むのでさえ激痛を伴うほどだったと聞きました。
そんな大変な治療を経て病気に打ち勝ち、
今、こうして目の前で何事も無かったかのように
上品に笑う彼女を見て、
とても強い人なんだなぁと思ったのを覚えています。
その後、時間がたつにつれて火傷の跡も薄くなり、
食事も食べられる様になり、
彼女がどんどん元気を取り戻して来た頃。
私は施設を退職する事になり、
彼女との付き合いも終わってしまうものだと思っていました。
それから1年ほど経ち、
私が独立して大浦家を設立してしばらく経った頃。
突然、知らない番号からケータイに着信が入ります。
「はい、砂川です。」
『〇〇です。』
「???」
名前を聞いてピンと来なくて
しばし無言になった私の様子を悟ったのか、
「以前施設でお世話になったユミの娘の〇〇です。」
と続け、やっとわかりました。
私は以前の施設の関係者には、
連絡先はもちろん、独立する事も伝えていなかったので、
まさか以前勤めていた施設の入居者ご家族から
連絡があるとは思ってもいませんでした。
聞くと、現在入居している施設を退去させたいと思い
別の施設を探していた所、偶然大浦家のHPを見つけ、
そこに載っている写真に私が写っているのに
気付いてお電話を下さったとの事でした。
その後、見学、体験入居を経て、
彼女は大浦家の一員となりました。
久しぶりに会った彼女は、
私の事は忘れていたようでしたが、
それでも以前と変わらない上品な笑顔を私に向けてくれ、 
とっても嬉しかった事を覚えています。
彼女は几帳面でよく働く方でした。
洗濯物や掃除、調理、買い出しなど、
お手伝いをお願いすると嫌な顔ひとつせずに
いつもの笑顔でひきうけてくれました。
そういえば、こんな事がありました。
彼女は、認知症の症状として、
色々な物を収集し持って行ってしまうという症状があり、
彼女がいつも持っている小さなバッグには、
洗濯ばさみや残したおやつ、ティッシュや服用後の薬の空袋などが
綺麗に畳まれて入っていました。
スタッフは定期的に彼女がいない隙を狙い、バックの中身を回収、
整理して対応していたのですが、
ある時、ご家族が面会に来るたびにバックやタンスの中に
色々な物が収集されているのを見て、
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」と、
お電話を頂いた事がありました。
私は色々な物を一生懸命収集している彼女を、
なんだか可愛らしいというか微笑ましく思いながら、
止める事なく横目で見守っていたので、
まさかの謝罪のお電話にびっくりしてしまいました。
ご家族には、
『全然気にしなくていいですよ。
 誰にも迷惑はかかっていないので。
 それに、それをする事で少しでも彼女の気持ちが安心したり、
 落ち着くのであれば、それが一番ですから。』と伝え、
「よかった。そう言って頂けると嬉しいです。」と言って頂き、
引き続きスタッフや私が微笑みながら
横目で彼女を見守る日々を続ける事になりました。
その後、彼女とは色んな所に行き、
色んな事をしました。
日々のお出かけはもちろん、
大衆演劇やサーカス、ボーリング場、
カラオケボックス、グリーンパークのバラフェア、
別府への1泊2日の旅行にも行きました。
今、これまでに撮った数えきれないほどの彼女の写真を眺めながら、
彼女と過ごした日々や思い出が、 
走馬灯のように頭の中を駆け巡っています。
不思議なのは、
彼女は好き嫌いもあり、小食だった筈なのに、
良い表情の写真は、
決まって何かを食べている時の写真だという事です。
そして今年の3月。
彼女は熱を出し、入院する事になりました。
20日ほどして退院となったのですが、
驚いたのは、
入院中ほどんど食事を摂ろうとしなかったとの事で、
ただでさえ痩せていた彼女が、さらに痩せた状態だった事です。
それでも、
入院前と変わらず上品な笑顔を私達に向けてくれる彼女に、
これから出来るだけご飯を食べて体重を戻して行こうと声を掛け、
一緒に笑いました。
しかし、
帰ってきてからも彼女は中々食事を摂ろうとはしてくれませんでした。
食事を摂ろうとしない彼女を見たかかりつけの内科医は、
終末期に差し掛かっているのだろうとの判断でした。
私も亡くなる前に食事を食べなくなる方は何度も見てきたので、
医師がそう判断するのもうなずけます。
上津役家の家族だった
タケさんも、シマさんもそうだったから・・。
でも・・・でも・・・。
彼女は違う。
そう思いました。
理由は2つありました。
ひとつは、
退院後、かかりつけの訪問歯科に診察に来てもらった所、
口の中の状態がかなり悪くなっているとの事で、
すこし歯や歯茎にものが触れただけでもかなり痛がる様な状態だった事。
これが食事を摂ろうとしない原因ではないかと思いました。
もうひとつは、
私が今まで見てきた方は、  
そのほどんどがただ食べないだけでなく、身体機能や生活意欲など、
全体的に弱っていく方がほどんどでした。
彼女は食事を食べず、
歩行も不安定にはなっていましたが、
それ以外は今までと変わらず
レクレーションやお手伝いを笑顔でやってくれており、
問題は食事の面だけだったからです。
彼女はまだ82歳。
老衰で亡くなるには早い。
きっと癌に打ち勝った時のように、
今回も乗り越えて元気になってくれる。
そう信じていました。
もちろんご家族も同様でした。
兎にも角にもまずは口の中の状態を良くする事が先決。
歯科医の指示の元、
毎日3回、痛がり、嫌がり、
抵抗する彼女をなんとかなだめながら、スタッフは彼女の歯を磨きます。
ただ、口の状態はすぐ治るものではない為、
同時に彼女が少しでも口にしてくれるものはないかと、
スタッフは思いつく限りの食べ物、お菓子、栄養ドリンクを勧めたり、
ミキサー食を作ってみたりします。
ご家族も彼女が食べてくれそうな好きだった
食べ物やお菓子などを持って来てくれました。
栄養補助ドリンクやチョコレートなど、
少しは口にしてくれるようになりましたが、
身体の栄養状態を維持するのには全然足りないくらいの量でした。
このままでは食べられる状態になる前に
栄養が不足して弱ってしまうか、
脱水を起こしてしまう・・・。
そこでご家族と話した上で、
乗り気ではない医師に何とか頼み込み、
訪問看護による点滴をして頂く事になりました。
そして点滴を開始して1週間程。
改善は見られず、点滴の疲れもあってか、
彼女は徐々に眠る時間が増えてきて、
トレードマークの上品な笑顔も見られなくなっていきました。
遠方に住む息子さんが状況を聞いて胸騒ぎを感じたと、
心配して急遽駆けつけてくれました。
医師はもう先は長くないだろうとご家族に話し、
点滴もやめるとの判断を下しました。
それでもまだご家族も、私達も信じていました。
長時間の点滴で疲れて眠っている事が多いので、
点滴をやめて意識がはっきりしている時間が増えたら、
口の状態も良くなって来ているので
もしかしたら食べてくれるかもしれない・・・。
そして、
令和3年5月12日朝。
スタッフから彼女の呼吸がかなり浅くなっており、
反応もほとんどないとの報告を受け、
すぐにご家族、医師、訪問看護、ケアマネに連絡。
ご家族や関係者に見守られながら、
彼女は天国へと旅立ちました。
ご家族は涙を流しながら彼女との別れを惜しみ、
顔や頭を撫で、彼女を抱きしめていました。
その後、訪問看護の方々の勧めで
訪問看護の方々と一緒に彼女の身体を綺麗に拭き、
綺麗な格好に着替えをさせてあげていました。
私は何もできず、
ご家族に気の利いた言葉をかけることもできず。
ただただ茫然と立ち尽くし、
その様子を見守る事しか出来ませんでした。
覚悟をしていなかったわけじゃありません。
最近の状態から、医師の言う通り、
もう先が長くないかもしれないと、
頭の中では感じていました。
でも、それ以上に彼女の生命力を信じたい。
まだまだ一緒に色々な事をしたい。
その気持ちの方が強く、
それを受け入れられなかったんだと思います。
私も20年近くこの仕事に携わり、
それなりに別れも経験してきましたが、今だにわからずにいます。
私はどうするのが正しかったんだろうか?
無為にご家族に希望を持たせ過ぎて
余計に悲しませてしまったんじゃないか?
最後を安らかに迎えようとしていた彼女に痛い、
苦しい思いをさせてしまったんじゃないか?
何度考えても答えは出ません。
その後、コロナ禍という事もあり、
葬儀は家族葬という形で行われる事になりました。
私はご家族の許可を頂いた上で葬儀屋の方と話し、
他の弔問者の方々がいないタイミング、
短時間で手を合わせたらすぐに引き上げる事、
マスクや手指消毒などの感染予防を徹底した上で、
病院受診などで行けない方を除く
大浦家の家族のみんなと一緒に、
最後のお別れに伺う事にしました。
帰り際、まだ気持ちの整理もつかず、
彼女の死を受け止められず、
悲しみの中にいるはずのご家族の皆様から、
「皆さんも身体に気を付けて、母の分まで元気でいて下さいね。」
と、声を掛けて頂きました。
私はそれを聞いて、
ご家族の気持ちを思うと胸を締め付けられ、
声を発する事ができず、
ただただ頭を下げる事しか出来ませんでした。
後日、やっと少し落ち着いたとの事でご家族から連絡を頂きました。
突然の事で悲しいのは当然ですが、
最後に家族で看取る事が出来て、
大浦家で大浦家の皆さんに囲まれた状態で
最期を迎える事が出来て良かったと思っています。
と言って下さいました。
私達は、彼女と過ごした日々、
彼女のあの笑顔、彼女に教えてもらったことを決して忘れません。
本当にありがとうございました。
 
「天国の貴方へ」
  
お元気ですか?
そちらでサエさん、マコさん、
タケさん、シマさんと仲良くやっていますか?   
こちらは貴方の笑顔が見られなくなって、
心に穴が開いたようで、
まだなんだか寂しいです。
でも、大丈夫。
貴方の分まで皆で笑って過ごせるように頑張るよ。
しんどくなったら、
昔趣味で油絵を描いていて、
自宅に沢山作品があるからと、
ご家族が持って来てくれた
貴方が描いた素敵な油絵が
大浦家の廊下に飾ってあるから、
それを見て気合を入れ直すよ。
だからどうかあの絵を通して皆の事を見守っていて下さいね。
思い返せば、
私と貴方は二度出会いましたね。
一度目は私が勤めてた施設で。
二度目は大浦家で。
一度目は私の都合でお別れになり、
二度目は貴方の都合。
次に貴方とまた出会う時には
もう別れる事はないと思うから、
これでおあいこかな。
それまではそちらの皆と楽しく、
のんびり過ごして待っててね。
本当に、ありがとう。

大浦家・上津役家日記~R3.4月号~

 皆さんこんにちは(●´∀`)ノ あきひこです。
 今月も先月に引き続き、
 今月も大浦家・上津役家日記特別編をお送り致します。

「 閉鎖的に開放する 」

 今回は、大浦家の仕組みについてお話しします。
 またまた少し長くなりますが、
 あしからず。
 皆さんは、『閉鎖的』という言葉にどんなイメージを持っていますか?
 例えば、
 「大浦家は閉鎖的なシェアハウスらしいよ。」と、
 誰かが大浦家の噂話をしているのを聞いたら、
 大浦家に対してどんなイメージを持つでしょうか?
 おそらく、悪いイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。
 『閉鎖的』を辞書で調べてみると、
 ―自分自身、または仲間内の殻に閉じこもって
 外部のものを受け入れようとしないさま。
 とあり、確かに意味も何となく悪い感じがします。
 でも私は、『閉鎖的』って実は、
 良い事なんじゃないかって思っています。
 私の理解力不足かもしれませんが、私の感覚としては、
 「仲良し・強い絆・信頼=閉鎖的」
 なのです。
 仲良し二人組の間には、
 なかなか三人目が入り込む隙はありません。
 強い絆で結ばれた家族に他人が入っても、
 同じ強さの絆を築くのは困難です。
 絶対的に信頼している取引先を変える事はないでしょう。
 長い時間を共にし、
 様々な経験を共有して築いてきた人間関係は、
 自然と閉鎖的になるのではないか。
 そう思うので、どうしても悪いことだとは思えないのです。
 ただ、一般的に閉鎖的だと良くないと言っている意味もよくわかります。
 最近、介護施設や障害者施設の虐待のニュースをよく見かけます。
 閉鎖的な空間だと、
 そういった事が行われていても隠ぺいされ、周りが気付きにくく、
 本人も外部へ助けを求め難い。
 だからこそ、そういった事の無い様に開放的にして、
 常に外部から見守れる状態をつくることが、
 正しいサービスを行う上でも、
 利用者の安心を確保する上でも好ましい。
 そういうことだと認識しています。
 私が大浦家を創る際、
 一番にはじめに想い描いたのは、
 『家族のように生活する場』
 そして、
 『利用者家族も安心できる場所』
 です。
 なので、先に話したような良い面での閉鎖性を築きつつ、
 家族が普段の利用者の様子を
 しっかり把握する事の出来る開放性を実現できたらと考えました。
 「閉鎖的に開放する。」
 矛盾してますが、感覚として、
 それをテーマに仕組みを考えました。
 そしてそのための仕組みの一つが、大浦家・上津役家の報告方法です。
 大浦家と上津役家はシェアハウス
 なので、介護施設の様な日々の記録などはつける義務はありません。
 ただ、そのかわりに、
 一日の終わりにご家族に下記の様な報告のメールをしています。
 (報告メール例)
 こんばんは、大浦家の砂川です。
 今日はお手伝い、体操、お出掛け、などをして過ごしております。
 (※以下添付写真)
❘報告メール終了。

 こんな感じ。
 この様に写真を添付して報告する事で、
 今日は何をして過ごしたかだけでなく、
 その時の様子なども一目瞭然でわかる様にしています。
 また、こちら側としても、簡単な文章と写真の添付だけなので、
 ひとり1分もかからず報告出来、
 作業に時間を取られる事もありません。
 大浦家・上津役家のご家族は、
 この様な報告メールが毎日送られてくるので、
 今日何をしたか、楽しく過ごしているか、異変がないかなど、
 しっかりと把握できます。
 施設から大浦家に入居された方のご家族などには特に評判が良く、
 安心して任せて頂けていると感じます。
 また、気になる点や要望、連絡事項もメールで伝える事が出来るので、
 大浦家に対して変な遠慮をする事がなく、気軽にやりとりをして頂いてます。
 いかがでしょうか?
 個人的には、介護施設の様な介護記録をつけるよりも
 断然いいと思っています。
 介護記録は何時にトイレに行ったとか、何時にリハビリをしたとか、
 文字で内容は把握はできますが、その時の様子まではわかりません。
 また、笑顔でレクレーションに参加と書いていたとしても、
 心から楽しんでいる笑顔なのか、愛想笑いなのか。
 そこまではわかりません。
 文字で長々と書くよりも、その時の写真が一枚あるだけで、
 なにも書かなくてもご家族はわかります。
 なので、大浦家・上津役家の入居者のご家族は、
 誰よりも本人が毎日どう過ごしているか知っています。
 先日、こんなことがありました。
 ある入居者の方から、今まで週3回通っていたデイサービスを
 辞めたいとの申し出があり、
 ご家族と本人でよく話し合った結果、デイを辞める事になりました。
 デイを辞めるにあたり、介護サービスが変更となる為、
 担当のケアマネージャーやデイの方、福祉用具の方など関係者が集まり、
 会議をする事になりました。
 会議の後、ご家族はなにやら
 ケアマネージャーやデイの方にご立腹の様子。
 話を聞くと、ケアマネジャーに、
 「デイを辞めたら外部との関わりが無くなるので、閉鎖的になり、
 シェアハウス内部で何をしているかわからないので危ない。」と、
 いうような事を言われたそうです。
 普通は外部の方にそう言われると不安になりますが、
 ケアマネジャーやデイの方以上に
 本人のシェアハウスでの生活の様子を知っているご家族は、
 全く不安になる事はなく、
 逆に弊社に対してそんな疑念を持つケアマネジャーに
 怒りを覚えたという話でした。
 報告以外にも閉鎖的なマイナス要素を無くす仕組みがあります。
 ①外部サービスの利用・サービス業者の自由選択。
 ②何かあったとしても隠ぺいする必要のない契約内容。 
 ①は、シェアハウスなので当然と言えば当然ですが、
 シェアハウス入居中に介護サービスの利用をする場合、
 例えば、通常の介護施設などの場合、
 その施設を運営している会社の介護サービスしか
 利用できなかったりしますが、
 大浦家は自分の好きなサービス・業者を自由に選択できます。
 これは、もし弊社に対して不安や
 疑念があった場合に利用して頂く事で、
 信頼できる第三者から弊社を見てもらう方法として、
 有効だと思っています。
 ②は、弊社は必要最小限の責任しか負わないという事。
 シェアハウスは共同生活しているアパートの様なものであり、
 基本的に自由。
 不自由な部分のお手伝いや外出活動を積極的に行ってはいますが、
 これはあくまで弊社の入居者に楽しく、
 元気に過ごしてほしいという考えに基づいた善意の扶助で行っています。
 なので、毎回必ずお手伝いをする事を保証しているものではありません。
 必ず必要な事で、しっかりとした
 サービスを受ける事が望ましい部分については、
 自社、もしくは外部の介護サービス事業者と契約して頂く様、
 入居前にしっかりと説明しています。
 また、こちらが本人に危害を加えたなどの明らかな場合を除き、
 事故や怪我等に対する責任は負わない事をはっきり書面で説明した上で、
 ご契約頂いております。
 こうする事で、弊社は隠ぺいする理由それ自体を極力無くしています。
 責任を負わないと言うと、不安に思うかもしれませんが、
 そもそも、誰もが望む安心・安全を確保した上で楽しく、
 穏やかに過ごせる場所というのは、目指すべき所ではあるものの、
 現実問題として大きな壁があります。
 例えば、楽しくしようと思えば、何かしら活動をする必要があります。
 しかし、動くという事は同時に事故のリスクが増える事を意味します。
 逆に事故のリスク減らし、安心・安全を突き詰めると、
 ベッドに横になったまま動かないのが一番安全という事になります。
 たくさんある高齢者施設のサービスの違いは、ある意味、
 この二つをどのような割合で重要視し、
 バランスを取っているかの違いと言えると思います。
 弊社は、リスクがあったとしても、
 残りの人生を出来る限り本人の好きな様に、
 人生を楽しむ事に比重を置いています。
 だからリスクを恐れず積極的に活動していきますし、   
 そのリスクに対してご理解・ご納得頂いた方のみしか、
 入居して頂く事はできません。
 (※誤解の無いように補足説明させて頂きます。
 責任を負う必要がないからと言って無責任に対応する
 という事ではありません。
 弊社のスタッフは基本的に介護施設未経験者の採用はほどんど無く、
 元々私の知っている信頼できる介護経験者や、施設経験者を採用しています。
 皆、責任は負わずとも皆責任感を持って仕事をしていますし、
 今までの経験で培った知識や経験をもって対応をしています。
 つまり、活動する上において、
 事故のリスクもしっかり考えた上で、
 リスクが最小限になるような対応をし、活動しているという事です。
 ただそれでも、極力自由に過ごして頂ける様にしている為、
 どうしても防げない事故も起りえます。)
 細かい事を言うとまだまだ説明し足りないのですが、
 ざっくり説明するとこんな感じの仕組みになっております。 

「 お天道様 」

 日本には八百万といわれるほど、沢山の神様がいます。
 海外の多神教と違うのは、その存在が目に見えない事。
 名前も姿形もない神様が沢山いるという事でしょうか。
 たとえば、
 「コメの一粒にも神が宿る」
 なんて言葉もありますが、その神様の名前も姿も知りませんよね。
 思うに、昔の人々はこのように沢山神様が居て、
 常に自分の行いを見られていると思う事によって、
 自らの行いを律し、清く正しく生きようとしたのかなぁ。
 なんて思います。
 その代表格が「お天道様」
 私は信仰心などはなく無宗教ですが、
 日本人の特性なんでしょうか?
 お天道様はいつも見ていてくれるから、頑張っている人、
 正しく生きている人はいつかきっと報われる。
 だから人が見ていなくても、悪い事はしちゃいけない。
 そんな意識が小さな頃からあったように思います。
 今も無くはないのですが、
 私も36歳(掲載当時)とおっさんになり、色々な現実を知り、
 少し考え方が変わってきました。
 お天道様は私の行いを見ている。
 私が頑張っている時も、そうでない時も。
 ただ、私が正しい行いをしていたとしても、
 お天道様が手を差し伸べてくれるなんて事は無く、
 良い事も悪い事も、ただただ暖かく見守るだけ。それが現実。
 でも、ひとつ言える事がある。
 お天道様は手を貸してくれる事は無いが、
 人は手を貸してくれるという事。
 清く正しく生き、頑張っている人には、
 お天道様が手を差し伸べるまでもなく、
 周囲の人々が手を差し伸べてくれる。
 そう、今は考えています。
 自分が清く正しく生きているとは思ってはいませんが、
 少しでも、そうあろうと思います。

大浦家・上津役家日記~R2.3月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今回の大浦家・上津役家日記は特別編と題し、
このHP版にだけ書いた内容を、
紙面のみで読んで頂いている方々の為に掲載する事にしました。
いつもHP版で読んで頂いている方にとっては
同じ内容になりますが、改めて読んで頂ければ嬉しいです。

「 大浦家・上津役家日記特別編 」

今月号より、
大浦家・上津役家日記特別編と題し、
今まで私がこの紙面とは別に、
HPのブログだけに書いたお話しを公開していきたいと思います。
「 手紙 ~親愛なる子どもたちへ~ 」

 年老いた私がある日
 今までの私と違っていたとしても
 どうかそのままの私のことを理解して欲しい
 私が服の上に食べ物をこぼしても
 靴ひもを結び忘れても
 あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
 あなたと話す時
 同じ話を何度も何度も繰り返しても
 その結末をどうかさえぎらずにうなずいていて欲しい
 あなたにせがまれてくり返し読んだ絵本のあたたかな結末は
 いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
 悲しい事ではないんだ
 消え去ってゆくように見える
 私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい
 楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり
 お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
 あなたを追い回し何度も着替えさせたり
 色々な理由をつけていやがるあなたと
 お風呂に入った懐かしい日のことを
 悲しい事ではないんだ
 旅立ちの前の準備をしている私に
 祝福の祈りを捧げて欲しい
 いずれ歯も弱り飲み込む事さえ
 出来なくなるかも知れない
 足も衰えて立ち上がる事すら
 出来なくなったなら
 あなたがか弱い足で立ち上がろうと
 私に助けを求めたように
 よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい
 私の姿を見て悲しんだり
 自分が無力だと思わないで欲しい
 あなたを抱きしめる力がないのを
 知るのはつらい事だけど
 私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
 きっとそれだけで
 それだけで私には
 勇気がわいてくるのです
 あなたの人生の始まりに
 私がしっかりと付き添ったように
 私の人生の終わりに
 少しだけ付き添って欲しい
 あなたが生まれてくれたことで
 私が受けた
 多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って
 笑顔で答えたい
 私の子どもたちへ
 愛する子どもたちへ
 (作者不詳)

 「 おかしくない 」

 病気や障害には、
 見た目からわかるものと、
 見た目からはわからないものがあります。
 見た目からわからないものの場合、
 周囲の人にその病気や障害について、
 知ってもらい、理解を求めていく事が大切になってきます。
 例えば、病気や事故で片腕を失くしてしまった人が居たとします。
 周囲の人は、その人を見ただけで状況を理解できます。
 だから誰も、
 その人に両手を使わないと出来ない作業を頼むことはしないでしょう。
 一方、病気や事故で聴力を失くしてしまった場合、
 周囲の人は、
 その人見ただけでは聴力に障害があることがわからないので、
 みんな話しかけてきます。
 その為、まず始めに周囲の人に耳が聞こえないことを
 理解してもらう事で初めて、
 周囲の人はその人と接する際に
 言葉以外の方法でコミュニケーションをとるようになります。
 このように見た目からはわからない病気や障害の場合、
 周囲の人の「理解」がとても重要になります。
 認知症は、後者ですが、
 この「理解」がとても難しい。
 なぜなら、認知症と一括りに言っても、人によって様々な症状があり、
 対応の仕方もそれぞれ違います。
 また、記憶障害や見当識障害など、
 人が生活していく上でとても大切な脳の障害であるという事が、
 認知症という病気を理解するのを難しくしています。
 そして、身近で介護を行う人は、
 「理解」するだけでなく、
 理解した事を「実践」する力も必要になってきます。
 この「実践」がさらに難しい。
 長年介護をしている介護職員でも、
 この「実践」が出来ている人はあまりいないのではないかと
 思います。
 「実践」が難しいのは、
 介護を行う人に「記憶力」と「感情」があるからです。
 認知症になると、
 記憶障害がでることは認知症を知っている人であれば、
 ほとんどの人が「理解」しています。
 しかし、5分おきにトイレに行きたいと繰り返し訴える。
 ご飯を食べたのに、食べてないと何度も訴える。
 自宅にいるのに、家に帰ると訴える。
 このような事があると、
 認知症という病気がそうさせていると理解していても、
 つい、
 「さっきトイレいきましたよ」
 「さっきご飯食べましたよ」
 「ここが家ですよ」
 などと答えてしまいます。
 これは、私達にはさっきそれをしたという「記憶」があるので、
 何度も言われると、
 障害だとわかっていてもつい、
 イライラの「感情」が芽生えてしまうのです。
 「実践」とは、
 この自分に湧いてくる感情をコントロールし、
 認知症という病気がさせている事に振り回されずに対応しようとする。
 という事です。
 これができて初めて、
 本人にとって落ち着く環境であったり、
 きちんとした人間関係ができてくるのではないかと思います。
 その他の症状も同じで、
 周囲から見て、なぜその様な行動をするのか?という症状であっても、
 本人にはきちんとした理由があったりします。
 記憶障害や見当識障害が邪魔をして、
 わかりずらくしているだけで、
 考え方や感情の動きは私達と何も変わりません。
 ですから、
 その理由を見つけることが出来たら、案外その行動が理解できます。
 自宅にいるのに、家に帰る。
 がいい例で、
 多くの場合、今住んでいる自宅に関する記憶を障害され、
 本人の中では自分が生まれ育った家の記憶しか残っていない為、
 そのような言動が出てきているケースがよくあります。
 自分の記憶している自宅に帰ろうとするのは当然なので
 理解できますよね。
 私が言いたいのは、
 認知症になったら頭がおかしくなって、意味不明な行動をしてしまう。
 なにもわからなくなってしまう。
 というイメージは間違いだという事です。
 何もおかしくありません。
 おかしいと思うのは、
 その理由を私達が認識できていないからであって、
 それを見えずらくしているのが、
 認知症という病気だという事です。
 最後に、認知症の方が書いた詩をご紹介します。

 「 目を開けて、もっと私を見て 」

 何が見えるの
 看護婦さん
 あなたには何が見えるの
 あなたが私を見る時
 こう思っているのでしょう
 気むずかしいおばあさん
 利口じゃないし
 日常生活もおぼつかなく
 目をうつろにさまよわせて
 食べ物をぽろぽろこぼし
 返事もしない
 あなたが大声で
 「お願いだからやってみて」と
 言っても
 あなたのしていることに
 気づかないようで
 いつもいつも靴下や靴をなくして
 ばかりいる
 おもしろいのかおもしろくないのか
 あなたの言いなりになっている
 長い一日を埋めるために
 お風呂を使ったり食事をしたり
 これがあなたが考えていること
 あなたが見ていることでは
 ありませんか
 でも目を開けてごらんなさい
 看護婦さんあなたは
 私を見てはいないのですよ
 私が誰なのか教えてあげましょう
 ここにじっと座っているこの私が
 あなたの命ずるままに
 起き上がるこの私が
 あなたの意志で食べているこの私が
 誰なのか
 私は十歳の子供でした。
 父がいて、母がいて兄弟、
 姉妹がいて、
 皆お互いに愛し合っていました。
 十六歳の少女は足に羽根をつけて
 もうすぐ恋人に会えることを
 夢見ていました。
 二十歳でもう花嫁。
 私の心は踊っていました。
 守ると約束した誓いを胸にきざんで二十五歳で私は子供を産みました。
 その子は私に安全で幸福な家庭を
 求めたの。
 三十歳、子供はみるみる大きくなる
 永遠に続くはずのきずなで母子は
 互いに結ばれて。
 四十歳、息子たちは成長し、
 行ってしまった。
 でも夫はそばにいて、私が悲しま
 ないように見守ってくれました。
 五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
 私の愛する夫と私は再び子供に
 会ったのです。
 暗い日々が訪れました。
 夫が死んだのです。
 先のことを考え不安で震えました。
 息子たちは皆自分の子供を育てて
 いる最中でしたから
 それで私は、過ごしてきた年月と
 愛のことを考えました。
 今私はおばあさんになりました。
 自然の女神は残酷です。
 老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。
 体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ
 かつて心があったところには
 いまでは石ころがあるだけ。
 でもこの古ぼけた肉体の残骸には
 まだ少女が住んでいて
 何度も何度も
 私の使い古しの心をふくらます。
 私は喜びを思い出し、
 苦しみを思い出す。
 そして人生をもう一度愛して
 生き直す年月はあまりに短すぎ、
 あまりに速く過ぎてしまったと
 私は思うの。
 そして何物も永遠ではないという
 厳しい現実を受け入れるのです。
 だから目を開けてよ、
 看護婦さん目を開けて見てください。
 気むずかしいおばあさんではなくて、
 「私」をもっとよく見て!

 パット・ムーア著
 「変装私は三年間老人だった」より。

 この詩は、イギリス・ヨークシャーのアシュルディー病院の老人病棟で、
 一人の老婦人が亡くなり、
 彼女の持ち物を調べていた看護師さんが見つけたものです。
 彼女は、重い認知症でした。
 皆さんはこの詩を読んで、
 この認知症の老婦人が頭のおかしい人だと思いますか?

大浦家・上津役家日記~R3.2月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。  
今月も遅くなりましたが、 読んで頂ければ嬉しいです。

水平線に向かって

「水平線に向かって」

私は分かろうとする
言葉をもたない
海の心の本当のところを
いつまでたっても
水平線に向かって私はこぎ続ける
不毛かもしれない
無意味かもしれない
いつまでたっても
何も分からないかもしれない
水平線の向こうには
また水平線があるだけだ
言葉のように波音が聞こえる
心のように雲影が流れていく
魂の色をして月が昇ってくる
答えのように風が私を通りすぎる
分かることではない
分かろうとすること
いつまでたっても
水平線に向かって私はこぎ続ける
そして私には
分かりかけてくる
海に抱かれて
この私の本当のところが
(出典:「徘徊と笑うなかれ」藤川幸之助)

「 介護者の鏡 」

人の振り見て我が振り直せ
人を以て鑑となす
他人は自分を映す鏡

①Aさんは認知症。何度もトイレに行きたいと訴える。
●「さっきトイレに行ったよ。」と答える。

②Bさんは不安感が強く、頻繁にスタッフを呼びとめる。
常に誰かが相手をしていないと落ち着かない。
●他の利用者対応や業務に忙しく、
「あとで来るからちょっと待ってね。」と答える。

③Cさんは歩行が不安定で、
ひとりでの歩行は転倒の可能性が高い。
手引きでの介助があればゆっくりではあるが、
十数メートルは歩行可能。
●転倒のリスクを防ぐため、移動は全て車イスでの対応とした。

④利用者の方達が共有スペースで暇そうに過ごしている。
●人前に立って何かするより、
落ち着いてゆっくり利用者の話しを聞く方が得意なので、
みんなでの体操やレクレーションは他のスタッフに任せ、
事務作業などをする事にした。

⑤Dさんは女性好き。
男性が対応すると介護拒否される。
●対応は女性スタッフに任せる様にした。

⑥Eさんは徘徊症状があり、
よくスタッフの目を盗み外に出ようとされる。
●施設の玄関に施錠してスタッフが
気付かない内に外に出るのを防止した。

①~⑥はどれも介護の現場で
よく見られる光景で、日々交わされる様々なやりとりのごく一部です。
皆さんの中には、●のスタッフの対応方法に
疑念を持たれる方もいると思います。
私も同じです。
ただ、今回私が言いたいのはソコではありません。
なので、疑念についての私の想いは又の機会に書きたいと思います。
私が言いたいのは、
見方を変えれば①~⑥は問題という名の「鏡」。
それぞれの●はその「鏡」に映った「自分の姿」と
見る事ができるという事です。

①は認知症とわかっているのに、
イラついて言葉ひとつで終わらせようとする短気な自分。

②⑥は問題と向き合わず、とりあえず簡単な方法で
その場をやり過ごし、問題に背を向ける自分。

③は相手の為には歩いた方が良いとわかっているのに、
車イスで対応した方が楽だし早いからと、
相手よりも自分の都合を優先してしまう自分。

④は自分の苦手な事から逃げ、出来る事しかしない自分。

⑤は②⑥と同じ。
そして、その為の努力をする前から自分にはできないという
あきらめの早い自分と向上心のない自分。

そして、全体を通し映している事は、思いやりに欠ける自分。
仕事は、月日が経てば慣れ、
それなりに知識や技術が身に付きます。
保有資格も増えるかもしれません。
しかし、これが大きな落とし穴です。
自分ができる介護者であると錯覚させ、
より目の前の利用者の方々と向き合う事を意識しなくなります。
この事を理解し、常に利用者に対する自分の対応を自問自答し、
自分を見つめ直し、改善をし続ける。
そうする事で利用者の方々に心から信頼される介護者として成長し、
できる介護者になっていくのだと思います。
相手は人間。
全ての人の心を分かってあげる事はできないかもしれません。
大切なのは分かろうとし続ける事。
無理そうに思えても。
先が見えなくても。
その先に見えるのは自分の姿。
そして気付く。
現状を変える為には、自分が変わる必要があるという事に。

「 琴線 」

琴線とは・・・
「人間の心の奥深くにある感じやすい心情に触れて感動する事。」
上津役家家族のフジさん。
彼女は認知症を患っており、
中核症状である、
記憶障害、見当識障害、失行、失認、失語、実行機能障害。
そのいずれにも症状の進行が見られます。
分かりやすく言うと、日付はもちろん、現在いる場所、歯の磨き方、
物の名前、相手の言葉の意味などがわからない状態です。
しかし、彼女はとても明るく、
顔を合わせるといつも笑顔で出迎えてくれます。
彼女の笑顔には、周囲を楽しい気分にし、
自然と笑顔にさせてしまう力があります。
そんな彼女にはめずらしく、
感情をあらわにして涙を流すという出来事がありました。
ある日、皆でリビングに集まってレクレーションをしていた時の事。
スタッフがまだ入居して間もないザキさんに皆との接点を作ろうと、
御年95歳の戦争体験者である彼を皆の前に出し、
戦時中の話しをしてもらう事にしました。
スタッフは彼が戦時中の話しになると饒舌になる事を知っていたので、
話しを振られた彼も、嫌がる事なく皆の前で話し始めました。
10代で志願兵として兵士になった事、
飛行機の操縦士として訓練を受けた事。
知覧で襲撃機の操縦士として戦った事。
戦時中の色々な事を沢山話してくれました。
話しを聞いている皆も戦時中の苦労や悲しみを思い出していたのか、
集中して彼の言葉に耳を傾けていました。
フジさんも話の内容が分かるのか心なしか悲しい表情で聞いていました。
そして、話しがひと段落着いた所で、
なぜか突然、彼が歌い出しました。
「おまえとお~れ~は~♪」
突然、同期の桜を歌い出した彼に、
皆始めは驚いた様でしたが、
すぐに彼の後に続き歌い始めました。
その時です。
フジさんが声をあげて号泣しだしたのです。
「わーん!」
大粒の涙をぽろぽろ流しています。
突然の事に皆びっくり!。
今迄、彼女のそんな姿を見た事はありませんでした。
普段、トイレや入れ歯が何の事かもわからない彼女です。
ザキさんの話しが理解できたかは、
本人にしかわかりません。
それでも、ザキさんの話と歌が、
確実に彼女の心を動かしたのです。
認知症になって、
色々な事がわからなくなって、
何も分からない状態に見えても。
人には心がある。
心があるのなら必ず何かを感じる。
感じるのなら、心を動かず事もできるはず。
そう信じて関わって行くのが
大切な事なんだと思います。