大浦家・上津役家日記~R2.9月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。

今月も遅くなり、申し訳ありません。

今月も読んで頂ければ嬉しいです。

いってらっしゃい

2020年8月26日。
上津役家次男である、
シマさんが天国へ行きました。
享年91歳。

2017年3月25日。
あなたは大浦家の家族になりました。
この時のあなたは、右手に杖を持ち、
ふらふらしながらもまだ、何とかひとりで歩けていました。
あなたは、レビー小体型認知症を患っており、
よく幻覚や幻聴を見聞きしてはそれに振り回され、
コケそうになったり、怪我をしそうになったりしていましたね。
夜間に症状が酷くなることが多く、
実際にベットから落ちたり、
トイレではない場所でトイレをしたり、
2階のベランダへ飛び出そうとしたり、
叫んだり、暴力的になったり・・・。
本当に大変でした。
ただ、幻覚症状の出ていない時の本当のあなたは、
とても穏やかで、優しく思いやりに溢れた方でした。
入居当時、あなたは食欲旺盛で、
夕食だけでは物足りないと言って、
昼間に私と近所のスーパーへ行って買って来た菓子パンを、
夜食として食べていましたね。
私もそれに付き合わされては、
他愛もない話をよく2人でしたことを思い出します。
家族の話。仕事の話。心配事の話。
なんだか、もうずいぶん昔の事の様に感じます。
過去の日記に書きましたが、あなたと過ごす事の大変さに、
あなたに退去してもらった方が良いのではないかと
迷った時もありました。
今では、本当にあの時に投げ出さなくて良かったと、心から思います。
絶対に投げ出さないと決めた私は、
周囲の居室の方に迷惑を掛けてはいけないと、
考えた末にご家族に許可を頂き、
あなたを私と相部屋にしてもらう事にしました。
当時私は大浦家に住んでおり、2階の一番奥の部屋に居た為、
夜間にあなたが大声を上げたとしても、
他の方にそんなに迷惑が掛からない事、
そしてすぐに私が対応する事で少しでも早く落ち着かせる事が
出来るだろうと考えての事でした。
2人同じ部屋で寝る生活が始まってからも、始めの内は大変で、
色々ありました。
夜中に幻覚を見て突然大声をあげるのはもちろん、
大きな物音で飛び起きると、
私のデスクがひっくり返っていたり、
部屋中に本や資料が散らばり、
見るも無残な状況になっていたり、
床に尿だまりが出来ていたり・・・。
睡眠不足で余裕のなくなった私が、
ついぞあなたに対して声を荒げてしまう事もありましたね。
そんな風に一緒に寝食を共にする中で、
いつしか私はあなたに、
『大将』と呼ばれるようになっていました。
あなたは昔大工をしていたから、
もしかしたら私の事を、
棟梁の様な存在だと思っていたのかもしれませんね。
そういえば、こんな事もありました。
開業してスタッフも落ち着き、初めて私が休みをもらった時の事。
私が外出して、夜21時くらいに大浦家に帰って来た所、
いつも19時には部屋に戻り、
休んでいるはずのあなたの姿がリビングにありました。
「あら、シマさん。こんな時間まで下におるとかめずらしいね~。」
『ああ、大将! おかえりなさい!
 ほらっ、お前早く大将にお茶でも出さんかっ!』
そう催促された夜勤スタッフは、
お茶を淹れながら、
「何度も出かけてるから先に休もうって言ったんですけど、
『大将が休んでないのに自分が先に休むわけにはいかん!』
 て言って、休んでくれなかったんですよ~。」
と、困り顔で私にシマさんがリビングに居る理由を
教えてくれました。
あの時は、この調子だと今後、夜外出も出来ないなぁ。と、
困ってしまったのと同時に、
そんなにも私の事を尊重してくれるあなたの気持ちが、
とっても嬉しかったのを覚えています。
ある時、あなたが風邪をひいて4日程寝込む事がありました。
それをきっかけにどんどん体力や筋力が低下し、
それと共に表情にも覇気が無くなり、
元気もあまり出なくなって来ました。
その状態のあなたを見て、
ご家族が、
『これはもしかして、お迎えが近いのでは・・。』
と心配するほどでした。
「まさかシマさんに限ってそんな事は無いでしょう。」と、
その場は笑ってやり過ごすも、
私の心にご家族のその言葉がどうにも引っ掛かり、
何をしていても、モヤモヤしていました。
そして、中々調子が上向かないあなたを見る度に、
そのモヤモヤが大きくなっていったのです。
あの時、私は考え続けていました。
『あなたの為に、私に何か出来る事はないか?』と。
そうして私が思いついたのは、
今考えてもよくそんな事が出来たなと思う様な、
とんでもないものでした。
それは、その時他の施設に入居していた、シマさんの奥さんである、
ヨネさんを、既に満床で空き部屋の無い大浦家に何とかして入居させる。
というものでした。しかも、最短最速で。
そうして決断した私は、すぐに行動に出ます。
まずご家族に連絡を取り、
ヨネさんを最短でシェアハウスに転居させてもらえないか。
もし現在入居の施設の契約上、
急な退去による違約金などがかかる場合は、私が負担するので。と。
ご家族は急な話で驚いていましたが、
私が、
「もし、ご家族の言われた様に、シマさんのお迎えが近いので
 あれば、せめて最後の1ヶ月でも半月でもいいから、
 夫婦一緒に過ごせるようにしてあげたい。
 それにもしかしたら、
 奥様が傍に居る事で元気が出て来るかもしれないから・・・。」と
私の想いを伝えた所、
『わかりました。近いうちに母の施設に話してみます。』と、
受入れて下さいました。
その後、担当ケアマネにも報告し、本人との面談、会議などを経て、
ヨネさんが入居する事になりました。
居室の問題は、大浦家の離れを使用する事で何とかしました。
ヨネさんが入居した日、
ここ最近の覇気の無さが嘘の様に、あなたは元気でした。
ヨネさんの腕をポンポンと叩き、
私を指さして、
『この人が俺がいつもお世話になっとる大将や、ほら、挨拶せんか。』と、
しきりに言っていましたよね。
でも、言われている当人のヨネさんはどこ吹く風で、
なんじゃこのじいさんは・・・
と、いう様な顔をしていて、
その2人の姿が可笑しくて笑って見ていたのを思い出します。
ヨネさんが来てから、
あなたはどんどん元気を取り戻しましたよね。
今でもたまに考えます。
あの時、こんな無茶なお願いをするなんてありえない。
そう思って行動を起こさなかったら。
ご家族が私の提案を受け入れて下さらなかったら。
あなたが元気を取り戻す事は無く、
私もやっぱりあの時行動しておけば良かったと、
後悔していたかもしれないと。
それからはヨネさんも一緒に、色々な事をしましたね。
大衆演劇や博物館に行ったり、
サーカスを見に行った時は、
まるで子供の様に目を輝かせて食い入る様に見ていましたね。
旅行にも行きました。
美味しいものを食べて、気持ちいい温泉に入って。
こう思い返してみると、
あなたとは、大変な事だけではなく、楽しい想い出も沢山ありますね。
そういえば、あなたには言ってなかったけど、
あなたにとってのピンチがもうひとつあったんですよ。
それは、それこそヨネさんが入居する少し前の事だったと思います。
スタッフ2人が私の所に来て、
あなたをみるのが大変だから、ご家族に病院に連れて行ってもらい、
薬を処方してもらう事は出来ないのか。
そう訴えて来たのです。
この頃のあなたは、先に言った様に覇気がない状態でしたが、
いつも虚ろな感じで夢と現実の区別がつかず、混同してしまっていたのか、
覚醒したと思ったら、突然怒り出したり、唾を吐いたり、
皆に暴言を浴びせたりといった症状が日常的に出ていました。
周囲が楽しく過ごしていても、あなたが怒りだしてしまい、
一転みんなが怖いと雰囲気が悪くなる。
あなたの排泄や入浴のお手伝いをしようとすると、
怒鳴られたり、殴ろうとされたり。
そんなあなたの症状に耐えかねてスタッフ達は私のもとに来たのです。
スタッフ達は私に訴えます。
「今の状態のシマさんをみるのは、正直言って難しいです。
 周りの入居者の皆様への影響も大きいし、
 何より頻繁に興奮状態になるシマさん本人が
 一番きついと思います。
 医師に相談して精神を落ち着かせる様な薬を
 処方してもらえるように出来ないでしょうか?」と。
私も確かにその時のシマさんの症状をそのままの状態で
みて行くのは大変だし、他の大浦家家族の皆への影響も計り知れない。
そう思っていました。
が、私はスタッフ達に、
『嫌です。そんな事はしません。』
「え?・・・何でですか?」
私のまさかの返事に唖然とするスタッフ達にこう続けます。
『私達の判断でシマさんを殺していいんですか?
 その覚悟があるんですか?』
「?????」
ますます意味がわからないという顔をするスタッフ達。
私は、スタッフ達が私の言葉の意味が分かっていない様なので、
分かりやすく説明しました。
長くなるので細かい説明は省きますが、介護の仕事をしていると、
今回のシマさんの様な利用者の方をみる事はよくあります。
そして、大抵の所は今回スタッフが言って来た様に、
薬を処方してもらい、症状を抑えようとします。
すると、どうでしょう。
効果てきめん!
すっかり大人しくなります。
いつも、起きてるのか寝てるのか分からない様な状態になり、
以前の様にコミュニケーションをとる事も、動く事も難しくなります。
その状態が続く事で急激に身体は衰え、ある時、誤嚥性肺炎にかかり、
亡くなります。
これが、私が10年以上施設に勤めていた時の
一番オーソドックスなパターンでした。
おそらくそれなりの期間働いた経験のある介護者であれば、
理解できると思います。
うちのスタッフ達もこれは理解できました。
そこで、こう問いかけました。
『この方が薬を飲むようになってから肺炎で亡くなる前までの間、
 果たして本当に生きていると言えるんですかね?
 言いたい事、やりたい事があっても薬で意識朦朧状態に
 抑えつけられ、何も出来ずに日々を過ごし、そして死ぬ。
 私は、薬を飲ませた時点でもう死んでいるのと変わらないと思う。
 家族は申し訳ないと思うから、お願いすれば嫌とは言わない。
 だから私達介護者がお願いすると決断してしまったら、
 それは私達がその方を殺すのと変わらないのではないですか?』
「でも、じゃあどうしたら・・」
『皆で考えて、思いつく限りの方法をやって行きましょう。
 思いつく限りの事をやってダメだったら、
 その時、ご家族に相談しましょう。』
「思いつく方法は私達も既に色々やりましたが、
 それでもダメだったから話に来たんです。」
『それはスタッフが個別に試したことでしょ?
 そうではなく、皆で話して決めた対応方法を
 皆で試さないと効果はでませんよ。』
「でも・・・。」
スタッフも自分達なりに必死で考え、関わってきただけに、
簡単には納得できませんでした。
『じゃあ、私がダメだと思う根拠を言いましょう。
 それは、皆さんが困っているシマさんの症状が、
 私の前では出ないからです。
 相手を選ぶ事が出来ているのなら、
 絶対改善する方法があるはずでしょう。』
そう、あなたはそんな激しい症状が出ている時でも、
私には怒鳴ったりせず、いつもの様に接してくれていましたよね。
私はそれを見て、あなたの今の症状は精神疾患の様に、
あなたの意に反して症状が出ているわけではなく、
何か他に原因があると気付く事が出来たのです。
スタッフ達もそれは普段から目にしていたので、
納得せざるを得ませんでした。
それから、なんやかんや頑張ってあなたも少しづつ落ち着き、
何とか一件落着。
こんな事があったなんて、あなたは知らなかったでしょ?
あの時、スタッフの訴えを受け容れていたら、
あなたはその後どうなっていたのでしょうか。
きっと、今のあなたの様に、
皆に見守られながら、
奥さんに手を握られながら、
眠る様に穏やかに最後を迎える。
こんな事は出来なかったのではないかと思います。
後悔が全く無いわけではありませんが、
私の20年足らずの介護人生の中で、
一番私達があなたにしてあげる事の出来る、精一杯を、
介護者としての理想を、
そしてなにより、きっとあなたにとってこれ以上ない最後の形を、
あなたと私達、ご家族、ケアマネ、医療関係者の
皆の力で実現出来たから、
とっても寂しいですが、哀しくはありません。
あなたは私に、そしてみんなに、
困難を与え、時には難しい選択を迫り、
私達が人として、介護者として、
本当に大切な事とは何かを教えてくれました。
あなたは、私達の中で生きています。
あなたと一番長く濃くかかわらせてもらった私は、正直、
まだあなたがいなくなってしまった実感を持てずにいるくらいです。
こうやって今までの事を思い返す時、
まるで昨日の事の様に、
あなたの表情や声を鮮明に思い出す事が出来るから。
もし今私が、あなたの居ないあなたの部屋を訪ねて、
あなたが居たとしても、
きっと何も驚かずにいつもの様に世間話をして、
一緒に笑うでしょう。
それくらい鮮明に、私の中にあなたが居ます。
だから、涙も出ないし、哀しくもありません。
寂しくなっても目をつむって、
こうやって思い出せば、
ほら、あなたが出て来てくれるから。
だからこっちの事は気にせずに、
向こうでゆっくり、のんびり、楽しくお酒でも飲みながら、
私達の事を見守っていて下さい。
きっと先に行っている
大浦家、上津役家家族のサエさん、
マコさん、タケさんも待ってくれていると思うから。
向こうでは短気を起こさず、
皆と仲良くね。
 
 
『今まで本当にありがとう。』
 
 
『じゃあ、いってらっしゃい。』




大浦家・上津役家日記~R2.8月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。
今月も遅くなりましたが、
読んで頂ければ嬉しいです。

おかえり

上津役家次男坊のシマさん。

今年九十一歳になった彼は、

昨年末頃から、体調を崩し入退院を繰り返すようになりました。

以前から腎臓の状態があまり良くないと医師から言われていましたが、

最近は以前にも増して腎機能の低下が見られるとの事。

ご家族は、入院する度に退院後は上津役家でなく、

医療体制の整った施設に入所した方が良いと、

医師に言われていたそうです。

それでも何とか上津役家に帰りたいと、その言葉を振り払い、

上津役家に帰って来てくれました。

そして、今年の3月末にまた体調を崩し、入院する事になりました。

それまでは、入院したといっても、

1週間程度で元気になり帰って来ていたので、

今回もまたすぐに元気になって帰って来るだろう。

そう、皆が思っていました。

しかし、中々回復の目途が立たず、

入院して1ヶ月・・2ヶ月・・。

そして3ヶ月が経とうとしていました。

ご家族に連絡を取り現在の状態を確認すると、

あまり状態は良くなっておらず、

食事もあまり摂れていないとの事で、

毎日点滴をしており、未だ退院の予定は立っていない。

との事でした。

またそれだけでなく、

現在の状態であれば、いよいよ医療体制の整っていない

上津役家へ帰るのは無理だと医師に言われたそうです。

退院予定が立たず、

退院しても上津役家へ帰って来るのが難しいのであれば、

毎月の上津役家の家賃負担がもったいないので、

ご家族と相談した上で、

一旦、上津役家の契約を解約する事にしました。

そしてご家族には、

退院が決まったら、もしその時点で上津役家が

満床になっていたとしても必ず連絡して欲しい。

そうお伝えして、話しを終えました。

私がこの時ご家族に連絡をお願いしたのは、

万が一シマさんがシェアハウスに帰って来れる状態で退院した場合、

例えその時満床であっても何とかして帰って来れる様にしたいと

考えていたからです。

そして3カ月目も後半に入る頃。

スタッフよりLINEが入りました。

『シマさん、退院するらしいよ。』

「え?」

ご家族からまだ連絡をもらっていなかった私は驚き、

すぐにスタッフに電話して、詳細を確認しました。

すると、その日たまたま手続き上シマさんの介護保険証が

必要になったご家族が上津役家に来たそうで、

その時にシマさんが数日後には退院し、

病院の系列のショートステイで1週間程様子を見た上で、

系列の施設に入居する事になったと言っていた事。

それと併せて、病院や系列施設の相談員から唐突に、

そして何度も看取りの話しや、

もうすぐ最期を迎えると決まっているかの様に話しをされ、

どのような対応を望むのか、短時間での選択を迫られ、

悲しくなったと目に涙を浮かべ、話していたとの事でした。

スタッフとの電話を終えた私は、すぐにご家族に電話をしました。

「シマさんの退院が決まったと聞いたのですが・・・。」

『はい。じつは・・・』と、

スタッフに確認した話を、改めてご家族から直接聞きました。

私に連絡をしなかったのは、

今迄充分してもらったのに、

これ以上迷惑を掛けたら申し訳ないと思い、

連絡出来なかったとの事でした。

現在の状況とご家族の気持ちを聞き、私はご家族に提案します。

「看取りの方向でシマさんを見ていくのであれば、

訪問診療と訪問看護を利用すれば上津役家でもみれると思うので、

上津役家へ帰って来ませんか?」

『え?いいんですか?』

「もちろんです。いままでずっと一緒に過ごしてきて、

最後だけ慣れていない、周囲に見知った人もいない、

他の所で迎えるのは、本人も嫌でしょうし、私達も嫌なので。」

『ありがとうございます!

 そしたら病院に上津役家に帰りたいと話してみます。』

こうして、シマさんが上津役家へ帰って来る事が決まったのでした。

実はこの時、既に退院直前で、

ショートステイの申込みも済んでいました。

もしこの時すぐに電話を掛けなかったら、

もしかしたらシマさんは帰って来ていなかったかもしれません。

後日、ご家族から聞いた話ですが、

私と話をした次の日が病院を退院する日で、退院に際して医師や看護師、

これから利用するショートステイ先の相談員などが見送りや迎えの為、

一堂に会した時、ご家族は今言うしかないと意を決し、

『父を上津役家に帰らせたいです!』

と、泣きながら訴えたそうです。

その言葉を聞いて、その時その場に居た関係者全員が唖然として、

言葉を失ったそうです。

退院前に事前に話して決めた、

今後の流れを全てひっくり返したのですから、

相手からしたら正に青天の霹靂、寝耳に水と言った感じだったでしょう。

私はこの話を聞いて、この時の事を想像したら、

周囲の人達のポカンとした顔が目に浮かぶ様で、

思わず笑ってしまいました。

しかしそれと同時に、

医師、看護師、ソーシャルワーカー、

施設相談員、ケアマネージャーなど、

様々な人が動き、話し、その上で自分達が判断し決めた事を、

最後の最後でひっくり返す。

これを実行するのは、

並大抵の勇気や気持ちだけでは到底無理だと思います。

恥や外聞をかなぐり捨て、

自分が周囲にどう思われようが、

シマさんにとって何が一番良いのかを常に考え、

たとえ自分が決めた事であっても、

もっと良い道があると思えばひっくり返す。

そんなとても強い想いと、

とても強い覚悟があるからこそ出来たのだと思うと、

大浦家や上津役家の入居者のじじばばに、何が出来るのかと、

日夜奮闘しているのは私達だけではなく、

別の形で同じ様に強い想いでご家族も一緒に闘っている。

その事を強く感じさせられ、

とても感激し、尊敬と嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。

そして、1週間のショートステイを終え、

いよいよ4ヶ月ぶりにシマさんが上津役家へ帰って来ました。

入院期間が長く、食事もほとんど摂れていなかった事もあって、

見違える様に痩せてしまった彼の姿に、

みんなショックは受けていたものの、

『シマさん、おかえり~。』と、

声を掛け、久々の我が家へ迎え入れたのでした。

彼は目をつむり、特に何の反応も示しませんでしたが、

私には何となく彼の表情が、

やわらかく、穏やかな雰囲気に変わった様な気がしました。

帰って来て、すぐに行われたのは散髪でした。

シマさんを見て、

不格好に伸び切った髪の毛が気になったスタッフが、

何とかしたいとベッドで寝たきりの彼を、

ベット上で身体の向きを変えながら、

少しづつバリカンでカットして元のすっきりした髪型にしました。

されるがままにカットされている彼も、

心なしか気持ち良さそうな表情でした。

その日の夜、ご家族から感謝のメールが届きました。

聞くと、ご家族も面会に行く度に気になっていたが、

さすがにそこまでは頼めないと諦めていたそう。

この様な何気ない所に気付き、対応できるのも、

ずっと一緒に生活して来た上津役家に帰ってきたからこそなのだと思います。

シマさんは、退院前から食事があまり摂れない為、

点滴を毎日の様に打っていましたが、

スタッフが根気よく、彼が起きている時を見計らい、

少しでも口から食事や水分を摂ってもらうように働きかけ、

今では食事も水分もかなり摂れる様になってきました。

退院してしばらく経つと、

しっかり起きている時は声を出し、

会話できる時もチラホラ出てきました。

顔色もすっかり良くなり、

ご家族も上津役家に帰って来て本当に良かったと言ってくれました。

最初、担当医師はもって1週間くらいだと思っていた様ですが、

今、これを書いている時点でもう1ヶ月が経とうとしています。

そして今日・・・・。

シマさんは眠る様に穏やかに息を引き取りました。

次号「 いってらっしゃい 」に つづく・・・。

大浦家・上津役家日記~R2.7月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。 
最近はいつも遅れ気味で申し訳ありません。
今月は少し脱線して、
うちの家族の話は全くありません(; ・`д・´)
普通の読み物としてお読み頂ければ幸いです。
では、どうぞ!

「 おそれ 」

コロナ禍による自粛や働き方の変化。
最近よく耳にする新しい生活様式。
やり慣れて来た仕事の進め方が変わって思う様にいかない、
思った時に行きたい所に行けない。
今迄当たり前に出来ていた事が出来ない。
皆さんは今年に入ってからのこの急激な変化に適応出来ているでしょうか?
最近、また落ち着いたかに見えたコロナが猛威を振るい始めました。
早く元の状態に戻ってくれないと
耐えられないという様なストレスを抱えてはいないでしょうか?
私達がこんな窮屈な思いを強いられているのも、
全ては恐ろしいコロナから逃れる為。

ここで皆さんに質問です。
  
人はなぜ恐れや不安を抱くのでしょうか?

そして、恐れや不安はどこから来るのでしょうか?

私が思うに、人が恐れや不安を抱くのは、
「わからない」から。

どこからくるのかは、わからない事で必要以上に広がる
「想像力」から。

ではないかと思います。
コロナとはどんな病気なのか?
どうやって感染し、どんな症状が出て、どうすれば治るのか?
どんな場合が重症化し、命に係わるリスクはどれくらいなのか?
それがはっきりわからないから、
色々と最悪の事態を想像してしまう。
もしかしたら私達は必要以上に自らを窮屈にしているのかもしれません。
例えば、
同じ感染症のインフルエンザは、
どのような病気なのかある程度わかっており、ワクチンも治療薬もあります。
だから、私達は自分達の生活様式を変えない程度の必要な予防をした上で、
恐れる事なく経済活動や余暇活動を送っています。
ですが、実際には2018年、2019年と
インフルエンザで亡くなった人は、
インフルエンザから肺炎を併発したり、
持病が悪化して亡くなった人を除いても、3000人以上もいます。
(インフルエンザが原因の関連死を含めると1万人にも上ります。)
治療法が確立していてもこれだけの犠牲が出るのです。
インフルエンザはそれほど恐ろしい病気なのです。
私は、コロナを恐れすぎだと言いたいわけではありません。
私が言いたいのは、
「わからない」という事と、
「わかっている」という事が及ぼす、
人への影響力の強さと、
急な環境変化が与えるストレスの大きさです。
同じ様にコロナ以前より、
この様な急な環境変化や恐れと闘い、
新しい生活様式を獲得する事を余儀なくされている人達がいます。
病気に罹った人、
事故にあった人、
親になった人、
親を亡くした人など、様々な方々がいます。
そして、私達の身近な存在、
高齢者の人達もまた同じ。
身体が弱ったり、持病が悪化して思う様に身体が動かなくなり、
今迄と同じ様に外出したり、旅行に行ったり、
気軽に外出したりという生活ができない。
認知症を罹い、色々な事がわからない、わからなくなっていく。
住み慣れた自宅での生活を続ける事が困難になり、
自分の想いに反して施設への入居を余儀なくされる。
人は基本的に変化を嫌います。
そしてそれは、歳をとるほど強くなっていくように思います。
そう考えると高齢者の方々の苦悩や葛藤、ストレスは計り知れません。
おそらく現在私達がコロナ禍で受けている
ストレスの比ではないでしょう。
それでも彼らはそれに負けず、
今を一生懸命に生きています。
恐れや不安に負けず、乗り越えていける人を、他人は勇敢と言います。
私達の身近には、そんな様々な困難を乗り越えて来た
勇敢な先人が沢山います。
彼らより若く、身体も元気な私達がコロナ禍のストレスくらいで
負けるわけにはいきません。
彼らを見習い、彼らに学び、恐れに打ち勝ち、
乗り越えていきましょう。
私達には勇敢な先人の血が流れているのですから。 

「 愛 」

以前書いた事がありますが、
私は新しい入居者の方を迎える時に、
病院や前施設、ご家族からの事前情報は参考程度に留め、
信じ込まない様に意識しています。
それは、もしかしたら本人にやらせていないから出来ないだけで、
本当はそれを行う能力が残っている可能性があるからです。
だから、何事も実際に自分で試し、
自分で確認した事だけを信じるようにしています。
実際にそれを意識するようになってから、
皆が出来ないと思っていた事を、
やらせてみたら出来たという事が何度もありました。
もっとわかりやすい例を挙げると、
自分が良く忘れ物をしてしまう人間だと気付けば、
忘れない様に対策をして、忘れ物を防ぐ事が出来ます。
この様に、
表面的に知っているつもりでいると失敗してしまったり、
本質を理解する事で、自分の行動を変えられる事があります。
私が最近耳にして、
これが本質ではないかと妙に納得をしたものについて、
少し書きたいと思います。

皆さんは、「差別」とは何だと思いますか?

辞書を引くと、
『区別し、差をつけること』という様な事が書いてあります。
よく聞くものでは、男女差別、人種差別、障害者差別。
あと、昔は部落差別というのもありました。
様々な差別があり、
差別により人が命を落とす事も、めずらしくありません。

皆さんは、差別は根絶するべき悪いものだと思いますか?
また、差別をこの世から無くす事が出来ると思いますか?

もうひとつ。

皆さんは、「愛」とは何だと思いますか?

辞書を引くと、
『かわいがり、いつくしむ心』という様な事が書いてあります。
よく言われる言葉に、『恋は下心、愛は真心』というのもありますね。

皆さんは、愛は尊く、大切なものだと思いますか?
また、愛をこの世から無くす事が出来ると思いますか?

皆さん。
ここまでの質問に回答出来ましたでしょうか?

では、私が耳にした言葉を皆さんにも。
  
『愛とは何か?・・・・愛とは、差別である。』
  
・・・・どうでしょうか?

私はこの言葉を聞いた時、衝撃を受けました。
「差別」に対して悪いイメージを持ち、
「愛」に対しては全く逆の、良いイメージを持っていたからです。
世間では、「差別」を無くすために声を上げデモ行進を行います。
そしてそれと同時に、「愛」を持つ事を訴え、愛は世界を救うと思っています。
つまり、差別を無くし平和を実現する為には、差別が必要だと言う、
矛盾する事を言っていたのです。
もちろんこれは、この言葉が正しければの話しですが・・・。
ただ、私のいたらない頭では、
どんなに考えても納得できる反論が思いつきません。
恋愛、親子愛、友愛、動物愛、自然愛。
どれをとっても「愛」は何かを特別にし、
特別なものが現れた瞬間に、
特別とそれ以外で「差別」が生まれてしまう。
「愛」が差別でないとしたら、
それは、
『全てに対して平等な無償の愛』
ですが、感情を持つ人間がこの愛を持つのは無理ではないかと思います。
もし、これらが間違いなのであれば、是非、私を捕まえて教えて下さい。
ただ、私はこの言葉を悪く捉えているわけではありません。
「愛は差別」
確かに。
私は知らない他人よりも、知人や家族を優先するし、
他の高齢者よりも、うちのシェアハウスの家族(入居者)を優先し、
誰よりも喜ばせたいと思います。
大切なのは、差別とは何かを知り、
自分が差別している事を認識し、
その差別が誰かを幸せにするものなのか、
傷つけるものなのかを考えた上で、
自らの行動を選択していく事なのではないかと思います。
世の中には、完全な善悪など、
はっきりと白黒つけられるものはあまり無く、
誰かの幸せが誰かの不幸になる事も少なくありません。
人生は楽しい事ばかりではありません。
もしかしたら、辛い事の方が多いのかもしれません。
それでも、全ての人が差別とは何かを知り、
その上でそれぞれが周囲の人達が幸せになる差別を選び取り、
それを行動に移して行けば、人を不幸にする差別が減り、
愛という名の差別が世界に溢れ、
よりよい世の中になるのではないでしょうか。 

大浦家・上津役家日記~R2.6月号~

皆さんこんばんは。
あきひこです。
遅くなりましたが、
今月も読んで頂ければ嬉しいです。
では、どうぞ。

「 天国のあなたへ 」

令和2年6月7日。
上津役家4男である、
タケさんが天国へ行きました。
享年86歳。
(仮名で書きたくないので、以降は「あなた」と書きます。)
あなたと初めて会ったのは、
あなたとヒロさんが上津役家へ見学に来た時でした。
施設の話を少しでもしようものなら、
森にでも行って自殺しようと本気で話し合う2人を見て、
ご家族がどうやって見学に連れて来ようかと
苦労していたのを思い出します。
何とか見学に連れてきて、
何とか体験入居をしてもらい、
何とか入居をしてもらいました。
入居当初は家に帰りたいといって、
何度か家に帰ろうとする事もありましたが、
上津役家での生活に慣れるにつれてそれも落ち着いていきました。
入れ歯を付けるのが嫌いで、
食事は入れ歯なしで食べていましたね。
食べる物も自分が食べたい物しか食べず、
よくお嫁さんが自宅に居た時に食べていたおかずを、
作って持って来てくれた事もありましたね。
まだ身体が元気な頃は精力的に畑で野菜づくりなどをしていたあなたが、
身体があまり言う事を聞かなくなってからは出不精になりました。
上津役家スタッフは手を変え品を変え、
何とか外に出そう、
レクレーションに参加してもらおうと苦労していたのを思い出します。
飴が好きで、食後部屋に戻ると言って部屋に連れて来るなり、
『飴ちょうだい』と、
いつもスタッフに飴をおねだりしていましたね。
一度しないと言ったら頑としてやらないといった
頑固な所もありましたが、あなたの素敵な所は、
何と言ってもその愛情でした。
奥様のヒロさんに妄想症状が出て、
あなたが浮気したとカンカンに怒り出した時がありましたね。
ヒロさんはあなたの手を痣が出来るほど思い切り叩き続けました。
それでもあなたは反論する事なくその妄想に付き合い、
『ごめん、ごめん』
と謝り、落ち着くまで付き合っていました。
症状のせいで激しい行為に及ぶ事もありましたが、
ヒロさんもいつもあなたの事を気にかけていました。
口では文句を言いながらも、
あなたの身の回りの世話を甲斐甲斐しくしていましたよね。
あなたとヒロさん夫婦を見ていると、
傍から見ている私達が思っている以上に、
お互いの絆の強さ、愛情の深さがあるんだろうなぁ。
わたしも将来人生を共にする相手とは、
あなた達の様な強くて深い愛情を築きたいと心から思いました。
最後にあなたに会ったのは、
今年の2月の始めのお誕生日の時でしたね。
昨年末頃より、
急に物を食べたくないと、食べる事を止め、
何をしても言っても食べず、体調を崩すようになり、
入院を余儀なくされました。
入院中も食事を一切摂らず、
点滴などで栄養状態を維持していたあなた。
少しでも元気を出してご飯を食べ、帰って来てほしいと、
ヒロさんの写真をいっぱい貼った誕生日ボードとプレゼントを持って、
ヒロさんと一緒にお見舞いに行きました。
あなたはプレゼントとボードを見て、
目に涙を浮かべ、喜んでくれましたね。
頑張ってご飯を食べると約束もしてくれました。
職業柄、食事を摂れなくなると危ない事は
何度も経験しているのでわかっていました。
それでも、何とか元気を取り戻して欲しいと願っていました。
しかしその後も中々食事が摂れず、
私達の願いは叶う事なく、
あなたは先にいってしまいました。
ご家族の話しでは、入院が長くなり、
ベットで過ごす時間が増えたあなたは、
身体の拘縮が進み、膝は伸ばせなくなり、
少し身体を動かそうとしただけでも
激しく痛がるようになっていたと聞きました。
食事を摂らなくなってから半年程。
もしかしたらあなたは、
ご家族や私達の願いを叶える為に、
すごく頑張ってここまで耐えてくれたのかもしれません。
今は痛みからも解放され、
天国で大好きなお酒と大好きな甘い物と
大好きな白ご飯を目いっぱい食べているかな?
前にもう一度だけでいいから、
会いたいと話していた河童にも会えたかな?
会えていたらいいなぁ。
多分、あなたの唯一の心残りは、
ヒロさんを残していったことだと思います。
でも安心してね。
ヒロさんがこれからも安心して楽しく過ごせるように、
今度は私達が頑張るから。
あなたとしたかった事、
あなたにしてあげたかった事、
考えたらキリがありません。
後悔だらけです。
そのあなたに対しての後悔の分も、
ヒロさんに楽しんで貰えるように頑張るから。
安心していつもの可愛い笑顔で見守っていてね。

ご家族の皆様へ。
この度はお悔やみ申し上げます。
タケさんの最後の家として、上津役家を選んで下さった事、
本当にありがとうございます。
タケさんと出会い、生活を共にし、色々な事を一緒にして、
楽しい時間を共にした日々は、
私達の一生の想い出であり、私達の財産です。
スタッフ一同、
心より故人様のご冥福をお祈り申し上げます。 

大浦家・上津役家日記~R2.5月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。
非常事態宣言解除されたと思いきや、
北九州では早々に第2波。
しかも第1波よりも激しい波( ;∀;)
やはりワクチンや薬が出来るまでは
現在の警戒態勢を継続するしかないようです。
コロナにより苦しい、悲しい、辛い思いをしている方々が
沢山いる事に改めて想いを馳せ、
自分の行動に細心の注意を払い、
明るい未来が少しでも早く戻ってくるよう、
みんなで頑張って行きましょう!
では、今月も宜しくお願い致します。

「 どんと諦観 」

失敗ではない。
うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ。
トーマス・エジソン
 
お金の事や仕事の事、
人間関係など、
生きていると必ずぶつかる、壁。
自分の力だけではどうにもならない壁もあれば、
自分次第で乗り越えられる壁もあります。
今回は、自分次第で乗り越えられる壁についてのお話し。
壁は、大抵の場合が、
自分自身が作り出したものなのではないかと思います。
同じ環境や同じ状況に置かれても、
壁を感じる人もいれば、
全く感じない人もいます。
ピンチをピンチと思う人もいれば、
ピンチをチャンスと思う人もいる。
冒頭のエジソンの言葉も同様。
私なら1万回も実験に失敗したら、
心が挫けるものですが、
やはり天才。
考え方が違います。
でもなるほど彼の言う様に考えると、
たちどころにその壁は無くなってしまうのかもしれません。
このように自分の考え方で壁を
創らない事も出来ますが、
仮に壁を創ってしまっても、
努力して乗り越えるという方法もあります。
私としては、
全てポジティブに考えられるわけではないし、
壁を乗り越えた時の達成感や、
自分自身への自信になる、
後者の方が良いのではないかと思っています。
私達の仕事においても沢山の壁が存在しますが、
その中でも私達の仕事特有な壁として、
認知症とどう向き合うかという壁があります。
詳しく言うと細かすぎてわかりずらいので、
わかりやすい極端な例をあげると、
お出掛け(一般に言う徘徊)の症状のある方がいて、
何度も施設から出てしまう状況があったとします。
その時、施設側がどの時点で玄関に鍵をかけるのか。
という、判断の壁が生まれます。
月に1回そういう事があった時点で鍵を掛ける様にするのか、
週に1回あれば鍵を掛けるのか。
その判断は施設により様々。
その様な方がいなくても、
開設時から鍵をかけるようにしている所もあります。
もうひとつ。
暴力行為のある方がいたとして、
それがどの程度であれば受入れを拒否、
または退去をお願いするというのもひとつの壁だと言えます。
ただ、どちらにも言えるのが
今例にあげたこのふたつの方法は、
壁を乗り越えたのではなく、
壁を相手へ押し付けただけだという事。
施設側にとっては判断を実行すれば壁は無くなります。
しかしその一方で、
その判断を実行したがために、
利用者本人やその家族に新たな壁を生む事になるからです。
これは壁を無くすでもなく、
壁を乗り越えるでもなく、
壁を相手へ押し付けるだけなので、
何の喜びも達成感も、自信も生まれる事はありません。
うちの家族(入居者)にも、
似たような症状のある方はいますが、
スタッフ全員で知恵を出し、
協力して壁を押し付けずにやるようにしています。
大変ですが、そのおかげでスタッフも力をつけ、
自信を持って働く事が出来る様になり、
現在の大浦家、上津役家があります。
誰かが言っていました。
必ず成功する方法とは。
それは、
『成功するまでやり続ける事だ。』と。
なんじゃそりゃと思われるかもしれません。
私も始めは思いました。
でもよくよく考えてみると、
これは裏を返せば、
自分をどれだけ信じられるか。
という事を言っているのではないかということに思い至りました。
どんな困難や失敗があっても、
自分の考えや追い求めた道を信じ、
答えを追い求め、継続する心の強さ。
それを持つ者こそ成功に辿り着ける。
そう考えるとなるほどと納得し、
これからもこのやり方を貫き、
出来る限りもがき、あがき、粘り、
諦めずに壁を乗り越える事にこだわろう。
そしてそんな自分を信じぬこう。
そう改めて思ったのでした。
最後にうちのスタッフが壁を乗り越えた時のお話しをひとつ。
上津役家の家族であるヒロさん。
彼女はレビー小体型認知症。
物忘れはもちろんですが、
幻覚や妄想などの症状があります。
日によって軽いものだったり、
強いものだったりします。
明るい幻覚や妄想なら楽しくて良いのですが、
症状が強い時は何故か決まって悪い妄想だったりします。
この日もそうでした。
朝から機嫌が悪く、仏頂面の彼女は、
スタッフの声掛けにもそっけなく、
何やらぶつぶつと口の中で不満?を言っています。
その後もスタッフが時間をおいて声を掛けても変わらず。
それどころか、
どんどん周囲への当たりがキツくなってきていました。
この様な時は、触らぬ神に祟りなし。
スタッフは、彼女の気持ちが落ち着くまで、
様子見の構えで待ちます。
しかし、ひとりのスタッフが覚悟を決めて行動を起こします。
「なんでそんなに怒ってるの?」
『あんた達には言わん!あっち行き!』
「言ってくれなわからんやん!」
『いいけ向こう行き!』
案の定、良い反応は返ってきません。
普通であれば、やっぱり駄目かと諦めて他のスタッフと同様、
様子見する所。
しかしこのスタッフは諦めませんでした。
追い払われても追い払われても、
またすぐに彼女の元に来て、
同じ問答を何度も繰り返します。
そして、何度目かの押し問答の末に、
彼女の反応に変化が現れます。
『あんた本当にしつこいね。
 じゃあ教えてやるけん紙とペンを持ってきなさい!』
「わかった!すぐ持ってくる!」
その後、紙とペンを持ってきたスタッフとイスに座り、
紙に私の言うとおりに書きなさいと指示した彼女。
わかったと言って、彼女の言う様に紙に書きます。
内容は、
『○○が○○円。』
『○○が○○円。』
といったもの。
彼女が怒っていたのは、
紙に書いたこの金額を自分が周囲の人間に貸しているが、
全然返してくれないからという事でした。
スタッフは良く話しを聞き、
それはひどいと同調し、
自分が必ずお金を返してもらえるようにする!と買って出ます。
このやり取りの中で、
自分の気持ちを吐き出す事が出来た彼女は、
どんどん気持ちが穏やかになっていきました。
そして、最終的に
『あんたに話せて良かった。』
と言って、やっといつもの笑顔を取り戻しました。
この瞬間、このスタッフは
彼女の心の壁を乗り越える事に成功したのです。
この話をスタッフに聞き、
なぜそんなに粘る事が出来たのか尋ねてみた所、
ヒロさんは男性スタッフに対しては、
自分の孫と勘違いする事もあり、
当たりが良く、
お風呂の介助なども比較的スムーズに出来るのに対し、
女性スタッフが相手だと中々手こずると言う状況があり、
自分とヒロさんの間にはまだ距離があると感じていたそう。
それに加え、
「男だから、女だから、AさんだからBさんは言う事を
 聞いてくれる。自分が出来ない理由に、
 その言い訳を使うのが一番嫌い。
 相手は人間。
 始めに入りやすい入りにくいはあっても、
 とことん向き合えば必ずいつか分り合えるはず。
 頑張って向き合って信頼関係を築いた介護者の努力を
 何もわかっていないから、その言い訳だけは絶対許せない。」
いつか私がそう話した事も頭をよぎり、
今の出来ない自分が悔しくて、
絶対にこの壁を乗り越えてやろうと思ったのだそうです。
相手は認知症。
明日になれば全て忘れてまた元通り壁が立ちはだかる。
この壁を乗り越える事に何の意味があるのか。
そう思う方もいるかもしれません。
しかし実際はそうではありません。
この日を境に、
ヒロさんのこのスタッフに対する反応は激変したそうです。
自分に対して笑顔で話してくれる事も増え、
お風呂もスムーズに入ってくれるようになったのだそうです。
本当に不思議な事ですが、
認知症であっても心を通わせ、
信頼関係を築く事が出来るのです。
私も何度も経験があるので、
間違いありません。
これは、
相手が認知症の方であっても信頼関係は築けると信じ、
諦めずにぶつかり続け、
乗り越えた者にしか得られない実感。
そして喜びです。
認知症の方、
特に周囲の人が中々理解できない大変な症状のある方ほど、
信頼関係が築けた時の喜びは大きく、
また結びつきも強くなります。
それを知れば知るほど、
この仕事でしか得られない喜びに、
認知症介護から離れられなくなってしまうのです。
最後に。
この話を書こうと決めた時に、
ふと、昔読んだ漫画のセリフを思い出したので、
皆さんに贈ります。

『人の足を止めるのは絶望ではなく諦観(あきらめ)、
 人の足を進めるのは希望ではなく意思』

大浦家・上津役家日記~R2.4月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ
あきひこです。
今月は大浦家・上津役家日記のアップが5月になってしまいました・・
楽しみにしていた方、遅れて申し訳ありません。
私もそうですが、最近は自宅で過ごす方も多いと思いますので、
暇つぶしにでも今月号も含め、読んでいない分の号も読んで頂ければ、
とても嬉しいです。
では、今月もどうぞ宜しくお願い致します。

「 コロナ・ウイルスから人類への手紙 」ヴィヴィアン・リーチ

地球は囁きました、
でもあなたは耳を貸さなかった
地球は話しました、
でもあなたは聞かなかった
地球は叫びました、
でもあなたは耳を塞いだ
そして、私は生まれました・・・
私はあなたを罰するために生まれたのではありません・・
私はあなたの目を覚ますために生まれたのです・・
地球は助けを求めて叫びました・・・
大洪水、
でもあなたは聞かなかった
燃え盛る火事、
でもあなたは聞かなかった
猛烈なハリケーン、
でもあなたは聞かなかった
恐ろしい竜巻、
でもあなたは聞かなかった
汚染した水により海の生き物が死んで行く
警鐘を鳴らして氷山は溶けて行く、
厳しい干ばつ、
そんな時、
あなたは地球の声を聞こうとはしなかった
地球がどれほど悲観的な危機にさらされていても
あなたは聞こうとしなかった
終わりのない戦争
終わりのない貪欲さ
あなたはただ、自分の生活を続けていた
どれだけの憎しみがそこにあろうと
毎日何人が殺されようと
地球があなたに話そうとしていることを心配するより
最新のiPhoneを持つことの方が大切だった
でも今、私はここにいます
そして、私は世界のその軌道を止めました
ついにあなたに耳を傾けさせました
私はあなたに避難を余儀なくさせました
私はあなたに物質的な考えをやめさせました・・
今、あなたは地球のようになっています
あなたは自分が生き残ることだけを考えています
どう感じますか?
地球を燃やして・・
私はあなたに熱を与えました
汚染された地球の空気・・
私はあなたに呼吸への課題を与えました
地球が毎日弱って行くように、
私はあなたに弱さを与えました
私はあなたから快適さを取り除きました
あなたの外出
あなたが以前は忘れていた地球とその痛み
そして私は世界を止めました
そして今・・・
中国の空気はきれいになり・・
工場は汚染を地球の空気に吐き出さなくなり
空は澄み切った青色に
ベニスの水は透明になりイルカを見ることができます。
なぜなら水を汚していたゴンドラを使ってないから
あなたには
自分の人生で大切なものは何かを考える時間が出来ました
もう一度言います、
私はあなたを罰しているのではありません・・
私はあなたを目覚めさせるためにここにいるのです
これが全て終わったら私は去ります・・
どうか、
これらの瞬間を覚えておいてください
地球の声を聞いてください
あなたの魂の声を聞いてください
地球を汚さないでください
争うことをやめてください
物質的なことに気を取られないでください
そして、
あなたの隣人を愛し始めてください
地球とその生き物たちを大切にし始めてください
何故なら、この次、
私はもっと強力になって
帰って来るかもしれないから・・・
  
コロナ・ウイルスより 

これは、
ヴィヴィアン・リーチさんという方が、
コロナウイルスの視点から書いた、人類への手紙なのだそうです。
最近SNSでよく目にし、
とても考えさせられる内容なので取り上げさせて頂きました。
目の前にある自分の欲求を満たすものではなく、
自分にとって、他人にとって、人類にとって、地球に住む全ての生き物にとって、
何が一番大切なのかを考えさせられます。
また、こうやって自分ではない何かの視点に立って自らを省みて、
自分とその他にとって本当に大切なものが何かを考える事ができる。
そして辛い事があってもただ悲しむだけではなく、
そこから何か得て前向きに生きようとする。
そんな人間の力強さも感じられるとても良い手紙だと思います。
この手紙にあえてひとつだけ言うとしたら、
『帰って来なくてよろしい!』
ですね。 

「 家族からの手紙 」

弊社では、
毎日1通、ご家族へその日入居者の方々がどのように過ごしたのか、
写真付きのメールにてご報告しております。
ご家族には、内容を確認して頂くだけで、
不明点やご質問などがなければ、返信は不要と伝えています。
それでも、ご家族からメールが届く事もあります。
今日は、頂いたメールの中から、
嬉しかったものを一部ご紹介させて頂きます。
  
「お世話になっております!
お祝い(誕生日)をして頂いてありがとうございました。
プレゼントも頂いたんですね!
とってもご機嫌な顔をしてて、幸せだと思います!
父は本当に大浦家さん上津役家さんの事が大好きなんだと思います!
お世話になってから一度も帰りたいって言った事ないんです!
皆さんに出逢えて本当に良かったと感謝しかありません!
いつもご迷惑お掛けしますがこれからも宜しくお願い致します。」
  
「いつも優しいお言葉ありがとうございます!
お世話ばかりお掛けしてるのに。
親もですけど、私が一番救われてます!ありがとうございます!
又、お世話お掛けしますが宜しくお願い致します。」
  
「上津役家のスタッフに出会えて、ほんと嬉しかです、
幸せをありがとうございます。」

「今日久しぶりに来られた患者さん80歳位の方で、
娘さんが連れて来られたんですが、娘さん、お母さんも笑顔が無くて、
お母さん認知があるのかぁ、、、。
上津役家に来たら笑えるよ~と心の中で思ってしまいました。(笑)」
  
生活は、毎日同じ事の繰り返し。
ともするとマンネリ化しやすく、
入居している方も、
その生活を支えるスタッフも、
日々楽しみながら生活する。
楽しめる環境を創る。
というのは、
簡単そうで中々難しいと感じます。
それでも毎日少しでも変化を創り、
それを楽しめる様にと試行錯誤を続けられるのは、
入居者の方々が見せてくれる笑顔と、ご家族からの言葉を頂けるおかげです。
改めて皆さんに関わらせて頂ける事に、感謝を申し上げます。
本当にありがとうございます。
この度のコロナウイルスで大変な事は様々ありますが、
やはり一番辛いのは、
今迄当たり前の様に会っていた同僚や友達、恋人や家族など、
自分の大切な人に会えない事ではないかと思います。
『人はひとりでは生きていけない。』
『当たり前が当たり前ではない事に、失って初めて気づく。』
よく聞く言葉ですが、本当に痛感させられます。
自粛自粛・・・。
自制自制・・・。
我慢我慢・・・。
世界を、
自分の大切な人達の命を守る為とは言え、終わりの見えない闘いに、
心が疲れます。
心が荒みます。
人の心を支える、救えるのは、人の心だと思います。
出来ない事だらけの今だからこそ、
出来る事があると思います。
こんな時だからこそ、
改めて自分の大切な人に、
自分にとって大切な人である事。
普段は恥ずかしくて言えない感謝などを電話やメール、
手紙で伝えてみてはどうでしょうか?
物理的に離れていても、
きっと自分も、相手も、
人の温もりや繋がり、
自分がひとりでは無い事を感じる事が出来ると思います。
絆も深まり、お互いの心を癒す事が出来るのではないでしょうか。
最後に。
この大変な事態の中、
私達が自粛や自制など我慢するだけで大きな支障なく生活出来ているのは、
その裏で自分もそこから離れ、
自分や自分の大切な人を守りたいと思いながらも、
皆の為にと感染リスクや非情なコロナ差別と
闘いながらも頑張ってくれている
保育、物流、食品などの
生活必需品販売店、医療従事者などの皆様のおかげです。
心より、感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。 

大浦家・上津役家日記~R2.3月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ  
あきひこです。
今月は少し投稿が遅くなってしまいました。
申し訳ありません。
今月もどうぞ宜しくお願い致します。

「 母と詐欺師 」

皆さんは、福祉の仕事をしている人に対して、
どのようなイメージを もっているでしょうか?
優しい人? 思いやりのある人? 慈悲深い人?
以前にも書いた事がありますが、初対面の人に介護の仕事をしていると言うと、
『若いのに感心~』だとか、
『大変な仕事をしてえらいね~』 とよく言われました。
私はそれがとても嫌でした。
私自身、他の人と比べて、そんなに優しいわけでもなく、
思いやりがあるわけでもなかったし、働いていて、
他の職種と比べて特別大変なわけでもなかったからです。
今迄の大浦家・上津役家日記を読んで頂いている方は、
福祉職に対する美化されたイメージは、
ある程度なくなっているかもしれませんね。
今回は、介護職として働く人。
特に認知症の方の介護に携わる人(※以降「認知症介護者」と書きます。)
の実像について、簡単ではありますが、お話ししたいと思います。
まず始めにわかって頂きたいのは、介護の仕事をしている人は、
特別優しいわけでも、忍耐強いわけでも、思いやりがあるわけでもなく、
皆、その他の職業に勤めている他の方々や、
これを読んでいる皆さんとそんなに変わらないという事です。
それどころか、むしろ ズルくて、嘘つきで、疑り深くて、薄情で、厚かましい。
正に詐欺師の様な感じ。
それが、認知症介護者です。
(※介護者個人の性格ではなく、認知症介護者としての仕事をする 上で、
その様な立ち振る舞いになるという事です。)
どうでしょうか?
皆さんのイメージとは真逆なのではないでしょうか?
では簡単ではありますが、ご説明をしていきましょう。
認知症介護は言わずもがな、人をみる仕事です。
人は機械とは違い、心があります。
心はとても複雑で、ひとつの問いに対しても、その答えは人それぞれ。
また、自分の感情に素直に答える人もいれば、
理性や周りへの配慮などから、
自分の本心とは違う答えを言ってしまう人もいます。
認知症の方も、もちろん同じ。
個人的には、病気により色々な事がわからなくなるせいか、
私達よりは比較的自分の感情に素直な気がします。
とはいえ、その様な複雑な心を持つ人の生活をみる時、
認知症介護者はどのようにあるべきなのでしょうか。
認知症の症状は、記憶障害はもちろん、実際には無い作り話をしたり、
幻覚や幻聴があったり、暴力行為や徘徊症状など、
様々あり、人によりそれぞれ違います。
だから、
認知症介護者はその方の訴えを鵜呑みにして信じる事は出来ないし、
かといって信じずに放置も出来ません。
その方々の世界観を理解し、
その方が安心出来る様に作り話しに乗るのはもちろん、
何の罪悪感も無く、ごく自然に嘘をつきます。
例えば、家族が迎えに来ると思って寝ずに待っている方に、
『明日迎えに来ると言ってたよ』 など、自然と口から出ます。
また、例えば○○が痛いという訴えがあったとします。
認知症介護者はすぐには信じません。
なぜならそれが本当ではないかもしれないからです。
寂しい気持ちから、誰かに構って欲しくて言っていたり、
実際には転んでいないのに、転んでぶつけたと思い込んでいたり。
以前、HP版大浦家・上津役家日記で、
認知症介護者には観察力が必要だと書きました。
認知症介護者は常に利用者の方の表情や体の動きなど様々な事を見て、
その日の利用者の方の状態を把握しようとしています。
人の心は複雑ですが、身体は正直。
どこかに痛みがあれば、必ず、普段と動きが違います。
足であれば引きずっていたり、歩幅が狭くなっていたり。
動く際に顔が一瞬ゆがんだり。
身体に出る反応は隠せません。
そういった情報と、今まで関わって知り得た本人の特性や症状から、
認知症介護者は色々な事を判断し、
構って欲しくて言っている方には寂しさが和らぐ対応、
実際に痛みがある方には、
痛みを和らげる、又は病院の手配などの対応と、
その後の対応を決めています。
同じ様な事でよくあるのは、
実際にはそれをする能力があるのに、
『痛くて出来ない、きついから、調子が悪いから出来ない。』
などと言って、リハビリをやりたがらない事などがよくあります。
しかし、それを鵜呑みにしてしまうと、その方はどんどん体力が衰え、
本当に何も出来なくなってしまいます。
だから、十分な観察を行った上で本当に不調でないと判断したら、
体力が衰えない様に、普段の観察やコミュニケーションの中で、
その方にどういう風に対応したら無理やりでなく、
やる気をもってリハビリの取り組めるのかを探し、
見つけた方法を使って利用者の方の気持ちを上手く乗せています。
それを実現するのに嘘や演技が必要であれば、
また、躊躇することなく、嘘をつき、演技をします。
認知症介護者はある意味、
とても冷静に、誰よりも客観的に、
利用者の方を見ているのではないかと思います。
正に詐欺師の様に。
余談ですが、排尿感覚の無い、
おむつやリハビリパンツを履いている方も、
良く観察していると排尿する時に落ち着かなくなったり、
表情が曇ったり、身体に変化があります。
そう考えると、認知症介護者は母親の様だなぁ。
とも思います。
傍からは同じに見える赤ん坊の泣き方の微妙な違いで、
お腹が空いたのか、おもらししたのかを的確に判断する母親。
もしかしたら、
母親と詐欺師がこの仕事に一番向いているのかもしれませんね。

「 コロナ 」

始めに。
―この度のコロナウイルスにより、お亡くなりになられた全ての方々に、
お悔やみを申し上げます。
また現在、コロナウイルスにより、闘病をされている全ての方々が、
回復し元気になる様、心よりお祈りしております。―

ご存知の通り、コロナウイルスが猛威を振るっております。
日本のみならず、世界中の人々が何かしらの被害を受けています。
TVをつければ毎日、コロナに関する様々なニュースを目にします。
今や世界中の誰もが、コロナについて考えない日は無いのではない でしょうか。
私も、コロナに関する様々なニュースを目にする度、
色々な事を考えさせられます。
過去にオイルショックで経験したはずなのに、過剰に不安になり、
トイレットペーパーが無くなるとのデマに踊らされる人。
コロナウイルスを他人にうつそうとする人。
咳をした人をコロナではないかと排除しようとする人。
政府が不要不急な集まりを控える様に要請しているにも関わらず、
意にも介さず普段通りに過ごす人。
自分の頭で考えて行動する事をせず、
後から国の対応が遅いと文句を言う人。
いつかこの様な事が起きると予見し、
廃業したマスク工場の設備を廃棄せず、保管していた会社。
人間のズルさや弱さ、醜さ、脆さ、 優しさ、賢さなど、
普段ではあまり目の当たりにしない様な事を次から次に見せられ、
否が応にも考えさせられます。
そして思います。
『自分はどうあるべきなのか』と。
きっと皆さんも同じではないでしょうか。
今回の事で私が一番感じた事は、
『人間はちっぽけ』
という事。
現生人類のホモ・サピエンスが誕生して約180万年。
それだけの時間を掛けて進化し、学び、発展を遂げてきた人類。
科学技術や医療技術の進歩により、
昔不治の病だった病気も治せる様になり、寿命も長くなりました。
暮らしも豊かになりました。
それが、たったひとつのウイルスによって簡単に崩壊してしまうかも しれない。
そしてもうひとつ。
『人間はひとつ』
という事。
今でも国同士や人種、貧困、宗教などで人間同士の争いの絶えない
この世界で、初めて全人類がコロナウイルスを共通の敵として
ひとつになっている、またはなれると実感しています。
ウイルスの前ではこれらすべてが何の為の争いだったのかと思えます。
命の大切さをみなが実感します。
世界は、人は、みな繋がっている。
遠い海の向こうの、行った事の無い知らない土地で起こった出来事が、
今や世界中を不安に陥れているのですから。
人間はちっぽけ。
でも、皆がひとつになればきっと強いはず。
今こそ人類が地球人として、ひとつになる時なのではないかと 思います。
あとがき。
大浦家・上津役家でも面会自粛、
スタッフはもちろん、入居者の方の外出帰宅時や面会者に対する
うがい手洗いの励行、病院受診時のマスク着用、
外部屋内でのレクレーションは中止し、
屋外および関係者以外との接触が無い形での
外出レクレーションに変更する等して対応しております。
関係者の皆様、引き続きご協力の程、どうぞ宜しくお願い致します。

大浦家・上津役家日記~R2.2月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ  
あきひこです。
お待たせいたしました。
今月は先月号で少し触れた内容について、
書いてみましたので、
是非、読んで頂ければ嬉しいです。

「 そうぞう 」

私には夢がある。
認知症の方が普通に生活できる町を創る事だ。
いつしかそれが、私が福祉の仕事をする上での目的となりました。
ただ、私にはこの目的を実現する為に何が必要なのか。
そんな知識も教えてくれる人脈も、
技術もなにもありません。
それでもそんな私を突き動かし、
行動へと掻き立てるのはこれのせい。
『想像』
なんら根拠があるわけではないので、
空想や夢想、妄想と言ってもいいかもしれません。
私の想像は、何らかの問いをぶつける事でスイッチが入ります。
まず、始めの問いはこれでした。
目的を実現する為の始めの一歩として、何をするべきだろう?
私の想像は、すぐに答えを出します。
町を創るのであればやはり始めは
町を構成するのに欠かせない、
『家』からではないか。と。
じゃあ、どんな家にする?
私の想像は徐々に勢いづいて行きます。
入居対象はもちろん、認知症の方が良いでしょ。
普通に生活できる様に、
ああしたらどうか、こうしたらどうか。
楽しい場所になる様に、
ああしたらどうか、こうしたらどうか。
家族が安心出来る様に、ああしたらどうか、こうしたらどうか。
私の頭の中で様々な想像が繰り広げられます。
意識しなくても想像のスイッチは入ったままで、
ふとした時に色々な、ああしたらどうか、こうしたらどうか。
が、頭の中を駆け巡ります。
それは料金体系や運営システムなどの細部にまで及び、
私にとっては目の前で実際の光景を見ている様に
リアルに感じられるのです。
自分の勝手な想像なので、
もちろんすごく理想的な光景が繰り広げられるのですが、
それをリアルに想像して、
これを実行したら何が見える?
みんな楽しんでる!喜んでる!
と、想像とは言え、その姿を一度見てしまうと、
やらない方がダメな様な気がして、
私はそれを実現する事を止められなくなるのです。
日々のレクから、入居者とのデート企画、
ボーリング大会、畑づくり、旅行、全てそうです。
私は頭の中で駆け巡る想像を、
忘れない様にすぐにメモし、
そして後からまとめて、
全体像が分かる様にし、
問題ないか?穴がないか?
実行に移すのに何が必要か?
などを調べ、実行に移して行きます。
始めに家を創ると決めて、
どの様にするか想像を巡らせる中で、
目的の町作りに向けてのとりあえずの一歩目の区切り、
目標をどこにするか、その答えが出てきました。
それは、
『生活する家』と『働く場所』。
そこまでを一歩目の目標にしよう。
認知症の人が働き、お金を稼ぎ、社会と繋がる。
一般の方も認知症の方と接する機会を持つ事で、
TVで垂れ流される一方的なイメージではなく、
等身大の認知症の人を知る事が出来、
理解も深まる。
考えるだけでワクワクし、また、想像が膨らみます。
仕事はお客さんと触れ合える接客業がいいな。
忘れてしまう事前提でメニューを絞り、
事前にお客さんにも周知した上で来てもらい、
お客さんが自分が頼んだ料理が
本当にちゃんと自分のもとへ提供されるのか
ドギマギしながら待つ。
注文した料理がちゃんと来たら、
なぜかがっかりしてしまう。
身体が元気な入居者にはウエイターや掃除、会計、皿洗い、
片付けなどをして働いてもらい、車いすの方などには、
シェアハウスの畑で採れた野菜などを使った
漬物などの加工食品を作り、店頭販売する。
そしたら、どんな方でもみんな働く事ができる!
最高に面白そう!
よし!それじゃあここまでを一区切りの目標にしよう!と、
まぁこんな感じ。
今、この目標の達成に向けて、
頑張っております。
少し残念なのは、私が実現する前にこれを他が実現してしまった事。
ネットで『注文を間違える料理店』で検索して頂くと出てきます。
これは、私が大浦家を始めてしばらくして営業周りの際に、
先々こんな事がしたいとケアマネさんと話していた時に、
そういえば最近期間限定だが、
似たような事をしている所があったような・・・。と、
教えて頂き、知りました。
帰って早速調べてみると、そこには
正に私が想像の中で見た光景が広がっていました。
まぁ私と同じような事を考える人は沢山いるって事ですね。
期間限定とは言え、反響は素晴らしく、
今ではあらゆる企業と連携して、
全国各地で期間限定で取り組みが活発化しているようです。
残念な気持ちはありましたが、
逆に私は、やっぱり実現出来るんじゃん!と、
自分の想像が実現不可能ではないと証明された気がして
嬉しくもありました。
今は、
他所は他所、うちはうち!
うちは期間限定ではなく、
中身もうちならではの、
店を創るぞ!と、思っています。
これが、先月号でお話しした、
来年から再来年にかけて取り掛かる予定のチャレンジの内容です。
私が独立する時に決めた、始めの1歩目の目標地点。
その実現まであと少し。
しっかりと準備をしていきたいと思います。
これまでと同じ様に、
『想像』した光景を絶対に実現出来ると信じて、
『創造』して行きます。
想像の中で見た、
シェアハウスの家族のみんなの笑顔を現実のものにするために。

「 物は言いよう 」

上津役家のフジさん。
彼女は身体は元気ですが、
認知症により、記憶障害はもちろん、
見当識障害、失行、失認、失語、
実行機能障害のいずれの症状も見られます。
専門用語でよくわからいと言う方の為に簡単に説明すると、
覚えられない、日付や時間周りの人と自分のの関係や
自分の置かれている状況がわからない、服の着替え方がわからない、
ごみ箱をトイレと間違える、読み書き計算が難しくなる、
何かをする時にどういう順番ですれば、何をすればいいかわからない。
と、言う状態です。
彼女はとても明るく笑顔が素敵な方で、
入居後すぐに上津役家に馴染む事ができました。
なので、帰宅願望や徘徊症状があるわけではないのですが、
何の気なしにちょっと外へ出てしまい、そのうち帰り方が分からなくなり、
警察のお世話になる。
そういう事が数回ありました。
ある時は、上津役から中間の方まで歩いて行っていた事もありました。
そんな彼女の為に、ご家族にお願いし、
GPS装置を利用する事になりました。
装置の大きさは、縦6センチ横4センチ程度。
普通に持たせたり、ポケットに入れて置くと、紛失してしまうので、
色々考えた末、紐をつけ、
首から掛けてもらう事にしました。
しかし、それでも違和感があるのか、
時々自分で外してしまいます。
「これは大切な物だからちゃんと つけておいてね。」
そう言っても、当然すぐに忘れてしまい、また同じ事の繰り返し。
この様な時、フジさんにGPSを 常に身に付けてもらうためには、
いったいどうすればよいのでしょうか?
服に縫い付ける?
服はいつも同じものを着ているわけではないし、
その日の中でも朝着ていた服を昼には脱いでいたりする事も
あるので難しい。
靴底にしのばせる?
しのばせた靴を履いて外に出るかわからないので難しい。
結局は周りの人間が気を付けて目を配るしかないのですが、
それでもあまり外さなくなる方法が無いわけではありません。
少し時間がかかりますが、
それは、フジさんにGPSを身につける事に対して良い印象を
持ってもらう事です。
以前書いた事がありますが、
認知症で記憶に障害があっても、
何も残らないわけではありません。
感情や印象は必ずその方の中に残ります。
例えば女性であれば、
「わぁ!そのピアスめっちゃ可愛い!どこで買ったの?」
男性であれば、
「おっ!その時計どこの?カッコイイじゃん!」
こんな風に周りに言われたら、
嬉しくてまた着けようと思いますよね。
この様な感じでフジさんにも声掛けをしていくのです。
本人が嬉しいと思えばどんな声掛けでもいいのですが、
例えば、
「あら、フジさん!とっても可愛いの着けてますね♪
これが娘さんがくれたお守りですか、いいね~♪
無くさない様に大切にせないかんね~♪」
こんな感じ。
これを続ける事で、少しづつ、
GPSが大切な物で持っておきたいという
印象や気持ちを大きくしていきます。
現時点でも、こうやって声掛けをすると、
しない時よりも外さない事が多くなってきています。
同じ内容でも、どういう言葉を選び、
どの様なテンションで言うか。
それ次第で受け取る側の印象は全く違うものになります。
正に『物は言いよう』。
言葉って面白いですね。
皆さんも普段誰かと話す時、
言葉を選んで使っていますか?

大浦家・上津役家日記~R2.1月号~

「 ご挨拶 」

新年、 明けまして おめでとうございます。 
皆様におかれましては輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
また、旧年中は、多大なるご愛顧をいただき、誠にありがとうございました。
本年も、スタッフ一同、更なるサービスの向上に 努めて参りますので、
より一層のご支援、お引立てを賜りますよう お願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈りし、
新年のご挨拶とさせていただきます。

「 心配御無用! 」

過去の大浦家・上津役家日記でも何度か書いた事がありますが、
ご家族の方でまだ不安をお持ちの方がいらっしゃるようなので、
改めて弊社の入居者の方々に対しての想いや考えについて
書きたいと思います。
まず、弊社シェアハウスの名前には、必ず最後に『家』が付いております。
これは、それぞれの入居者の方々に自分の家と思って貰えるような
場所を創って行きたいと思ったからです。
そして、入居者とスタッフ皆が家族の様な関係性を築き、
一緒に生活して行きたいという想いから、名前に『家』を付けています。
家族は一緒に笑って泣いて喜んで、怒り怒られ、楽しんで、喧嘩して、
そんな事を繰り返しながら、 家族の絆を深めているのではないかと思います。
だから、弊社でも入居者の方々をお客様扱いはせず、
同じ様に一緒に笑って泣いて喜んで、怒り怒られ、楽しんで、喧嘩して、
純粋な人間同士の関係性を築けるように心がけています。
私やスタッフにとって、入居者の方々は、
自分のおじいちゃん、おばあちゃんであり、
父親、母親だと思って関わっています。
これは、スタッフと入居者の関係性においてだけではなく、
入居者同士においても、
そのような関係性が築いていける様にスタッフが間に入っています。
特に弊社は基本的に認知症の方を対象にしていますので、
それぞれの症状から周囲の入居者に迷惑をかけてしまったり、
喧嘩をしてしまったりする事も多々あります。
以前書いた事がありますが、
ひどい時は幻覚・妄想などの症状により、
他の入居者の方を泥棒だと思い込み、
杖で叩いてしまうという事もありました。
この様な事があり、ご家族に経緯について報告する際に、
必ずご家族が心配されるのが、
『退去させられるのではないか』 という事の様です。
しかし、その点については心配御無用。
一度家族として迎えた方を、周囲に迷惑をかけるから、
大変だからなどという理由で退去をお願いする事はありません。
良い時も悪い時も共にしてこそ家族です。
良い状態の時しかそばにいないなんて都合の良い家族は
どこにも いないのですから。
それに、この後の章でも書きますが、
私達は認知症の方をみるプロです。
大変な症状のある方をみてこそ、その真価が問われると思っています。
認知症の症状を理由に退去させるのであれば、プロとは言えません。
弊社が、入居の受け入れを断る、
または入居後に退去をお願いするのは次の4つの場合です。
①弊社に入居するよりも、
本人にとってより良い生活をする 方法が他にある場合。
②認知症の症状ではなく、精神疾患などにより、
自分をコントロール出来ず、自傷行為や他傷行為をしてしまい、
まず専門医による症状の改善が最重要だと思われる場合。
③医療行為が常時必要となり、看護士が常駐して生活を見守る
必要性がある場合。(訪問看護で対応出来る範囲であれば問題ありません。)
④認知症の症状によるものや、入居者同士の喧嘩などにより、
他者へ怪我を負わせ、被害者本人・家族が相手側を許して頂けなかった場合。
以上です。
この4つ以外に弊社から退去のお願いをする事は
無いと思って頂いて大丈夫ですので、
是非、ご安心頂ければと思います。
また、④についてですが、
幸い、弊社入居者のご家族様方は、皆様、認知症に対しての理解も深く、
「こちらもいつご迷惑をかけるかわからないので、
相手のご家族の方にも気にしなくていいですとお伝え下さい。」 と、
優しいお言葉を掛けて下さる方ばかりです。
この様にご家族も含め、それぞれが支え合い、
補い合い、認め合い、理解をし合う事で、
現在の大浦家、上津役家の良い環境が出来ているのだと思います。
改めて大浦家、上津役家を形作り、
支援下さっている関係者の皆様に お礼申し上げます。
今後も、現在の現状を皆様に正確に知って頂く為に、
良い事も悪い事も、お伝えする事があるかと思いますし、
状況によっては何かご協力をお願いする事もあるかもしれません。
その時は是非、退去させられるなどの過度なご心配はなさらずに、
一緒に解決策を考えて頂ければ 幸いです。

「 オオカミ中年のうち自慢 」

大浦家。
ひとみん、しまちゃん、りょうくん、れなーど、ゆっきー、しげるん、かほりん。
上津役家。
ともちゃん、かーくん、こうくん、ゆいぴー、ちーちゃん、りょうちゃん、
えっちゃん、しーちゃん、かずくん。時々、ちびっこ介護士ゆうか。
以上、うちの全スタッフです。
(※実名は恥ずかしいだろうと思い、今勝手に愛称をつけました。)
うちのスタッフはとても素晴らしいスタッフばかりです。
他のどんな会社のスタッフにも負けない、私の自慢のスタッフです。
皆それぞれ個性はあるものの、
こんな屁理屈な私の、自分のワガママを叶える為に始めた会社に力を貸し、
頑張ってついて来てくれる、
根が真面目で優しい人ばかり。
私は今のこのメンバーが大好きです。
先の章で少し触れた、認知症をみるプロという話し。
認知症の症状は人それぞれです。
さらにその日その日によっても変わったり、
時の経過によって新たな症状が出る事もあります。
その為、スタッフはその時々に おいて、
その方が今何を感じているのか?
どうすれば落ち着くのか?
笑顔で過ごせるのか?
今までの趣味嗜好や性格、傾向などを踏まえた上で、
その時の状態をよく観察し、自分の頭で考え、答えを出し、
実践して、また観察して、
対応が間違っていなかったか?
他に良い対応方法は無いか?
常に試行錯誤しながら、その方にとってのその時の正解を探し続け、
臨機応変に対応し、その方の症状を、生活を、
今より 少しでも良く、少しでも豊かなものに変えて行かなければなりません。
それを追い求め、その為の努力を惜しまず、実現していく。
それがプロだと思います。
私は世の中の全ての同業者を 知るわけではありませんが、
現在の高齢者の入居施設関係の環境において、
まずこれを行う事自体が難しいと思います。
特にその施設が大きければ大きい程、入居者に対しての対応は決められ、
やってはいけない事や出来ない事が増えて行きます。
業務は効率化されていき、タイムスケジュールが決められ、
その日の各スタッフの仕事内容も担当制になり、決められて行きます。
更に効率化と人手不足により、最小の人数で最大の入居者をみる様になり、
それにより仕事量は増え、
各スタッフは自分の担当の仕事をこなす事だけに謀殺されるように なります。
こうなるともう臨機応変に対応するどころか、
入居者の方々とゆっくり会話する事すらままなりません。
高齢者福祉業界の現状については、
以前HP版大浦家・上津役家日記で書いたのでこの辺で割愛しますが、
要は認知症をみる、そしてみれる人材を育てる環境を創るだけでも
大変難しいという事です。
この環境を創る為には、
ざっくり言うと、業務を効率化せず、統一せず、
スタッフの自由に 出来る体制を創る必要があります。
だから、うちには会社としての業務の決まり事が次の、
『ゆるい』2つしかありません。
・基本的な食事の時間。
・基本的なお風呂に入る日。
『ゆるい』と言ったのは、
その時の入居者の状態によっては日時を変えたり中止しても良い、
絶対のものではないからです。
ただ、これ以外に決め事が無いわけではありません。
それは、スタッフ間で話して決めた決め事です。
これはミーティングなどで、各シェアハウス自由に決めて良い事になっています。
これを読まれている方の中には、
『そしたら皆そういう風にすればいいのに。』 と、
思った方もいるかもしれません。
が、それは実際問題難しいのです。
スタッフが自由に出来る体制にするというのは、
スタッフの資質や考え方、働き方次第で良くも悪くもなるという事だからです。
うちのスタッフでも入社当初によく見られましたが、
他の施設と違い、うちは タイムスケジュールが無いので、
今何をすべきかを自分の頭で考え、行動していかなければなりません。
これが中々出来ない。
だから始めは何も出来ずに 1日が終わってしまいます。
また、うちの場合、入居者の方々も基本的に自由に過ごせる環境なので、
各々自由に動き回ります。
だからスタッフは、通常の施設の何倍も考え、動き、意識し、
気を配り、判断し、適切な行動をしないと、
すぐにあちこちで事故や問題が起きてしまいます。
入居者にとって自由で充実した生活環境というのは、
会社やスタッフにとっては、かなり非効率で危険な、
とても成り立たせるのが難しいものなのです。
さらに、今話しているのは環境や体制の事。
実際に一番難しい問題となるのは、その先にある、
入居者の方の状態を観察し、推測し、仮定し、実践し、改善して行く力、
そして何よりその力を今よりも もっと身に付けたいと思う強い想いが、
それぞれのスタッフにあるか、育てる事が出来るか、なのです。
これが無ければ認知症の症状が落ち着く環境が出来る事は無く、
場合によっては症状が酷くなってしまい、
中身がグチャグチャな施設になってしまいます。
だから大抵は、そんなリスクや労力、お金を負ってまで
その環境を創ろうとはしません。
それでもある程度の形にはなるのですから。
逆に言うと、その難しい道を選び、しっかりとした形に出来ているからこそ、
うちは今まで沢山の施設を見て来たケアマネージャーさんや役所の方、
ご家族の方に評価して頂けているのだと思っています。
全国には素晴らしい施設が沢山あります。
こんな風に出来たらいいな、
理想的な施設だなと思う会社も幾つかあります。
しかし、そのほとんどが入居前の事前審査などで
自らの施設に馴染みそうな方や、大変な症状の方を
除外するような選別していたりします。
選別するのが悪いと言いたいわけではありません。
その会社の理想とする施設を実現する為の、
ひとつの有効な手法だと思います。
うちがそうしないのは、今大変な思いや苦労をしている方を
選別するような事は出来るだけせずに実現する。
それがうちの理想だからです。
(※『出来るだけ』と書いたのは先の章で書いた入居を断る、
退去をお願いする4つの場合の内、①②がある意味、
入居前の選別と 言えるからです。)
うちは、そうして受入れした入居者の方々のほぼ9割が認知症の方です。
うちのスタッフ達は、
そのほとんど選別せずに入居してくる様々な症状のある方々を、
さらに、共同生活をするシェアハウスという環境の中で、
全員の症状に向き合い、
他の入居者の方々との関係性を築けるように働きかけ、
試行錯誤しながら入居者の皆さんが充実した生活を送れる様な
生活創り、家創りをし、理想へと続く形を創っているのです。
まだまだ満足いくものではありませんが、
現時点である程度評価して頂ける状態を創れているのは、
もちろんご家族や担当ケアマネージャーさんのご協力もありますが、
何よりもうちのスタッフがすごいからに他なりません。
私を含め、まだまだ足りない部分や勉強不足な部分はあると思いますが、
うちのスタッフと顔を合わせた時は、
是非、褒めてやって下さい。
かなりうち自慢をしてしまいましたが、
うちと他との違い、そしてうちのスタッフと他のスタッフとの違いを、
少しでもご理解頂ければと思い、書かせて頂きました。
何分そういうタイトルでもありますので、どうかお許しください。
今のこのスタッフ達がいなければ、
今の大浦家や上津役家は無く、
私はただ理想論を叫ぶだけのオオカミ中年になっていたのですから。

今年は大浦家、上津役家共に1泊2日の旅行もあります。
この様な、今迄チャレンジして来た事は続けながら、
それに満足する事なく、それ以外にも小さいものから中くらいのものまで、
様々な新しいチャレンジをして行きます。
そして、チャレンジを続け経験値を上げながらしっかりと力を蓄えて、
来年から再来年辺りに、またドカンと大きな試みに チャレンジをする予定です。
年々パワーアップする、大浦家、上津役家に期待して頂き、
暖かく見守って下さいます様、宜しくお願い申し上げます。

大浦家・上津役家日記~R1.12月号~

皆さんこんばんは(●´∀`)ノ  
あきひこです。
新年明けましておめでとうございます。
昨年中はこの大浦家・上津役家日記をお読み頂き、
ありがとうございました!
本年も頑張って書いて参りますので、
引き続き読んで頂ければ嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。

実は今回の大浦家・上津役家日記12月号は、
年明け前に投稿する予定のものでした(^▽^;)
が、諸事情ありまして間に合わずこんな時間に・・・
という事で、内容が12月投稿予定の内容になっておりますが、
そこはそのつもりで読んで頂ければと思います。
では、図らずも新年一発目となってしまいました
大浦家・上津役家日記12月号!
どうぞ~♪

「 認知症の長所 」  

入居当初は帰宅願望があり、よく上津役家を抜け出していたアリさん。
今ではすっかり上津役家での生活にも慣れ、
生活リズムや食生活が安定したのもあってか、
通っているデイサービスの方も1人で生活していた時よりも
状態が良くなっていると、嬉しいお言葉を頂ける様になりました。
そんなアリさんですが、帰宅願望以外にも認知症がある為、
夜間などによく上津役家と自分が暮らしていた家がわからなくなったり、
今の自分の現状をまだよく理解出来ていなかった事もあり、
同じ相部屋で寝ているカメさんやイワさんと揉めることが良くありました。
夜間、カメさんやイワさんがトイレに行き、部屋に戻ってくると、
『誰だ!? なんで他人の家に断りも無く入ってくるんか!』 と怒鳴り、
その度に揉めて、スタッフが何とか双方をなだめる。
そんな事がよくありました。
その為、カメさんとイワさんはアリさんと関わるのを敬遠するようになりました。
色んな人と共同生活しているので、合わない人がいて当然です。
しかも、当シェアハウスには軽度から重度、
そしてそれぞれ違った症状の認知症の方々が居ますので、
尚更かもしれません。
それを無理に仲良くさせようとする必要は無いと思います。
大切なのはそれぞれの違いを知ってもらい、
自分や相手のストレスにならない様にシェアハウスでの
落ち着いた生活を創って 行く事です。
その過程の中で、たまに喧嘩をする事があってもいいと思っています。
血の繋がった家族でも喧嘩する事はあるのですから。
物事には良い面と悪い面が必ずあります。
それは、『記憶』についても同じ事がいえます。
例えば、トラウマ。
過去の嫌な記憶が残っている事で、
それ以前には出来ていた事が出来なくなったり、嫌になったり。
もしかしたら、この嫌な記憶さえ 残っていなければ、
このような事は起こらないのかもしれません。
先日、カメさんが玄関前の庭木の剪定をしていた時の事。
アリさんは、カメさんが剪定をしているのを見てスタッフに声を掛けます。
『あの爺さんは何しよん?』
「庭木の剪定をしてくれよるんよ。
気になるならアリさんも教えて もらってやってみたら?」
『そうか。』
そう言うと、何の躊躇もなく玄関先へ出て行き、カメさんに声を掛けます。
『それは何か切り方があるんですか?』
突然、敬遠していたアリさんに声を掛けられたカメさんは、
びっくりしてあっけにとられて いました。
それでも、これまでの事など何もなかったように声を掛け、
質問してくるアリさんを邪険にする事は出来ず、
「う、うん。  ここをこうやってな・・・」
と、応えてあげます。
しばらくして様子を見に行くと、
剪定ばさみを持ったアリさんが、
『大将!こんな感じでいいですか?』
そして、カメさんが、
「そうそう、んじゃ次ここ!」 と、
師匠と弟子の様な何とも微笑ましい光景が広がっていました。
その後、ふたりはしばらく楽しそうに剪定を続けたのでした。
この時、私はアリさんに、認知症の無い私達には到底難しい、
認知症特有の長所を見せられたような気がしました。
そして同時に、少しの嫌な記憶に 囚われる事で、
相手の良い部分を知る機会や自分の事を知ってもらう機会、
楽しく過ごす機会を失っている事。
そしてそれに囚われない事で広がる周囲の人との人間関係。
そんな人としての理想の姿を教えられたような気がします。
『 肯定的な人は、 最低の短所をして、 最高の長所とする。 』
ヘレン・ケラーの言葉です。
認知症は病気であり、
長所や短所に置き換えるのは間違っているのかもしれませんが、
それでも認知症になってしまったと悲しんでばかりいても、
辛いばかりで何も変わりません。
現在の状態・症状を受け入れて、肯定的な視点に立って考えてみる。
そしたら、現在の状態にあった楽しい生活を送ってもらえる関わり方が
見えてくるのかもしれません。
当社の様なシェアハウスが実現出来ているのも、
この認知症の長所があるからなのかもしれませんね。

「 逆さの鱗 」

この大浦家・上津役家日記を 毎月読んで頂いている方は、
お気付きかもしれませんが、私は小さい頃からよく屁理屈だと言われます。
そして自分で言うのもなんですが、比較的気が長い方で、
ほとんど怒る事はありません。
そんな私でも、昔から仕事中の同僚や上司、
他施設の方との交流時や公的な研修会などでの
介護職の何気ない発言や行動に対して、
怒る事はないのですが、イライラの感情を抱く事がよく ありました。
でも、自分がどの言動の何に対して そういった感情を抱いているのか、
よく分かりませんでした。
しかし最近、私が何に対してイライラしていたのか。
それがようやくわかりました。
きっかけはうちのスタッフの、これまた何気ない言葉でした。
それは、
『リビングに温度湿度計がほしい。』
というもの。
特におかしな事を言っているわけではないのに、
この時点で私の内心ではイライラが沸き起こっていました。
私は、
「何のためにですか?」 と、
返します。
すると、こう返ってきました。
『普通、介護施設にはあるで しょう。』
この瞬間に、私は自分の逆さの鱗がどこにあるのか自覚しました。
それは、世間では普通じゃない
『介護業界の普通』
そして、介護職の
『高齢者は守ってあげる対象』
という驕り。
この時の場合で言うと、高齢者は弱く守ってあげないといけないから、
自分達が過ごしやすい室温・湿度に管理してあげなければいけない。
介護業界ではどこも当たり前にしている事だからやった方が良い。
という、このふたつの思いから、自然と出て来た言葉なのです。
私の気持ちとしては、
『高齢者を弱者と決め付け、勝手に守ってやる対象に しないでほしい。
自分で判断し、行動する力がまだまだ沢山あるのだから。
そして、介護業界で当たり前 として行っている事が、
本当に介護者として正しい事なのか?
そして世間一般でも当たり前な事なのか自分の頭で考えて欲しい。』
という事です。
介護職の目的は利用者の『自立支援』であるはずです。
出来ない部分を手伝いつつ、自分で出来る部分を増やす、
もしくは維持出来るように支援していく。
それなのに、何でもかんでももっともらしい理由をつけて
支援する側が管理する事が本当に正しいのでしょうか?
管理してしまう事で本人が自分で行う機会や感じる機会、
判断する機会を介護者が奪ってしまってはいないでしょうか?
施設が年中快適に保たれる事で、考えたり感じたりする能力や、
季節の変化に対しての抵抗力が低下しているとは考えられないでしょうか?
人は十人十色。
支援する人も受ける人も様々。
正解は関わる人の数だけあるのかもしれません。
だからこそ、重要な役割を担う介護職には当たり前とか、
普通とか、そう教えられたからとかではなく、自らの頭で考えて、
本当にその利用者の方の支援の形として正しいと思った支援の方法で、
仕事をして欲しいと願っています。
以上、屁理屈で怒らない私にも逆鱗があったという、お話しでした。
今年ももうあとわずか。
今年はシェアハウスの家族も増え、本当に色々な事があった、
本当に充実した一年でした。
来年は大浦家、上津役家ともに 一泊旅行もあります。
さらに、各シェアハウスでは来年行う新しいチャレンジについても検討しています。
屁理屈な私とスタッフですが、(※スタッフは屁理屈ではありません。)
今年も最後まで、そして来年も、入居者の方々と一緒に、
全力で楽しんで生活していける様に頑張って参りますので、
今後共、皆様のご支援とご協力の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様、くれぐれもお身体にはご自愛頂き、良い年末をお過ごしください。
そしてまた、正月や正月明けに お元気なお顔を見て、
ご挨拶させて頂くのを、楽しみにしております。